第1章 聖域の学び舎

第1節 入学許可証と皇命


 ――――呪いを解きに行こう。


 必ず『呪い』を解く糸口を見つけることを互いに誓い合い、アレンとアイリスは故郷のマーレ皇国おうこくを出た。


 冬は北からの海風が吹き付ける寒い冬を越え、花が綻びはじめる季節の事だった。

 進路は南。


 ここよりも暖かく、希望に満ちた場所であると信じて――――





    ◇ ◇ ◇





 出国の許可を貰いに、アレンとアイリスが彼らの父親でもある皇帝の執務室に赴いたのは、約束の年――彼らが十五歳を迎える一年前のことだった。


 アレンとアイリスは気合の意味を込め、二人で揃いの色の衣装を身に纏い、彼らの住まう双星宮そうせいきゅうを出た。


 アレンは肩に房飾りのついた裾の長い薄青のジャケットに白いパンツ。アイリスは繊細な白のレースをあしらった薄青のドレス。

 この皇国の貴色である藍玉色の装い。

 それはほとんど幽閉状態で社交に参加しない二人が持つ、数少ない正装だった。


 正装に身を包んだことで、アレンとアイリスの背筋も自然と伸びた。アレンはアイリスの手を取りエスコートしながら、広い世界に出るための一歩を踏み出した。



 まだ朝焼けの見える早い時間。

 アレンとアイリスは、皇宮おうきゅうの隅とも言える小さな宮から、中央の華やかな区画へと歩いて向かう。

 皇宮勤めの人間はまだ表の区画には揃っていない時間だが、先へ進むほど、警備の人数は増えていく。

 護衛を連れて歩く二人には訝し気な視線が送られる。居心地は悪い。


 ――だが、それでも彼らは彼らの目的を果たすために進む。

 二人は決意を秘めた胸を張り、堂々と先へ進んでいく。



 皇帝の執務室入口の豪奢で頑丈な扉は、まるでこれから二人が越えるべき壁のようにそびえ立っていた。

 アレンは意を決し、その扉の前に立つ騎士に伝える。


「皇帝に取り次いでくれ、双星宮の二人が来たと」





    ◇ ◇ ◇





 開閉の度に重厚な音を鳴らす扉を抜けた先、控えの間で待つこと数分――前触れも出さずに執務室を訪れた双子を皇帝は文句も言わずに迎え入れた。


 皇帝が執務机に両肘をつきながら二人を値踏みするような視線を放っているのをアレンとアイリスの二人はひしひしと感じていた。

 年に数回しか双星宮を出ることが許されていない二人は目を伏せながらも、好奇心を隠し切れずに皇帝の執務室を物珍しそうに眺める。

 

 ――この部屋に来るのもいつぶりだろうか。

 そんなことを思う。


 しかし、それも皇帝が執務机から顔を上げるまでの一瞬のことだった。

 皇帝が顔を上げると、二人はすぐに紳士淑女の最敬礼をする。

 跪きながらも「皇帝陛下におかれましては」と仰々しい口上を述べようとすると、皇帝はそれを片坊の手で制した。

 皇帝は近侍に椅子を引かせながら立ち上がると、豪奢な調度の長椅子に腰掛けた。


「座りなさい」


 皇帝は低く響く声でアレンとアイリスにも席を促す。


 明るい金の髪は早朝にも関わらず既に整えられているが、服装は黒の細身のシャツにダークグレーのスラックスという近しい者にしか見せないリラックスした服装だ。

 皇帝は実年齢よりも若く見えるが、丁寧な所作と無意識に相手を従わせるような響く声は国を背負う者の威厳があった。


 アレンとアイリスが皇帝の対面にある長椅子に腰掛けるのを見届けると、皇帝は双子の『瞳』を交互に見つめた。

 今、周りの人間から見えている双子の瞳は、生まれ落ちた時の琥珀とアメジストのオッドアイではない。

 皇族に持つ者が多い藍玉アクアマリン色だ。皇帝自身もアレンとアイリスの兄姉たちも濃淡の差はあれど、揃ってその石と同じ色の瞳を持っている。

 そして藍玉はこの国の貴石でもある。


「……人払いをお願いしてもよろしいでしょうか」

 アレンが皇帝の瞳を見据えながら申し出ると、皇帝は目線だけで侍従や護衛を下がらせた。


 アレンとアイリスの護衛は控えの間に入る前、扉の前に既に置いてきていた。皇帝付きの者たちが出ていくと、室内に皇帝とアレンとアイリスだけになる。


 ますます静かになった部屋で、皇帝はあまり感情を感じさせないまま、「ふむ」と頷く。

 そして、アイリスに問いかけた。

「その瞳はアイリスの魔法か」


「はい、まだ半日程度で長持ちはしませんが」

 アイリスが静かに肯定した瞬間、その魔法は解除され、双子の瞳は元の琥珀とアメジストの色彩に戻った。


 アイリスは珍しく硬い表情で淡々と語っていた。

「まだ色々と試しているところです」


「そうか」

 皇帝はそれ以上は何も言わず、皇帝は双子を真顔でまじまじと観察していた。





    ◇ ◇ ◇





 魔力が高いとは言え、質の高い偽装魔法を詠唱もなしにアイリスが解除したことに皇帝は感心する。

 そんな高い技術を持ちながらも、なんてことのないことどころか評価に値しないことという顔をしていることにも驚く。


 報告によると幼い頃よりもとこに伏せる時間が短くなったというアイリスは、今日は頬の血色も良い。

 普段は瞳の異彩が分からないように、顔の周りにまるで火傷を隠すような布を掛けているが、アイリスはそれでも更に瞳を隠すように俯いていることが多い。

 いつもは腰までかかるシルバーブロンドの長い髪もおろしているが、今日は珍しく高く結い上げていた。


 そんな彼女の双子の兄のアレンは、魔力をほとんど持たない代わりに身体能力が高く、日々双星宮の庭で鍛錬をしていると聞いている。

 声は前に会った時よりも低くなり、アイリスよりも頭一つ分は身長も高くなっていた。

 アレンもアイリスと同様に布と髪で瞳を隠していることが多いが、今日は前髪を後ろまで上げていた。

 双子の兄妹である彼らはよく似た顔立ちではあるものの、アレンは精悍さが出てきている。

 護衛の騎士から身に付けたのか、身のこなしは騎士に近いものになってきていた。


 

 皇帝は彼らを見て思う。

 ――お互いがお互いの不足分を補うような双子。

 ――だが、もう昔のように他者から畏怖され、忌避されることを恐れるだけの子供ではない。


 だから今日、この部屋にやってきたのだろう。

 皇帝は数年前から、双子が纏う気配に変化の兆しを感じ取っていた。

 

 ――変化の時は今なのかもしれない。

 それは勘というよりも確信に近かった。



「それでは要件を聞こう」

 その風格をにじませながら、皇帝は指を組む。


 先に口を開いたのは兄のアレン。続けたのは妹のアイリスだった。


「私たちは『聖域』に、学びに出たいのです」

「そのお許しをいただきたく、今日ここに参りました」


 皇帝は何も言わなかった。

 代わりに何かを確かめるように双子を見つめる。

 しばしの沈黙に耐え切れなかったのか、アレンは皇帝に尋ねる。

「……理由を聞かないのですか」


 その問いに少し考え込んだ皇帝は、ほんの一瞬ではあるが、わずかに微笑を浮かべた。

 そしてこう結んだ。

「要件は聞いた。自分たちの宮に戻りなさい」



 双子が不安そうな表情で振り返りながら退室するのを見送ると、皇帝は思いを馳せた。


 ――『呪い子』だと、生まれた瞬間にそう呼ばれた自分の息子と娘。


 自分はこの兄妹を隠すことで護って来たつもりだった。

 だが、彼らは自分とは違う選択をするのだと、違う選択があって良いのだと、今日彼ら自身に示された気がした。


 皇帝はこの先の未来に、かすかな希望を抱いた――



 皇帝は少し前に外交担当の執務官から聞いた話と、自身に縁ある人物を思い出し、一通の手紙をしたためた。

 そして、『魔法』を使ってそれを飛ばした。

 

 たかの形をした『光』が青空に高く舞い上がって見えなくなるまで、皇帝はそれを静かに見送った。





    ◇ ◇ ◇





 ――『聖域』に行きたい。


 そう双子が頭を下げて言ったとき、双子の父である皇帝はいつも通りの無表情だった。


 そのときは返事も聞けぬまま、双子は彼らの住まいである双星宮へ戻された。

 不安になりながら過ごしたひと月の後、双子の元に皇命おうめいが下った。


「『サンクチュアーリオ学院』に行き、世界最高峰の技術を国に持ち帰れ」


 皇子と皇女であり、共に皇位おうい継承権第四位と第五位という、微妙な序列であった事が幸いとなったのか、もしくは呪い子たちを外へ追いやりたいという誰かの思惑か、はたまたその両方か。

 理由は明確ではない。


 しかし、監視やその他諸々の条件付きではあるが、当人たちが想像していたよりも遥かにあっさりと二人は国外へ出ることを許可された。

 




    ◇ ◇ ◇





 シルバーブロンドの兄妹は故郷の西大陸を旅立ち、長い船旅の後、中央中立地域・通称『聖域』に足を踏み入れていた。


 ――『聖域』は、長く大戦の続いた西大陸と東大陸の中間に位置する諸島一帯を指す。

 その中でも中心地となるのが、彼らが降り立ったウィンデルベルグ連合共和国である。


 ウィンデルベルグ連合共和国の首都は、共和国最大の島であるウィンデルベルグ島に抱かれる。

 そしてその地名は古い言葉で『聖域』を表す『サンクチュアーリオ』。

 

 狭義の『聖域』は、このウィンデルベルグ連合共和国の首都を指し、この街が『サンクチュアーリオ』の名を冠するようになったのは百年前に起こった大戦の後、和平条約が結ばれたのがこの土地であるからだ。


 西大陸と東大陸に対して『中立』である中央中立地域、すなわち、広義の『聖域』に攻め入るのは世界を敵に回すことを意味する。

 それ故にこの地は『平和の象徴』とも呼ばれる。

 そしてこの土地はそういった政治的な意味合い以外でも重要な地である。

 

 元々立地と気候の良さから交易の盛んであった土地柄でもあり、東西問わず様々な国の人間が出入りしていた。

 そして、和平条約締結後はより一層その色は濃くなった。


 人の移動は、新しい技術をその土地にもたらす。

 それはまるで必然のように『魔術』・『武術』・『学術』などの様々な技術がこの土地に集った。


 そんな平和と技術の結晶とも呼べるこの土地に希望を見出し、アレンとアイリスの兄妹は『聖域』にやってきた。


 中央中立地域最高峰の教育機関であるサンクチュアーリオ学院の入学許可証を携えて。

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