髑髏

蓮乗十互

1

 ゴロン、とまるで絵に描いたような音をたてて、髑髏が地面に転がった。男は辛そうに歩みをとどめ、屈み込む。

 右頬が砕けていた。意外と脆いものだな、と男は心の隅で考えながら、そっとその頭蓋を持ち上げた。ガソリンで焼いたのがまずかったのかもしれない。ともかく、口腔から眼窩へ銃身をさしこんで持ち歩くわけにはいかなくなった。

 チッ

 男は舌打ちをしてしばらく考えた末、バンダナを解いて髑髏を包み込んだ。砕けた頬の破片も、拾えるだけ拾った。バンダナの端をライフルにくくりつけ、背中に負う。

 男は無機的に立ち上がった。日射しがたまらなく熱い。ふう、と肩で息をつき、力なく、それでも一歩ずつ踏みしめるように歩きだす。

 3日前から、男は何も食べていなかった。見渡す限りの砂漠。方角の見当は太陽と星辰に頼る外はない。



 男は敗残兵だった。

 男の所属する部隊は奇襲に失敗し、惨めな敗走の中で壊滅した。火力の差が激しく、殆ど一方的な戦闘で虐殺が行われた。

 無数の銃弾に全身を穿たれておぞましい肉塊と化した者。頚から上が吹き飛んだまま、硬直した指先でSMGを乱射する者。夥しい無惨な死骸と、噎せ返る程の血と髄液と硝煙の入り混じった異臭。男の精神が崩壊しなかったのは、男が死体ずれしていたからでも、訓練の成果でもない。戦闘状態という別の狂気が既に男を支配していたからだ。

 ウィルという友人が同じ部隊にいた。同期兵で、故郷もすぐ近くだったことから男と仲の良かった彼は、男の目の前で手榴弾の爆発に巻き込まれ、四散した。物陰にいた男には怪我はなかった。しかし、強烈な爆風によって、ウィルの骸が男の傍らにまで飛ばされた。頭から胸、左上腕にかかるその肉塊は、心臓とおぼしき臓物を引きずっていた。プルルン、とまるでゼリーのように震えながら、それは急速に萎んでいった。男は呆然とその様を見つめていたが、生暖かい湯気が男の鼻腔を突いたその瞬間、男の内部で何かが弾け飛んだ。

 声にならない絶叫をあげ、男は友の肉塊をつかんで走り出した。手近にジープを見つけ、飛び乗る。機関砲が掠めたのだろう、運転席の兵士は頭を半分こそげ取られ、白目を剥いてヒクヒクと痙攣していた。男は彼を蹴落とし、イグニッション・キーを捻った。ウォンッ、と小気味よい音をあげて、軽くフロントを持ち上げながら男はジープをダッシュさせた。

 数人の兵士を撥ね飛ばしながら、男は夢中でジープを駆った。戦場を完全に離脱するまでに、男の身体を数発の高速弾が撃ち抜いていた。

 しばらく走り、小さな河のほとりで男はジープを停めた。血と吐瀉物で汚れた身体を神経質に洗い流した後、男はおもむろにナイフを抜き、友の肉塊から首を抉り落とした。臓物を引きずった肉塊よりは、ただ首だけの方が抽象的で、少しはましなものに見えた。

 胸部はその場に捨てた。首は大方血と髄液が下りてしまってから、ガソリンをかけて焼いた。そして髑髏が残った。

 男は髑髏を携え、ふたたびジープを走らせた。現在位置はよくわからないが、おおよそ南方が味方の勢力圏内だ。しばらく行くと砂漠地帯に出た。どこかの町までガソリンが持つとは思えないが、引き返すわけにはいかなかった。

 数十キロ進んだところでガソリンが尽き、ライフルと髑髏と、そしてほんの少しの水を携えて男は歩きだした。水は翌日の昼に尽きた。

 それから三日、男は飢えと渇きに苛まれながら歩き続けていた。



 夜になった。男はバッタリと倒れ込むように腰を降ろす。一面が砂漠なのだから、座り心地のいい場所を探す必要はない。動くのが厭になった時に座る、それだけだ。

 大きな溜め息を一つ、意識的に。

 男は極限まで疲れきっていた。明日の今頃は俺は死んでいるに違いない、そんなことを冷静に考えられる程疲れていた。

 ゴロンと寝転ぶと、自然に目蓋が閉じる。昼間の熱風とは打って変わった涼しい風が頬を撫で、砂漠の夜の厳しい冷え込みを予感させた。男は再び上体を起こし、傷だらけの指で砂を掘った。昼間のうちに焼かれた暖かい砂に埋もれていれば、少なくとも凍死は避けられる。

 掘っても掘っても風が新しい砂を運んできて、穴は一向に大きくならなかった。やがて男は指の痛みに堪えかね、力尽きてその場に倒れ伏した。ひゅう、と風が耳元を掠めるのを聞きながら、男は次第に意識が遠退くのを感じた。

 その時。

「生きて帰りたいだろうなあ」

 不意に誰かが喋った。

 ハッと我に返り、男は辺りを見回した。誰もいない。人間はおろか、いかなる動物の気配も男には感じられなかった。

 幻聴かよ、まったく……

 再び抗い難い力が男の意識に粘りつき、目蓋を重く閉ざす。

「こんな所で死にたくないだろうなあ」

 男は跳ね起きた。明らかに幻聴などではない。声のした方を見る。バンダナをほどいた憶えはなかったが、ウィルの髑髏が剥き出しになって、バンダナの上に載っかっていた。砕けた右頬が、男の目にはやけに虚ろに映った。

「今のはお前か?」

「そうだよ」髑髏がケタケタと笑った。

 ふん、ついに頭にきやがったか。男は口許に薄笑いを浮かべた。

「帰りたいだろう? 平和なあの頃に戻りたいだろう?」

 髑髏は泣きそうな顔をして言った。男はしばらく髑髏を見つめていたが、ふう、と大きな溜め息を一つつくと、諦めたように口を開いた。

「そりゃそうさ」

「そうだろ、そうだろ」

 髑髏は嬉しそうに笑った。しかし、じきに哀しそうな顔にもどって

「でも、見渡す限りの砂漠だもんなあ。お前の体力も限界だもんなあ」

「何が言いたいんだよ。おれは早く眠りたいんだがね」

「お前には生き延びてもらいたいんだけど、無理みたいだから……。今夜は寒くなるぞ。その分、明日はムチャクチャ暑いぞ。ゆっくりと衰弱して死ぬってのは、苦しいんだ。ライフルの弾、残ってるんだろ? どのみち死ぬんなら、いっそ頭を撃ち抜いて……」

「俺は最後まで諦めないぜ。まだ死ぬには若すぎる。死んじまった貴様をかわいそうとは思うがね、俺はまだ死にたくない。貴様の首は故郷の土に埋めてやるから、さっさと成仏しな」

 言い放ってから、男はふと考え込んだ。

 俺の狂気=妄想がこんなことを言うってことは、もしかすると今の俺に自殺願望があるのだろうか……。

「ありがとう。でも、無理だよ。帰れないよ」

「うるせえ!」

 自殺願望だなんて冗談じゃない。男は砂をつかみ、髑髏に投げつけた。勢いに押され、髑髏はゴロンと転がった。

 沈黙。

「おい……おい?」

 男の呼びかけに髑髏は応えなかった。男はふと、本来喋る筈のない髑髏に呼びかけた自分に気づき、笑った。笑いはいつしか鳴咽に変わり、泣きながらいつの間にか、男は眠ってしまった。



 男は夢を見た。故郷の夢だ。

 両親がいた。友がいた。そして恋人がいた。なによりも平和だった。

 夜になった。家族でテレビ映画を楽しむ。他愛もないアクション映画だ。男は恋人と寄り添い、ソファにくつろいでいる。画面を見ながら、肩にもたれる恋人の重みを心地よく感じる。弟達はもう眠そうだ。父親はグラスを傾けながら、母親は編み物をしながら、共に画面の英雄を眺めている。 主人公が拳銃を構えた。乾いた連射音。マグナムが? グラスと一緒に父親が砕けた。熱風に乗って硝煙の香りが部屋に立ち込めた。弟が弾かれたように倒れた。血しぶきが男の顔面を染める。敵襲? 囲まれたぞ、と誰かが叫ぶ。

 男は兵員輸送トラックから飛び降りた。次の瞬間、トラックに火線が集中し一気に燃え上がった。

 男はライフルを連射した。敵兵が面白いように薙ぎ倒されていく。3秒で弾倉が空になった。男は素早く弾倉を交換し、一発目を薬室に送った。真後ろで気配。振り向きざまに引き鉄を引く。銃声が……一発? 送弾不良! 男の目の前で敵兵士がひきつった笑いを浮かべた。銃口が男の胸に向けられた。

 次の瞬間、兵士の頭が横殴りに吹っ飛んだ。ウィルの援護射撃だ。ウィルは油断なくライフルを構えながら、男に向かって親指を立ててウィンクする。男は軽く手を上げてそれに応えた。

 カッ

 閃光が走り、一瞬後に凄まじい爆風が男を襲った。男は地面に叩きつけられたが、かろうじて気絶はしなかった。軽く頭を振り、立ち上がろうとして地面に手をつく。右手が奇妙なものに触れた。見ると、血にまみれたウィルの上半身が、まるで使い古しの雑巾のように転がっていた。

 不意に静寂が訪れた。すべての気配が消え、風景も消え、暗闇の中にウィルの死体だけが浮かんでいた。

 剥き出しの心臓が、ゆっくりと脈打っている。ちらり、と光がそこを掠めた。

 炎だ。

 ウィルの心臓から涌き出した炎は、チロチロと舌なめずりをするかのように全身を這い回り、ついには一本の火柱となって肉塊を包み込んだ。一陣の風が舞い、火柱ごとウィルの死体を風化させていく。さらり、さらりと、見る間にそれは砂塵と化し、風に運ばれて消えていった。後には髑髏だけが残った。砕けた右頬が妙に生々しかった。

 目を醒ませ、目を醒ませ

 髑髏の思念が、おどろおどろしい情感を伴って男の心に忍び込んだ。

 目を醒ませ、目を醒ませ

 目を醒ませ、目を醒ませ……


 喉に強い圧迫感を覚え、男は咳込んだ。

 目を開く。眩しい。朝? 人影。女だ、それもまだ若い。──銃口? 俺のライフルだ。どうして……

「姓名と階級、所属部隊名を答えて」

 女は明らかに怯えていた。男の目の前で、銃口が小刻みに震えている。男はまだ醒めやらぬ目で銃口を眺めていたが、ふと我にかえって

「な、なんで砂漠の真ん中に女が……」

「聴かれたことに答えて!」

 ビクッと身体を震わせて、女は叫ぶように命令した。男は呆然と女の顔を見つめ、ゆっくりした口調で姓名、階級、部隊名の順に答えた。

 女の緊張が少し和らいだように見えた。

「──そう、あの部隊の生き残りなのね」

「知ってるのか?」

「ひどい虐殺だったらしいじゃない。公式ニュースじゃないけど、噂は広まってるわ……あの日からずっと逃げ回っているのなら知らないでしょ。終わったのよ、戦争」

「──へえ、そう」

 男は無感動に応えた。

「核がいくつか落ちて、一昨日停戦になったの。さ、立って。街まで案内するわ」

「街だって? 砂漠の真ん中に?」

「あら……そうよね、知ってたらこんな所で寝てやしないわね」

 女は口許で笑った。銃口が少しさがったので男が安心して上体を起こすと、女はハッとしてライフルを構え直した。

「ごめんなさいね。あなたが脱走兵じゃないって証拠はないから……悪いけど、街まで銃は私がもつわ」

 男の表情にかげりがよぎった。

 俺は──俺は、脱走兵なのだろうか。俺の行為は敵前逃亡に問われるのだろうか。確かに俺は、作戦行動中に勝手に戦場を抜け出した。撤退命令だって確認したわけじゃない。

 脱走兵は銃殺というのが昔からの軍律である。男は、助かったという束の間の喜びから、不意に足許を掬われて虚空に投げ出されたような気がした。

 結局、戦場で死ぬか刑場で死ぬかの違いかよ……

 そんな男の思いも知らぬげに、女は笑顔で笑った。

「ほら、すぐそこ、丘みたいになってるでしょう。あの向こうが街なの。昨日のうちにもう少し歩いていれば、昨夜はベッドで眠れたのにね」

 男は女の導くまま丘の上まで歩いた。そこから見下ろす位置に、思ったより大きな街が広がっていた。町よりは大きく、都市よりは小さな街。その中心部を、ちょっとした河が流れている。戦争の傷痕の見られない、平和な光景であった。

 夢にまで見た平和の中で、俺は銃殺されるのか。男は何故だか無性におかしくなって、声に出して笑った。女はその笑いを勘違いして、自分も一緒に笑った。

「さ、行きましょう。早く手当をしてもらった方がいいわ」

 女が男を促す。男は逆らわず、女の先にたって歩きだした。

 一歩一歩、砂の感触を確かめるように踏みしめながら男は歩いた。バンダナ包みの髑髏を小脇にかかえ、心の中でつぶやく。

 俺もお前と同じように、骨になって故郷に帰ることになりそうだ……

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