消えることのない愛の灯火 フェイブル視点

王宮から戻ると両親はすでに食事を終えていた。

二人ともいつもと違い表情が固い。何かあったのか聞こうとすると、夕食後に書斎に来るよう父に言われた。


父はどんな内容の話であっても家族が全員いる時に意見を求めるように話す。家族に秘密を作ることも、家族の事を勝手に決断するのも好まない人だからだ。職務で大きすぎる秘密を抱える必要があることも要因かも知れない。

いずれにしろ貴族としてはかなり異端ではあるが、領地をほとんど出ることもなく、職人と共に人生の大半過ごしているような人なのでそもそもだ。

それでも貴族然りとしていられるのは、圧倒的な細工技術を誇り国宝を始め貴族の身に付ける装飾品は全てカートイット領またはカートイットから巣立った職人の手によるものであるという現実があるからだ。

貴族としての元々持つ権威は弱くとも、王族からさえも不当に扱われたりすることはない確固たる地位を築いている。

その父が改めて話があるというのは、交渉や判断の余地のない案件ということに他ならない。私には想像もつかない、しかし避けることもできない不条理な何かが起きているに違いない。

食欲の湧かない食事を無理やり喉に押し込み、一応の食事を終え父の元に向かった。


「お父様、フェイです。参りました」

「入りなさい」


私と同じ薄桃色の目が悲しげに震える。そっと息を吐くと、紙を一枚机の上に置き、私を見つめて言った。

「フェイブル。これにサインをしなさい。届いた時点で相手のサインと王族の許可はすでに終えてあった。私達はどうすることもできない。……すまない」


視線だけを紙に向けると、体が硬直したまま震え出す。

……婚約破棄同意書。見覚えがある少し癖のあるクロウのサインが見える。

事実は確認しているのに脳が心がその事実を認識できない。


「……お父様。自室に持ち帰っても宜しいでしょうか。……朝には必ずお渡し致します」

「ああ。何かあれば何時であろうと部屋に訪ねてきなさい。大切なフェイ」

「……ありがとう。お父様」


震える手に紙を取り、足早に自室に戻り、机の上に叩きつけるように紙を置く。

膝から崩れ落ち嗚咽が溢れ出し、それとともに胃の物もせり上がってくる。身体中が悲鳴をあげている。


……クロウのサイン。婚約式の時、隣で書く貴方の姿を見つめていた。少し震えた癖のある……。

目の前には同じく少し震えたサインがある。


「あなたはどんな気持ちでサインしたの……」


気が付くと庭に飛び出していた。クロウの気持ちが知りたい!

愛を疑った訳では無い。それでも知りたかった。


……誰が閉じたのだろう。クロウへと繋がる庭の扉は固く閉ざされていた。

放心しながら、扉の前に座り込む。

涙は止めどもなく流れ落ち、靴下の下に潜むアンクレットを壊れた細工人形のように撫で続けた。



水音が聞こえる……水車小屋の周りにはレディハートの葉が可愛らしく揺れている。

水車小屋を隠れ家に十一歳の私達が楽しそうに話している。


「フェイお待たせ!」

「クロウどうしたの!?凄い量の荷物ね!」

「秘密だからな?今日必要だと思って持ってきたんだ」


そう言ってクロウは大きな木箱を開けた。黄色とピンクの様々な種類の原石が現れる。


「クロウ!!これ!……」


思いがけず大きな声になり、指を唇に押し当てられ慌てて口を噤む。


「今日はフェイと婚約の証のデザインを考えようって言ってただろ。ですから、お父様の大切な保管庫からお借りして参りました」


そう言いながら、恭しい態度で原石の山を私に差し出してくる。


「……そんなこと言って、黙ってもってきたんでしょ!後で怖いわよ?」

「その時はフェイも一緒に叱られてくれるだろ?……ね?」

「……もう、仕方ないわね」


シャーレッツオ領は鉱山が多く林業も盛んで、採掘される宝石の質は一級品だ。また、採掘は危険を伴うため、自領で対処ができるよう優れた騎士、医師、科学者を毎年排出している。

領主一族であるクロウはどの道に進んでも良い能力を有した上であえて騎士を選択した。お義父様への思いがあるのだろう。


「フェイ!この石はどう?俺の瞳に近いと思わない?」

「イエローアパタイトね……これはダメよ。とても綺麗だけどその石は人を欺く石よ。少しもクロウに似てないわ」

「それは、確かに俺じゃないな」


クロウが私の少し赤くなった頬を見て得意そうに微笑み、ほんの少し声低いトーンで尋ねられる。


「じゃあ、フェイ俺に近い石はどれかな?」

「……これだと思うわ。イエロートパーズ……」

「どんな石か教えてくれるかな?」

「じ、自分で調べたらどうかしら?」

「ふはっ!分かった調べてみるよ!」

「ねぇ、フェイの瞳は絶対この石だよ!フェイの瞳そのままだから、きっと素敵な意味に決まってる!そうでしょ?」

「そ、それも自分で調べたらどうかしら?」


恥ずかしくて膨れた頬にクロウが口付けて、思わず笑いながら一緒にデザインを考えた……

時間が経つのも忘れて……



「カチャン!」突然の音に現実に引き戻される。

涙は変わらず頬を濡らしていた。

目の前で扉が壊れんばかりに音を立て始めた。

この酷い現実から私を救い出そうとしてくれているかのように……


縋るように見つめていた扉がピタリと静まった。

一瞬の静謐にカラカラに枯れきり、理を失った声が聞こえる。


「はっ、ははっ…フェイ…愛してるよ……あい、して……ごめん、ね…」


「うっ……!!」


思わず涙と共に込み上げた声を両手で必死に抑える。

貴方を貴方をここまで追いやったのはいったい何なの……!

尽きることない懺悔に、クロウの壊れいく心にかける言葉などない。

変わらず愛してる!疑ってなどいない!貴方を信じてる!謝ったりしないで……

口から飛び出そうになる言葉を両手で必死に押さえつける。

言ってしまえば、それは決断せざる得なかった、傷だらけで悲鳴をあげるクロウの心を完全に壊してしまう。

言葉も嗚咽も震えも押さえつけ、魂が引き裂かれる思いで扉から遠ざかる。

私は考えなくてはならない。何ができるのかを。

今にも壊れそうなクロウの心を守るために。


「はぁ……はぁ……」


無意識に呼吸まで止めて居たようで、邸に戻ると胸に手をやり、荒い呼吸を整えながら、ジーンの手を借りて自室に戻った。


「一時間ほど一人にしてくれるかしら……その後お願いしたいことがあるの」

「かしこまりました。ゆっくりお茶のご用意をさせて頂きます」

「ありがとう」


ジーンが出ていくと。首飾りを取り出した。


「これを付けることはもう無いのね……貴方の愛は変わらずあるのに……」

イエロートパーズに涙が落ちる。クロウの泣き顔が思い浮かび、悲痛な声が蘇る。

私が泣いたらクロウを泣かせてしまう。溢れ出そうな涙とともに首飾りを引き出しの奥にしまい鍵をかける。

私は首飾りと共にこの思いを隠さなくてはならない。私の思いが表にでれば、それはきっとクロウの足枷にしかならない。私を切り捨てでも成し遂げなければならない目的の邪魔になってしまう。


姿勢を正し、サインをする。

«フェイブル・カートイット»

震えも滲みもない冷たい書跡が出来上がる。


ノックの音がしてジーンが手早くお茶を準備する。


「ジーン、この書類を今すぐお父様に渡して来て欲しいの」

「かしこまりました。お嬢様、こちらを……腫れが残っては明日に差し障りがありますから……」

「ありがとうジーン。そうするわ」

「では失礼致します」


お茶を口にすると、受け取った冷たいタオルを目に当てる。

今後クロウと直接連絡を取る事は出来ないだろう。私に出来ることは元気な姿を見せることと、可能ならば自分で情報を集めて、内密に手助けできることがないか探ることだ。

冷静さを取り戻してなお、心の一番奥の暖かさが変わらず自分を支えていることに気付く。

自然とアンクレットに指が触れる。

この思いは一生消えないのだから、隠し持つことだけはどうか許して欲しい。


「クロウ愛してるわ……」


二度と今までのように告げることのできない思いは暗闇に消えていった。

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