雷雨の婚約式 クロウゼス視点
長い外廊を歩き、見上げれば厚い黒々とした雲が空を覆っていた。
次第に大粒の雨が降り、稲光が空を駆けては低く鈍い音が鳴り響き、雷の近さを物語る。
立ち止まり、これほど今の気分に似合う天気もないなと自嘲気味に笑い、ふとフェイブルとの婚約式の日に見た女の姿が脳裏に過る。
「神の予言か忠告か……どちらにせよ不快なだけで何の役にも立ってないな」
そう独りごちたところで後ろに控えるヴァンスがお急ぎをと言った。
聖堂の大きな扉の前には既にノミンシナが待っている。鬱々とした顔に紳士の仮面を貼り付け、彼女の手を取り隣に立つ。当然、世辞も忘れずにだ。
扉が開き、荘厳な音楽に導かれるまま神の御前に立ち教皇と聖女の言葉を聞き流す。
感情に揺れはない。紳士の仮面は微動だにせず、ただ淡々とことを運んでいく。
ハオスワタ侯爵夫人の感嘆の吐息も、令息であるハンネルの悔しがる唸りも、我が義姉上から発せられる憤怒の気配でさえ俺の心に小波ほどの揺らぎも与えなかった。
神の彫像を見上げ、近くで響く雷鳴を聞き、それが心地良いと思った。
今この場に雷でも落ちれば、この婚約は厄災を呼ぶとでも噂になってくれるのではないかと稚拙な考えをしたが、そんな事は有り得ないと自嘲した。
台座に置かれたセンスの欠片もない下品と言ってもいいブローチと首飾りを目にする。
どちらもイエローアパタイトとレッドアンバーが使われていることから予想通りノミンシナもカートイットに作らせたのだろう。どこまでも底意地の悪い女だと思う。
俺がイエローアパタイトを使用すること以外、何も指定していないにも関わらず、こうして対になるように作られているというのは、そういう事だ。
それを互いに身に付けて誓約書に署名する。
王の一言で神への宣誓すら取り消されるのだから誓いに意味など無いなと《誓い》というもの自体を謗り、神など王の歯牙にも掛からない存在でしかないのだろうと嘲た。
天罰など無い。神など役に立たない。だから、他の何者も俺を救わないのだ。
ノミンシナとの婚約を誓う口上を述べながら、胸中で別の宣誓を述べる。
――役立たずな神よ、必ずこの女の首を斬り落とすと誓おう。
全てはフェイブルの為だ。そう思えば自分の手が血に染まることでさえ嫌ではない。他者の大切な人間を奪うことにすら呵責を感じない。
今までは少なからずあった感情さえノミンシナとの時間を過ごすうちに消えたのだと実感する。
――紅蓮の魔女、感謝するよ。貴女のお陰で俺は本物の化物になれそうだ。
士官学校に通う中で陰口のように呼ばれていた渾名を思い出しながら胸中でそう呟き、愛しそうに彼女の赤い瞳を見つめ、彼女もまた俺の胸中など知らずに蠱惑的に笑んだ。
「ふふっ、似合っているわ。わたくしの赤が」
俺の首元に光るブローチに使われたレッドアンバーに手を伸ばし、愉悦の表情を浮かべる。
俺もまた彼女の首飾りに触れ、ゆっくりとその首筋に指を這わせた。
どうやって斬り落としてやろうか、それしか考えていなかったがノミンシナは俺の行動をいたく気に入ったらしい。
わざとらしく身を捩って頬を紅潮させ、顔を隠すように俺の胸に身を寄せた。
「こんな事で恥ずかしがるだなんてシーナらしくないね。可愛い人、どうか顔を見せて?」
彼女の手を取り、指先に口付ける。
どうせ全て自分の思うがままに進んだと嘲り、ほくそ笑んでいるのだろう。
「もっと愛を囁いてくれるかしら?」
「貴女が望むならいくらでも」
「傍に居てくれるかしら?」
「貴女が望むならどんな時も」
「願いを聞いてくれるかしら?」
「貴女が望むなら全て叶えよう」
そう話して赤いビロードの絨毯を歩き、両家の親族に見送られて聖堂を出た。
嫉妬に燃えるハンネルの顔を思い出し、クツクツと声を殺して笑うと不審に思ったノミンシナが何かあったのかと尋ねてくる。
「貴女の弟君が同じ隊にいるのだけど、どうやら愛しい姉上が私に取られたと思っているようだよ」
「まぁ、そうなのね!ハンネルには言って聞かせておくわ。それで、この後は我が家に来るでしょう?」
縋り付く手を緩やかに離したことで不満げな顔をする。
外廊から空を見上げ、響く雷鳴に耳を傾ける。
「いや、この嵐だからね。いつ呼び出されてもおかしくないから家で待機する予定だよ」
「婚約初日なのよ?寄り添い合うのが普通ではなくて?それに恋人を嵐の夜に一人にするだなんて信じられないわ」
一人とはよく言ったものだと思う。俺が居なければ別の男を呼び出すだけだろう。
そもそも、これは婚約に過ぎず婚姻ではない。何を勘違いしているのかと吐き気がする。
「シーナ、私はまだ騎士見習いに過ぎないんだ。一人前とも認められていない以上――」
そう話している時に伝令騎士が現れる。
それは近くの川が氾濫寸前であり、周囲の街や村の住人を王都に避難させているという報せだった。
当然見習い騎士も混乱や暴動が起きないよう駆り出されるため、呼びに来たらしい。
外に馬を待機させているから早く来いというものだった。
「すまない、シーナ。ハンネルを連れていく」
彼女の返答も聞かないまま聖堂に向けて踵を返し、勢いよく扉を開けた。
まだ聖堂にいた親族たちから驚きの視線を受けつつ、ハンネルと兄上に呼び掛けた。
「兄上、ハンネル、招集命令だ。周辺地域から避難民が来る」
「わかった」
端的に返答をして駆け出した兄に対してハンネルはオロオロとして動こうとしない。
「ハンネル、置いていくぞ」
一言そう言って俺は兄上に続いて走った。
外で待機していた馬には見覚えがある。
例え濡れていても鬣から何から何まで美しい白馬のホーリッド。キエナの愛馬の弟馬だ。この兄弟馬は早駆けに秀でた優秀な馬であり、サノス公爵夫妻の愛馬の息子でもある。
何度か会いに行き自ら選んだホーリッドは俺が正式な騎士に昇格するまでに調教しておくという話だったが、ここに居るということは彼が特段優秀だったということだろう。
伝令騎士に渡された外套を雑に羽織り、無駄に着飾った身形のまま城へ向けて馬を走らせた。
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