魔女と王の謀 クロウゼス視点

デビュタントの翌日、日課の朝稽古を終えてから登城した俺を待っていたのは予想外の人物だった。


「ご機嫌よう、クロウ。待っていたのよ?」

「……何故、この様な場所に?」


騎士棟の門前には、朝から見るには胸焼けがする程にケバケバしいハオスワタ侯爵令嬢が相変わらずぐるぐるときつく巻いた赤茶の髪を靡かせている。

俺が返した言葉は普段よりもワントーン低いものだった。許した覚えのない愛称も婚約者が居る俺を待っていたなどと宣うのも全てが腹立たしい。

かと言って相手は侯爵家、失礼な振る舞いなど出来る訳も無く俺は苛立ちを心の奥に沈め込む。


「待っていたと言ったじゃない。それに婚約者の事は愛称で呼ぶとも言っていたわよね?」

「えぇ…」

「ふふっ、シーナと呼んでくださる?わたくしの婚約者様?」


何を言っているのか理解が出来ない。

俺がこの下卑た女の婚約者?悪ふざけも大概にして欲しい。

腕に絡み付く彼女を軽蔑を込めて振り払うが、彼女は驚く素振りすらなく高慢に笑った。


「そのような態度で良いと思ってるの?そろそろお家の方がお迎えに来るわよ?」


そこに早馬が到着し、侍従のヴァンスが父上からの言伝を持ってきた。


「旦那様が至急帰宅するようにと仰せです」

「それは……」


チラリと相変わらず腕に絡み付く女を一瞥してヴァンスから手綱を受け取る。

婚約者の変更など有り得ない。そんな事ある訳がない。

婚約破棄をしないままに相手が変更されるなど聞いたこともないし許されるわけがないのだと嫌な予感を払拭するよう自分自身に言い聞かせた。

ヴァンスが頭を下げたところで彼女の深紅の紅を引いた唇が動き、俺の頬を彼女の細い指がゆっくりと這う。


「明日はシーナと呼んで頂戴ね。クロウ」


寒気が走り、嫌な汗が背を伝う。

到着したばかりの城を背に令嬢の手を振り払い俺は帰宅を急いだ。



邸に到着するなり馬を従者に預け、俺は父上がいると教えられた書斎に走る。

ノックをする事すら忘れ、勢いそのままに扉を開ければそこには近衛騎士団長の正装を纏った王によく似た人物の姿があった。

いや、確実に彼は国王陛下その人で間違いない。

幼い頃、父上と共に拝謁賜った時に見たのだ。

国王陛下の右頬には薄らと傷跡があり、昨夜座していた人物にその傷跡は無かった。


「父う、え?」

「クロウゼス、行儀がなっていないぞ」

「……申し訳ありません」


無作法を咎められ謝罪を口にするが気になるのは何故王が近衛騎士団長の姿で伯爵家などに居るのかだ。

父上が怪我をする前に国王陛下の護衛を務めていたのは知っているが、その後何らかの交流があったとは聞いていない。

母方の伯母が王弟に嫁いでいる故に多少の繋がりはあるのだろうが、何らかの件の責任を負い騎士団から退いてからは直接的な交流は控えられているはず。


「まぁ、良いでは無いか。どこぞの魔女に何かを聞いたのかも知れんぞ?」


クスクスと愉快そうに笑う王へ父上は物言いたげな視線を向けてから俺に視線を移し一言「座れ」と言う。

王の側近の手によって俺の前に二枚の書類が置かれた。

彼も優秀な侍従であることは間違いないだろうがその侍従でさえ重苦しく視線を外すようなものらしい。


「さぁ、クロウゼス。優秀なお前であれば、それが何なのか理解できるだろう?俺が此処にいることの意味もだ」


一枚はサインの無い婚約破棄の書類、もう一枚は相手のサインが既に記入された新たな婚約の書類だ。

これは、悪夢か何かだろうか……


「陛下、俺……いや、私は……」

「動揺するのも分かるが、私が此処にいることの意味を考えろと言ったはずだ」


これは王命だと、目の前の人物は言っているのだ。

拒否権は無い。拒否などすれば要職に就いてすらいない伯爵家など簡単に潰せるのだ。


「そうだな。もし拒むのであれば、フェイブル・カートイット嬢を人質として隣国に送るのも良いだろう」


王の言葉に頬が引き攣る。

王という物は、ここまで傲慢なのかと震える手が止まらない。


「ハオスワタ侯爵には現在、ある疑惑が上がっている。その証拠を掴めば、娘諸共引きずり下ろせるのだがなぁ……そうすれば、お前をカートイット嬢の元に戻してやることも出来るが、どうする?」


呼吸がしづらい。

拒否権など用意していない癖に、この男は「どうする?」と聞くのだ。

正直に言えば、この場で斬り殺してやりたいとすら思う。


暫しの沈黙を置いて「相応の褒賞はあるのでしょうか」と返答した俺に国王は豪快に笑った。


「いいだろう。完遂したならばカートイット嬢との婚約を戻すだけではなく、お前自身に侯の位を与えてやろう。それだけ重要な任だ」


何をどう足掻いても『はい』以外の返答は許されないのだ。褒賞なんてものを聞いたのも時間稼ぎでしかなかった。

何もいらないからフェイブルだけは奪わないでくれと言うことすらできない。

引き離される前に彼女を連れて逃げようかとも考えた。でも、そうすればフェイブルに大切なものを捨てさせた俺自身を許せなくなる。

真っ直ぐ前を向くことすらできないぼやけた視界で王の指が一定の速度で膝を叩くのだけが鮮明に見える。

早くしろ、と。答えなどひとつしかないだろうと思考を奪うように急かす。


深く息を吐いて、頭の中で謝罪を口にする。

不甲斐ない婚約者でごめん、と。


「……分かりました。お受け致します」


重畳だと言わんばかりに口端を歪ませた国王に対して俺の顔に表情と呼べるものは無かった。

これから俺は最愛の人の心にも名にも傷を付けるのだ。

俺が悲嘆する事など許される訳がない……

羽根ペンを手に取り、震える手を無理矢理押さえ込んでペンを滑らせていく。

一つ文字を書く度に心が死んでいくような、そんな感覚があった。


「よく決意してくれた。詳細は後で聞くといい。では、職務に戻れ」


父上の何とも言えない表情を見て、視線を合わせることも無く席を立つ。

足元が覚束無いような気がするが、再び登城する為に馬を走らせた。


騎士棟に到着し稽古場に足を進めれば、既に数人が肩で呼吸をしながら、地に転がっている。


「お!クロウゼス来たか!」


ケメロイ隊長の溌剌とした声に全員の視線がこちらに向くものの俺の表情は変わることがない。


「初日から申し訳ありませんでした」

「いや、言伝は受け取っている。今は新隊員の力量を見ているのだが、すぐに入れるか?」

「はい、問題ありません」


俺は近くに転がっていた剣先の潰れた剣を手に取って相手の名乗りを待つ。

目の前に立つのは長身の優男だ。見覚えのある薄紫の髪は彼が間違いなくショモナー伯爵家の嫡男であると告げている。


「クルライ・ショモナーだ。宜しく頼むよ、色男くん」

「……クロウゼス・シャーレッツオです。宜しくお願いします」


嫌味なのか揶揄いなのか判断のつかない言葉を受け流し、幾度か剣を合わせたあとクルライが俺にだけ聞こえるように「やはり婚約者を捨てて地位を取れる男は違うな」と謗る。

その言葉は俺の理性を削ぐには充分だった。

手加減などしていられる精神状態では無くクルライを先程まで目の前にいた国王に見立てて剣を振るえば、明らかな殺意にクルライが後退り怯んでいく。

鈍い剣戟に俺は笑みを浮かべ、怒りに任せて雑に斬り込む。


「ちょっ、待て……ひっ!」


クルライの制止をわざと聞かなかったことにして胴に一撃を入れ、続いて鼻を柄で殴打、強引なまでの力押しで彼の剣を払ってから覚束無い足元を蹴り払い、数度身体に剣を打ち込んだ。

自分自身、騎士の剣ではないなと思う。

模擬剣には血痕が付着し、周囲の者は畏怖の視線を俺に向けている。

もう一撃――そう振り上げた腕は何者かに掴まれた。


「止まれ!クロウゼス!!」

「クロウゼス・シャーレッツオ!そこまでだ!!」


耳に届いたケメロイ隊長の声とカルデン副隊長に腕を掴まれたことで、我に戻れば目の前のクルライは既に剣を落とし丸まった状態で震えている。


「おい!直ぐにクルライを医務室に連れて行け!クロウゼス、お前は少し頭を冷やすんだ」


国王もあの女もそれに連なる人物全てが憎くて仕方なかった。

謝罪する気にもなれないのは、丸まったこの男がハオスワタと懇意にしているショモナーの嫡男でハオスワタ令嬢と俺の婚約について何かを知っているからだ。

どうせお前も噛んでいるのだろうと思えば、殺意しか沸かなかった。

八つ当たりだと言われれば、それまでだが冷静になどなれない。


模擬剣を取り上げられ、ケメロイ隊長によって執務室に連れられた俺は静かに一人掛けのソファーに腰を下ろした。

飾り気のない執務室に少しの静寂があってから隊長が重い口を開く。


「一体、何があったんだ。あんな暴挙に出るような人物だと報告には無かったぞ?」

「暴挙?あれぐらい防げなくて騎士が務まるのですか?あれぐらいの事が暴挙だと?なんて生温い……」


光の無い俺の目を見てケメロイ隊長は言葉をなくし、ソファーに座る。


「本当に何があったんだ。クロウゼス、言ってみろ」

「……言えません。それに明日になれば、どうせ社交界で広まりますよ」

「俺では解決出来ないか?悩みを聞くに不足するか?」

「心遣い感謝します。ただ、誰にも言う気はありません」


投げやりに吐いた言葉に温度は無い。

ハオスワタ侯爵が長子に後を継がせたくないというのは有名な話でノミンシナの夫になる人物に爵位を譲ることも想定しているというのも誰もが知っている話だ。

明日には俺がフェイブルを捨てて地位を取ったのだと噂が広まるだろう。

仲睦まじい姿は全て幻想で、虚偽で、茶番だったのだと。

誰もが口を揃えて言うのだ。

シャーレッツオの二男は薄情で冷酷な男だと。

結局、隊長が聞き出すことを諦め、俺は単独での訓練を終業時間まで続けてその日の訓練は終わりを迎えた。

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