第38話 前世(むかし)は昔 1
街の外れの宿屋の影からラダは姿を現した。
『この宿から出てくるはずじゃ』
「ありがとう」
彼女は影から抜け出ると、宿の方へ歩く。すると、入り口から二人の男女が出てきた。
「これはこれは、ラダさん。精霊の力ですか」
焦げ茶の髪に琥珀色の瞳の女性――イオラは眼鏡を投げ捨てると嘲笑う。
それから男――ホンザに指示をして楽器入れを開けると剣を取り出した。
歩いていた人々は、立ち止まり何が始まるのかと、ラダ達の様子を覗う。彼女を知る顔はそこにはなかったが、精霊の力を借りれば、その話は街中に広まるはずだ。
(だから、私は、決めた)
「風の精霊、火の精霊、水の精霊、闇の精霊、光の精霊。私は願う。私が例えどんなに傷ついても、死に至ったとしても彼女には何もしないで。これは私の願い」
「な、なにを!」
対峙するイオラの表情が歪むのがわかり、彼女の狙いが完全に理解できた。ラダの精霊の力を大衆に見せ、噂を事実にするつもりだったのだ。
(そんなことさせない。私のことが広まれば、お父さんとお母さんに迷惑がかかる。そんなことできない)
精霊たちからは声が聞こえない。
けれども精気を対価にした彼女の願いを彼らがいつも叶えてきた事を、彼女は知っていた。
「……いいでしょう。私の願いとあなたの最終的な願いは同じかもしれないですね。ホンザさん。私一人でやりますから」
「イオラ様」
しばらくの沈黙の後、イオラはそう言い、剣を構えた。
「おい、おい。何が始まるんだ!」
「止めろ。おい。姉ちゃん。何をする気だ」
見世物か何かと傍観していた人々が騒ぎ出し、ホンザがそれを制する。
「黙っていてください。イオラ様の邪魔です」
制止を聞かない男が飛び出したが、ホンザはそれを力で抑えた。
「ラダさん。いや、ヤルミル。私は復讐を遂げる!」
イオラが駆けてくるのがわかり、ラダは目を閉じる。
死を覚悟した時に浮かんだのはウルシュアの顔だった。笑顔を望んだのに、彼女は泣いていて、ヤルミルは酷く後悔して死の淵に沈んだ。
(……そうだ。笑顔じゃなかった。最後の顔は……)
ウルシュアの顔が変化して、今度はアレシュになった。紫色の瞳はとても優しくて、見つめられる度にラダの胸が騒いだ。
(大丈夫。彼は泣かない。大丈夫……)
「ラダ!」
「えっと、闇の精霊。気まぐれにこの辺一帯を闇で覆ってもらえると嬉しいなあ」
二つの声がラダの耳に届く。
精霊の姿が見えるのも、その声が聞こえるのも彼女だけだった。なので、ケンネルが闇の精霊に対して話しかけたことに驚いた。
困惑している彼女を抱きしめたのはアレシュだ。
けれどもラダが彼を感じたのは一瞬で、直ぐに気を失った。それは精霊によって精気を奪われたせいなのだが、アレシュは驚いて彼女の息を確認する。そうして静かな寝息を聞いて、彼は胸を撫でおろした。
ラダを地面に横たえ、彼はすぐに辺りが闇に覆われて混乱するイオラを捕獲。問答無用で締めあげて口に布を詰める。ケンネルはホンザの確保に向かったが、抵抗は少なく、簡単に拘束された。
精霊は人の声を聞くことができる。
精気を対価に願いを聞く。
通常精霊は、ヤルミルやラダのように己が愛する者の願いしか聞かない。けれども精霊が気まぐれに事を起こすことがある。そう、気まぐれに。
ケンネルはそう推測して精霊に請うた。
二人がラダの店に到着して不在のことを確認して焦っていると、風によってラダの元に運ばれた。
上空から降ろされる寸前、ケンネルは何が起きたのか人々に知られないため、またイオラの動きを止めるために闇で辺りを覆ってもらう必要があった。なので、彼は闇の精霊に請うた。
こうして精霊たちは、ラダの願いで彼女を傷つけようとするイオラには何もしなかったが、気まぐれにアレシュとケンネルを援助し、間接的にラダを助けることになった。
☆
「皆さん、楽しんでいただきましたか?これは劇の一場面を再現したものです。近日上演するので是非劇場へ足をお運びください」
闇が開け、残されたホンザが調子よく声を張り上げる。
すると先ほどまで何事かと騒いでいた人々が別の意味で歓声を上げた。中にはホンザに細かく質問する者がいて内心汗をかきながら、彼はケンネルから指示された内容に逸脱しないように、ぼかしながら答える。
(ケンネル様。やっぱりあの人、頭おかしいっす。でもこれならイオラ様は罪に問われない)
闇の中、ケンネルはホンザにある提案をした。
このままではイオラは罪に問われる。
大衆の面前で剣を構え、少女ラダに切りかかったのだ。
なので、ホンザは彼の提案にのり、ベルカ家に向かう一行とは別にこの場に残った。
(イオラ様。待っていてください。後で会いに行きますから)
ケンネルがイオラに危害を加えないことは約束済みで、ホンザは自分の役目を果たすことに専念する。
「さーて、この美しくも悲しい愛憎劇のこの結末を見たい人は……」
彼はイオラのことを思いながら、即興で考えた謳い文句を景気よく人々に宣伝し続けた。
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