第7話 市場


 翌日、親にばかり頼るのも情けなく、アレシュは自らの足で彼女を探すことにした。

 ヤルミルの生まれ変わりかもしれない少女は、格好から平民の娘であるので、もしかしたらまたお使いのために市場に来るかもしれないと予想したのだ。会える可能性は限りなく低いが、アレシュはその可能性に賭けてみた。

 騎士や貴族の恰好では浮いてしまうので、家の庭師から服を借りて、屋敷からそっと抜け出す算段だ。



「アレシュ。帰りに何か甘いものを買ってきて頂戴ね」


 ヨレヨレのシャツに、薄汚れたズボンを履いたアレシュの恰好は、どう見てもおかしい。けれどもその背中に母は明るく話しかけてきた。しかもお土産を頼むなんて、やはり母は少し変わっていると思いながら、彼は「行ってきます」と玄関の扉を開ける。

 そして一歩出たところで、今度は服を貸してくれた本人が立っていた。


「ホンザ?どうしてここに?」

「おやっさんから頼まれたんっすよ。アレシュ様は街のことをよくわかっていないだろうから、案内してくれと」

「いや、それは必要ない」


 案内と言われても連れだって歩くのは目立ってしまうかもしれないと、アレシュは断る。


「まあ、アレシュ様がいらないって言うなら」

「バカモン!」


 ホンザがへらへらと笑って道を開けようとしていると、彼の後ろから怒声が放たれた。


「なんだよ。おやっさん」

「断るに決まっているだろう。アレシュ様なら。そこを無理やり案内してこそ、使用人だぞ!」

「そうなんすか?」

「いや、違う」


 ホンザの師匠のおやっさんこと庭師デニスの登場に苦笑しつつ、アレシュは首を横に振った。


「アレシュ坊ちゃま。どうか、このデニスの言うことを聞いてくだせい。街は広い。このホンザならどんな道も知ってるんで、どうか連れて行ってくださいまし」

「いや、だが、俺は市場にいくだけで」

「市場?アレシュ様、市場への場所は知っているんすか?なんで、市場なんかに。必要なものなら俺が、」

「ホンザ。用事があるのだ。俺が行かねばならない用事が。だから」

「アレシュ坊ちゃま。このホンザを連れて行くと約束してくだせい。そうじゃないとこのデニス、門は通せません」

「おやっさん……」


 子供のように門の前に立ちふさがるデニスに、その弟子ホンザは呆れた様子で首を横に振る。アレシュといえば、大きな溜息をついた後、了承した。

 小さい時からデニスは頑固でアレシュに過保護すぎだ。彼の意志を無視しようとすると泣き落としなど、困った手段を用いるので、彼はこういう時は大概受け入れることにしていた。


(まあ、実際。案内がいたほうがいいかもしれない。もしかしたら彼女に会えなくても、手がかりがつかめるかもしれないし)


「ホンザ、しっかり頼んだぞ」

「わかってるって。おやっさん」


 デニスはホンザの肩を叩き、アレシュには満面の笑みを浮かべる。

 そうして見送られ、彼は連れだって屋敷を離れた。



「ああ、黒胡椒が切れてしまった」


 焼き立てパンとスープの朝食を終わらせ、母は洗濯に走り、父は料理の下ごしらえをしていた。ふと肉の仕込み中に、父親が額に手をやってうなだれる。

 ラダの父の反応は大げさなものが多くて、それが多分火の精霊にからかわれる原因ではないかと、ラダは密かに思っていた。


「あ、なら私が買ってくるよ」

「ラダ。駄目だ。昨日の今日だから。まあ、黒胡椒が足りなくても……」

「駄目だよ。お父さん。それが元でお客さんが来なくなったら大変なんだから」

「でも、」

「今日は寄り道しないから。大丈夫だよ」

「……なら、すまないけど、お願いするよ」


 父から銅貨を受け取って、ラダはエプロンを脱ぐと正面玄関から通りに出る。胡椒は市場の最初のお店なので、他の下ごしらえをしている間に家に戻れると歩調を早めず歩いた。通りからは色々な香りが漂ってきて、誘われる。


『ラダ~~』


 たしか、光の精霊の声がしたと思ったが、それ以上何も聞こえることはなかった。

 なので気のせいだと思い、彼女は先を急ぐ。

 市場に到着するまで、珍しく精霊の邪魔が入らなかった。

 珍しい日もあると、黒胡椒を購入したところで呼ばれた。

 振り向くと、建物の隙間で影が揺らめいていて、ラダは小走りにそこに近づいた。

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