2ー③

─屋外訓練場


「そりゃー!」


 狐耳を生やした小柄な少女─えつ子は高く跳躍し、自分より遥かに身長差のある男性兵士の脇の下から手を掛けるように背後へ回ると、相手の体を軸に纏わり付く様に回転し、右腕を脇固めに捕らえ、前方に倒した。肩の関節を極められた兵士は残った左手で地面を何度も叩き、降参の合図を示す。


「ラ・ミスティカ……なんちゅう高度な技を……」


 英雄は思わず呟いた。えつ子が披露したのは、メキシコ式のプロレス『ルチャ・リブレ』で使われる高等テクニックであり伝説のルチャドール、スペル・リンピオの必殺技としてもお馴染みだ。


「もうしまいでござるかー?」


 ダウンした兵士達数十人に対し、えつ子は尻尾を左右に振りながら、余裕の面持ちである。その姿はまるで遊ぶ子犬の様だった。


「格闘訓練か」


 英雄が背後から話し掛けると、えつ子は体をくるりとを反転させた。


「親父殿!」


 目を輝かせながらえつ子は英雄の顔を見上げる。


「拙者に出来る事は戦闘くらいなので、その手伝いをと思ったのでござるが……」


 申し訳なさそうに言うえつ子の視線の先には死屍累々と倒れた兵士達。彼女はその矮躯で白兵戦のプロである軍人達を何十人と倒し、疲弊させた。


「よし。じゃあ俺が相手になろう。みんな医務室に行ってこい!ユリーナに治してもらえ」


 英雄が命じると兵士達は隊舎へと戻ってゆく。何人かの兵士は英雄に対し、「大尉殿、ご武運を」と言い残した。


「 良いのでござるか?相手が親父殿とはいえ、手加減はしないでござるぞ?」


 えつ子は言葉とは裏腹に、声音は嬉しそうであり、その証拠に尻尾は左右に激しく揺れている。


「構わんぞ。なんせ、俺も無敵の『メサイア』なんだろ?」


 英雄はクラヴ・マガと呼ばれる徒手格闘の構えを取った。かつて彼が所属していた国連エースパイロット部隊はMMS操縦の技術もさる事ながら、格闘・射撃・知識等他にも軍人としての技量がトップクラスに高くなければ入隊出来なかった。故に英雄も格闘の腕前は自信がある。


「そうでござったな……では!」


 えつ子は空手の中段突きを思わせる動作で左拳を英雄の鳩尾めがけて放った。英雄は命中する寸前で半身を捩り、それを躱す。すかさず伸びたえつ子の左手首を左手で掴み、外側へと唸りながら前方へ引き倒そうとした。 常人ならばそれでうつ伏せに倒れるはずだった……


「甘いでござるよ」


 まるで根を張る大木の如く、微動だにしないえつ子。彼女は掴まれた左手を振り払い、英雄の左手による拘束を力任せに解いた。そして跳躍し、英雄の側頭部めがけ右のつま先を思い切り叩き込む。英雄は咄嗟に右腕を上げ、上腕部でえつ子の蹴りを防いだ。が、その衝撃は鋭く重い。 まるで木剣で思い切り殴打されたかの様だった。身長140センチほどの矮躯から生えた細い手足は、その見た目から想像も出来ないほどの筋密度と膂力を秘めているらしく、もはや地球人とは身体能力が比べ物にならない。


「なかなかやるでござるな・・・ならば、拙者も本気を出さざるを得ないでござるよ」


 後方へ跳び、英雄と距離を取ったえつ子はおもむろに履いていた運動靴と靴下ーおそらく軍からの借り物であろうそれを脱ぎ、裸足になった。


「この姿ではヒトの履物は役に立たんゆえ・・・」


 そう言うと、えつ子の足は耳や尻尾と同じ色の毛皮に覆われ、踵が浮き、形状が変化し始めた。同時に上半身も毛皮で覆われ、頭部は髪の毛をそのままに口吻が伸び、糸切り歯は鋭く湾曲した犬歯に変化。その姿は2足歩行の狐である。常人ならざる彼女の正体は獣人だったのだ。


「この世界では目立つ為、セリカどの達に近い姿に化けていたでござるが、こちらが拙者本来の姿でござる。ヒトの姿では実力の半分も出せないでござ……何でござるか?」


 えつ子が説明している間に英雄は無言で近付いていた。そして、両手でえつ子の頬を鷲掴みにする。


「すっげぇぇ! フカフカのモフモフじゃねえか!」


 英雄はそう言うなりえつ子の頭部をくまなく撫で始めた。


「ござる!!?」


 えつ子の想定では、英雄は驚愕のあまりに硬直し、その隙を突いて勝つ予定であった。しかし、この反応は想定外すぎる余り、逆にえつ子が戸惑い硬直する羽目になった。恍惚の表情でえつ子を撫でまわす英雄は、撫でるだけでは飽き足らず、そのまま顔面を毛皮に埋めて擦り付ける奇行にまで発展していた。


「親父殿、くすぐったいでござるよ••••••いい加減にするでござる!」


 えつ子は口を大きく開き、英雄の左手に噛み付いた。




「……すまん、取り乱した」


 痛みで正気を取り戻した英雄は、狐の姿のままのえつ子と隣り合わせるように座っていた。彼は大の動物好きであり、自宅に熱帯魚や亀などを多数飼育している。本来ならば犬や猫と暮らしたいのだが、独身故にそれが叶わないでいる。


「全く、 せくしゅあるはらすめんとというやつでござるよ!」


 少々怒り混じりに頬を膨らませ、えつ子は続ける。


「シアどのは拙者のこの姿を見て驚いていたでござるから、親父殿もビックリすると思った

でござるのに……」


「ユリーナとセリカは?」


 えつ子に対し、英雄が問う。


「ユリーナどのの世界には、『こぼると』なる獣人がいる様で、慣れてると言ってたでござる。セリカどのは…少し驚いてはいたでござるが、カワイイなどと言って拙者の顔を撫で始めたでござる。 親父殿みたいに変態的ではなかったでござるけどな」


 えつ子の視線が少し痛かったが、英雄は別の質問をする。


「えつ子のいた世界が獣人達の世界なら、えつ子の父さん…そっちの俺も、獣人の姿をしているのか?」


 アラパイムではエルフの騎士、ヘテロティスでは機械生命体の科学者と、それぞれの世界で異なる姿をした自分について、英雄は俄然興味が湧いていた。


「拙者の父上は名を来満十六島守らいまんうっぷるいのかみギェロイ和親かずちかといい、姿は……そうでござるな。こちらの世界でいうと、あの生き物に似ているでござる」


 えつ子が指さしたのは、基地で稼動するベルジアン・タービュレンという種類の軍用犬だった。 舌を噛みそうな名をしたえつ子の父は、軍用犬に似た姿をした獣人の様だ。地球で軍人の自分が異世界パントドンでは軍用犬に似ているというのが何とも奇妙な巡り合わせである。


「いつか、俺もパントドンやアラパイムに行けるかな……?」


 英雄は心の底から思った事が声に出た。 異世界の自分たちはもう死んでしまったが、彼らの生きた世界を一目見てみたい。彼らの娘であるユリーナやシア、えつ子達を見てそう思うようになったのだ。


「拙者達がこちらに来れたのだから、親父殿が向こうへ行くのも可能でござろう。この戦いが終わったら、セリカどのに頼んで幻舞で連れて行ってもらおうではござらんか」


 戦いが終わったら–その言葉を聞くと、戦いの先にある目標が出来た気がする。それは英雄にとって一つの光明にも思えてきた。


「セリカどのは食堂で手伝いをしておったので、会うついでに飯を食らうと良いでござろう。拙者はもう少しここにいるでござるよ」


 えつ子は、人間の姿になると、その場に仰向けに寝転んだ。


「じゃあ、俺は食堂へ行ってみるか。またな、えつ子」


 英雄は立ち上がると、セリカが居るという食堂へ歩き出した。

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