雨蛙の紋

@Alecsandra

第一號

 雨である。失意に沈む霧隠れの静けさに、一粒として降り盛る五月雨が目に写り、そしてまた一粒と乱れては地に塗れる。際限なく流れゆく雨水と、色彩の燻む若い紫陽花の葉を、ただ黙して賞玩する。その薄暗く翳った静寂の中に、私は蹲っていた。

 縁側である。薄ら寒く、そしてまた梅雨の音を鳴らす、その予行の如く湿っている。私は不意に自らの両手を合わせて自らを握り合うが、それが、今の私にとって上手く似合うことのない仕草であると思い、何の気も無くまた、己の身体を抱擁する。こんな事を延々と繰り返すだけの無様な昼下がりであった。

 ただ縁側に寝そべり、じっと庭の紫陽花の葉にかかる雫を数えていたとき、いつの間にかそこには雨蛙がいた。格別、興味関心もない雑多な雨蛙であったし、私の意識はとうに上の空にあったことで特段何も感じることはない。静止したフィルムの一角に、ただ一匹の雨蛙が写り込んだというだけのことである。注意もなく茫然と庭を眺める私の姿に、いつしか私自身が雨蛙になってしまっているようにも感じられて、私は故知れぬ焦りと多少の劣等感を覚えたような気がする。そして、そこで私は何をするわけでもなく、蛙としてそこはかとなく寝そべりながら憂鬱を念い続けるのである。

 いつしか、縁側の近くの庭石の上にまで、雨蛙はノソノソとやってきていた。私の意識が不意に目端で雨蛙を捉えたと思うと、一体それは気のせいなのだろうか。相手方もまたこちらを捉えて、じっとしているものである。左右についた目は不動、一切の動作もなくて、鼻まで届く舌で口元を舐め回すこと以外にはこれといった様子もない。つまり、なんともないのだと思えばそれまでであるのだが、私には、無情の五月雨とはまた別の何かが、そこから感じ取れた。それは些かの不気味さである。しかし、それでも私の目というものは、雨蛙から逸すことはできなかった。ただの若い雨蛙であることに大方変わりないのであるが、一つだけ他個体とは異なっている。そこには、背中の足の付け根から首回りまでを環状に薄く円模様が描かれ、その中には小さな紋の如く染がみえるのである。それは美しいとまでは言えなくとも、少なくともあれが独特な個体なのであるということを呈示してきていた。暫くの間は、蛙との睨めっこしを成る可く楽しんでいたのだが、それにもやがて飽きが来た私は、だんだんゆっくりと瞼を閉じていた。漸々、微睡んでいくにつれて暈ける視界の隅から、雨蛙は静かに去った。


 そして、私は崩れ落ちる意識の中心に立っていた。何処かで、誰も本質を知らない何かが崩壊していく無機質な衝撃音だけが聴こえる。瞼を閉じているはずの両目には、確かにそこに広がる西陽の橙色に染まった高層ビルの並ぶ街並みが望めた。私はそこにたった独りで、その他の全ては、私にとっては朧げな何かでしかない。けれどそれらは各々凛として逞しく聳えていたはずなのである。それらが崩壊した時、私の存在が孤独として位置づけられると同時に、唯一の個体であると強く思わされる。その思い上がりこそが、己が崩壊することなく人生にぶら下がり続けることの元凶であり、自らに於ける敗北として死すべき事の最も視覚化された、夢裡の中の産物であった。


 人生に於いての意味を、追究して恒久的に思考し続けるとは、恐らくは愚者の行為である。しかし、無意味な人生を単調に消費することもまた、愚の骨頂であろうと思う。私は生来、人の持つ現世のカルマについて思い耽ってきた。その中で、業を追い求めることの詰まりを垣間見たことになるが、然し私は凛として、怖気を震うことなどないのである。

 昨今の画一された人生をなぞるように生きる私達にとって、業とはなんとも非力である。この世の人々は皆、小さき古井戸の中に鮨詰にされていて、誰もがその中で最も高い場所を求めようとして必死なのである。あるいは私がそのような特異な井戸の中に閉じ込められているだけであるのかも知れないが。兎にも角にも、私の身の回りというものは、機械仕掛けの歯車となって競争社会に飢えている。彼らには、人生について根本的な何かを問うても無駄である。纏った回答が出てくるわけでもなく、彼らにとっては取り敢えず有益な身分と実力だけが全てであり、目先の事実だけが重要であり、人生とは終着までの道であるとしか捉えない。たったその事実しか垣間見ることは叶わない。それは私の住まうべき井戸とは全くの異世界であった。それらは何事も、根底が不明である。

 「人生とは何であるのか」

 その問いは常に蔑ろにされ続ける。目先の事実が華美であることが求められるわけであり、人生という漠然とした大局的な問題は何処かへ捨て置かれる。私は呆然とした。人として原点にあるものを失った人類とは、一体何であるのか分からなくなった。

 そして、私の中の蛙は死んだ。来る日も来る日も、私は蛙を待ち望んでいた。縁側に寝そべって、降り止むことのない雨を眺め続けた。心の底には、具現化できないAmbivalenzな感情が渦巻いていた。ずっと反芻しているのだ。それが止まることなく回り続けることで、私はいつも憂鬱であった。


 目が覚めた頃、既に辺りは暗黒であった。昼間に停滞していた雲という雲は皆どこかへ消えていて、空には数多の星々が控えめに輝くばかりである。私は重い体を起こして縁側に腰掛けると、まだ雨水の残る庭石に触れようと頭を下ろして、仄かに温かみのある腕をそっと伸ばした。無論、湿っている。夜の冷寒さを沁みて、私の腕とは対照に冷える雨水は寒い。然し、同時に若干の生温かさもあり、私はその背反を強く感じた。

 そこに、雨蛙は居なかった。だからどうというわけではない。ただ、雨蛙は居ないという、ただそれだけである。狩りに出かけているのかも知れないし、自分の住処へ帰っていったのかもしれない。はたまた、寝床でぐったりと寝ているのかも知れない。ただそれだけであるのに、私はなぜか寂しかった。

 夜になると尚更独りになる。昼中のやや騒がしい雨音に、どこからと聞こえてくる蛙の鳴き声、その全てが無くなって辺りが本当の沈黙に包まれる時に、私は少しばかり心臓が痛くなる。今まさに、その沈黙が産声を上げているようであった。

 猫も守宮も夜行性である。さすれば、私が夜行性の人間としてそこらを徘徊することもまた、何者かに目くじら立てられる所以もないのであり、そもそも昼中を引き籠りで過ごした身であるからには、若干の外出か何かがむしろ強制されるべきであろうと思う。そんな屁理屈めいた御託を並べて己の身体を活動させようと努めるのだ。私は硬直した身をどうにか解して、おろおろと立ち上がった。少しばかり外を徘徊するつもりであったが、生憎ここに草履がない。離れの雨除けに隠しておいた草履を取りに行く。この縁側へ別れを告げなくてはならなくなった。暫くの別れである。


 私の住まう小さな屋敷は、この村の外れの高台にあった。正面門から蛇行して伸びている一本の小径こそ、村へと続く唯一の路である。もっとも、真夜中である今にそれが目視できるわけもない。私はその小径を今、幾らか輝く星空の下で緩徐に歩いていた。辺りは全くの無音というわけでもなく、石を踏み分ける音とどこかの騒がしい虫の音とが交互に入り混じって聞こえてくる。それでもなお、辺りが依然として変わらない静けさに包まれたままであるということで、少しばかり落胆した。

 それから私はどれだけ歩いたであろうか。まだ数十間であろうか、それとも数町は進んだであろうか。それすらも定かではない。ただただ無心で歩みを進めるばかりであった為に、私は咄嗟に我に返って自らに困惑するのである。立戻って考えてみれば、これは全く意味のない散歩であるのだ。ただ何かから逃避し続ける為に、こうして私は無意味な行動だけを反復しているという、それだけのことなのであろうか。然し、東京の生活には幻滅したのである。思い描いていた鮮やかな理想とは程遠い、何もかもが機械化されたように動く薄汚れた人々が、どうも恐ろしくて仕方がなかった。然し、結局田舎へ逃げ帰ってきたところで、それは本質的に不変なものなのであろうか。私には、何も分からなかった。

 すると俄に、目前に井戸が現れた。湧いて現れたように思われる程、何の所以もなく突如である。然し、ただの古ぼけた井戸である。すぐ脇に、申し訳程度に桶が置かれている。一体これが誰の所有で、いつ頃から存在するのかも知らないが、少なくともこれが長らく使われていなかったであろうことは、容易に推測できる。苔まで生やして、既に役目を終えて草臥れた井戸が、そこにはあった。特別、目に止める必要性もなかった。それよりも私は、帰路に於ける長く憂鬱な時を念って堪らなくなっていたところであった。

 然し、物音がした。草を割るよりも大人しく、辺りが穏やかでなくては聞くことも叶わなかったであろう音が、けれど確かにこの耳へ聞こえてきたのである。私は突然、得体の知れない恐怖を感じて足を止めた。鼠か狸か、それにしても、なんとも気味の悪い心地がするのである。だんだんと、己の安直で未だ稚拙な行動を悔過し始めていた。さあ私は、一体全体何をしているのだろうか。一寸先は闇である暗中に、まともな電燈一つ持たずして夜道を歩くなど、全くもって正気の沙汰ではなかったのであるが、それも結局、体力が有り余っていた為に、どこかへ歩き出すより仕方がなかった。そして私の中で、今すぐにでも踵を返して反対方向へ駆け出し、逃亡したいという気持ちと、井戸へ進みたい好奇心という二つの背反する気持ちが巻き起こった。緊張で肺が悲鳴を上げていた。脳内の処理速度が格段に上昇しているのが分かった。二つに一つだ。ひ弱な懐中電燈を持ち出して、更に井戸へ近付く。光量が明らかに不足していた。もう一歩だけ、井戸へ寄った。未だ足りない。更に先へ。あと一歩だけ……

 「……ゲコッ」

 そこで私は歩みを止めた。それは小さな蛙であった。井戸の縁におとなしく座っているその蛙は、実は昼中の雨蛙である。私が懐中電燈で蛙を照らすと、確かに背中にはあの紋があった。私は一旦安堵すると、昼中に出会ったその雨蛙へ向かって、控えめに会釈をしてみた。それは、ほんの冗談のつもりであった。すると雨蛙はその身体のわりに巨大な頭を垂れて、私の眼球の深淵をじっと覗いてきた。その時、私はただならぬ恐怖心と共に、その小さな雨蛙への強い関心を持った。

 依然として私を見ながら、その雨蛙は幼げに鳴いた。そして長い舌を出して口元を舐め回してから、井戸の縁まで足早に跳ねていくと、彼はまた幼げに「ゲコッ」とだけ鳴いたのである。

 私は井戸の縁まで駆け寄ると、雨蛙が見つめる井戸の中を覗いた。そこにはまた一つ桶があり、水面の僅か下に厳かに浮かんでいた。私はその桶を慎重にゆっくりと引き上げると、もう一方の桶の横へ並べた。雨蛙は、桶の縁に座り込むと、真剣にも見える面持ちでその中を覗いている。無心に、私もそれを覗いた。その桶の底には、小さな蛙が絶命して、静かに沈んでいる。雨蛙は厳かにそれを見守っていた。

 生きて井戸を這い上がることの叶わずに絶命した蛙であろうか。私は大事に蛙を引き上げて、側に生えていた紫陽花の葉を数枚ちぎり取ると、成る可く平らな地べたにそれを敷いて、蛙をその上へそっと横たわらせた。雨蛙は終始じっとして、その様子を静かに眺めていた。私はその横に座り込むと、雨蛙と共にその厳かな姿を見ていた。

 東の空が仄かに紅く染まり始めていた。暗黒であった井戸の底へ、だんだんと朝日が射して、横たわる蛙の姿をも優しく照らしていた。

 紋付の雨蛙は泣いていた。私もまた、心の底の方からなんとも言えない感情が次々と湧き起こった。そのころからだろうか。私の周りから、幾多の人生の破片が轟音を響かせて崩壊していったのは。

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