100.家庭円満、大黒柱怒りの火

半遮羅はんしゃら、しばらくだな。達者だったか?」

「まあ、ボチボチやっとりますわァ!」


 深夜、こっそり外出する毘沙門天は、半遮羅の誘導のもと雑木林に連れられた。

 赤天幕に入れば、隅に敷いたむしろの上で一人茶湯の点前てまえ稽古に励む散支が気軽に片手を挙げて出迎える。

 そしてその真横には漆塗りの大内棚おおうちだながしつらえられており、そこにはいくつかの小動物の頭蓋骨が丁寧に並べられていた。これは、半遮羅の収集物コレクションである。


「相変わらず、肝の冷える趣味だな……」

「えへへ。見栄えする良質な骨をあと三つ集めたら、首飾りにしようかと」


 内部を一望する毘沙門天、今度は出入り口付近に設置された長机が目にとまった。机上には刀が八振り、律儀に陳列している。

 毘沙門天が、「あれは?」と尋ねるつもりで指差した。しかし刹那、唐突に半遮羅が盛大な拍手を始めたのである。続いて彼の言い放った言葉が、毘沙門天の胸騒ぎを一瞬にして消滅させるのだった。


「ビシャモさまご即位十劫と十周年記念、おめでとうございまぁぁ〜!じゃじゃーん!」


 夜叉王即位記念にちなんだ幣物へいもつ奉呈ほうてい、半遮羅が毘沙門天を誘った理由はすなわちこれである。毘沙門天は不覚にも、「へ?」と随分拍子抜けした声を出した。


「……あ、ありがとさん。もうそんなに月日が経つのかね」

「だいぶ経ちまっセ!ほら、早速お召しになってごらんあそばし!我ら八将軍の想いを込めた八本ですけ!」

「お、重い……」


 半遮羅は心躍らせながら一振りずつ手に取ると、それぞれ刀が重なり合わぬように腰紐肩紐を調節しつつ、毘沙門天の体側たいそくに順々にくくり付けていく。刀八本、試着すればかなりの重量である。


「ああでも、これだけたくさんあれば、一本くらい欠けたってでもないわな。窮鼠きゅうそになった時には役立ちそうな……」

「ビシャモさん。ソレ、粗末に扱ったら許しまへんで」

「アい……」


 半遮羅が、最後の一振りの下緒さげおを、全霊の力を込めて固く縛り上げた。

 以降の毘沙門天は、抜刀素振りを繰り返して手加減を測るうちに、満更でもなくこの贈り物を気に入る。散支があらかじめってきてくれていた竹で試し切りを楽しんだ上に、屋外へ出ては二刀流で半遮羅と手合わせにあけくれた。倭国で暮らすわりにさほど刀を扱う機会がなかっただけあって、毘沙門天の瞳は少年のように輝くのであった。





 それから数刻経った頃のことである。

 突如としてどこからともなく、大勢の騒ぎ立てる声が雑木林へと響き届いた。喧騒けんそうに耳を傾ける毘沙門天と半遮羅は、おのおの納刀して静止する。


「……何事?」


 散支もこれに気がついたようで、赤楽焼あからくやきの半筒茶碗を片手に持ったまま赤天幕から出てきた。

 揃う三神、互い顔を見合わせて様子をうかがうも、やはり妙に甚だしき騒動の正体が気に掛かって仕方なく、一緒になってつられるように音鳴る方向へと走り行くのであった。


 さてそうすれば、雑木林を突き抜けた先の浜辺にて、ほこらから起き出してきたらしい国津くにつの神々が、何やら寄り集まって皆して夜空を見上げていたのである。おまけに出雲社で爆睡していたはずの武甕槌命に、獨犍と哪吒までもがいつのまにやら混じっている。

 これにならって毘沙門天らも天を仰げば、雲上に武装した神々が並び立っている情景が見えた。散支が、「なにあれ?」と怪訝に首を傾げる。


「ああ、毘沙門さま!そっちにおられたか!あ、なんだその刀、参戦するのかい?」

「ん?い、いや……」


 そこへ、寝癖にまみれた大国主命が駆け寄ってきた。毘沙門天は、上空に目を向けたまま事情を訊く。


うえ、どうしたのかと思って」

「ああ。耶蘇やその者どもが、あまりに攻めて来たんだよ。ここ最近、ああしてよくらんが起こるんだ」

「へぇ、そうか。幕府がこれまで幾度となく人々に禁教政策を試みてきたが、南蛮なんばんの人気ぶりたるやなかなか朽ちぬものだな。この地にてあやつらがあんな大軍を結成しておったとは、こりゃあかなり膨大な信仰を得ているようだが」

「まことに。隠れてまで耶蘇の力にならんとする人の子もおるゆえ、こちらもほとほと困り果てておってな。あんまり神域を削がれては八百万やおよろずも暮らしてゆけぬ、何とか習合しゅうごうにおさまってもらいたいところなんだがね……」


 目前に広がる光景とて毘沙門天にとってはもはやだったが、かたや大国主命は異宗同士の攻防に心底憂鬱げな表情を見せる。そこには、人類によるめまぐるしい信心の移り変わりに、追いつけず取り残される神々の苦悩があった。

 常無き世界を永遠という合理の皮で何度繕つくろおうとも、来世が現れるたびすべての虚構が崩れて新たな真理が芽生える。それが苦だとさとらぬうちは、虚無の正義背負いし無益ないくさに没頭したまま神聖な血を流すばかりなのだ。本来このような境遇に、慣れてはいけない。生きとし生けるものの一切が夢から目覚めたならば、かく事象にも出会わないであろう。

 毘沙門天は、天竺にて婆羅門勢力の拡大に抗う須弥山の現状を思い描いた。


「あやつらの目に映る我々は、ただゼウスを犯す駆除すべき悪魔デーモンに過ぎん。むしろそれが世の宗門の在りようともいうべきか、大概は顔を合わせればお互い鬼に見えるものさ。打ち解け合うには、これまた永い時間がかかるか、不可能に終わるか。我らの仲だってそうだった、初めは……」

「かもしれん。だがこうして、同じ浜をともに踏みしめるに至った今が、断じての為せたわざだとは思わぬ。折衷せっちゅうの限りを尽くした努力の賜物よ」


 大国主命が、やるせなくかすかに笑う。

 直後、大地を揺るがすほどの歓声が、天空から発せられた。時満ちたり、輝く望月もちづきがおぼろ雲を抜ける。

 地上の神々の誰もが宙を仰ぎ、息を呑んで運命の行く末を見守った。




 舞台は稲佐いなさ浜、月光の水鏡すいきょうせし大海の上空にて、二つの巨大な叢雲むらくもが対峙する。

 向かって右方、葦原中国あしわらのなかつくにの盾になるは高天原たかまがはらの雷雲だ。天津あまつの神々が勾玉鎧まがたまよろいを胸に巻きつけ千本矢のゆぎを背に担ぎ、腰にも五百矢入りのつつを下げて大弓を振り立てて威勢を示す。

 対するは左方、耶蘇ヤハウェが使者の白雲である。翼備わりし大天使アークエンジェルの大軍が、堂々として立ち並んでいた。一段整列すると凧型楯カイトシールドの鉄壁を構えてソードを掲げ、さらに一段整列すれば重々しき火縄銃アーケバスの口を敵へと定め向ける。

          

 かくして日の出も間際に、布教領地の争奪戦が幕を開けるのであった。


 高天原から射られる矢はハヤブサのごとく、大天使アークエンジェルが放つたまオオカミのごとく、雲を掻き楯を破る。両軍ともに乱れ撃ち合うさまは、空前の熾烈ようであった。

 被弾せし複数の神々が塵痣くずサを吹いて海に撃ち落とされ、あるいは高天原へ乗り移らんと羽ばたく鳥々も黄泉よみへとはらい堕とされる。一進一退を繰り返す乱雲、今宵の星空は荒れ放題である。


 しかもまた、大天使アークエンジェルシールドで闇雲にはじかれた矢の破片が、ひょうのように地上に降り注いだ。高天原の応援をと意気込んでいた矢先がこれでは、浜に集合する国津の神々もたまったものではない。


「みんな!早く祠へ!」


 大混乱のさなか、このままでは要らぬ被害をこうむってしまうと焦った大国主命が、声を張り上げて避難を指示した。これを聞いた神々は観戦を諦めて、皆次々と素早く走り出し祠へと帰っていく。

 一方の毘沙門天も、散支と半遮羅に庇われながら、急いで赤天幕に向かった。同じく獨犍も、急遽ながら出雲社へ戻るには遠いと判断してか、哪吒の背を押して父のあとをついて行く。



 ところがここで、思いもよらぬ不運が起きた。

 獨犍の肩に、散弾ばらだまが当たってしまったのだ。獨犍は地に転がり倒れ、失神しているらしく起き上がる気配がない。兄の負傷に気がついた哪吒がすぐさまきびすを返して獨犍に寄り添うも、あえなく流れ矢の餌食えじきとなった。


 ほどなくして青年二神の折り重なって伏す場に、一人の大天使アークエンジェルが降り立つ。この天使は、図らずも巻き添えを食らわせた兄弟の怪我を案じているようで、ソードを鞘におさめるとおずおずと片手を差し出した。


 その時であった。

 空気が波紋を描くほどの、虎の咆哮にも似る怒号が天に轟き渡る。



 ———さわるなァァーーっ!!



 それは、一部始終を目の当たりにした毘沙門天の叫びであった。倒るる息子に戦慄する毘沙門天、日頃の鷹揚自若おうようじじゃくたる気質の面影もない。


 柳眉りゅうびを逆立て怒髪どはつ天をくかのごときことすさまじい形相、悲憤慷慨ひふんこうがいに震える身からは沸騰するように湯煙が立ち上る。

 そしてたちどころに、その背より巨大なる法輪光背ほうりんこうはいが浮きでてめくるめく光明を発し、全土を渦巻いて白々と照らした。次いでは、じわりと転輪し始める光背が真紅しんくの灼熱たる火焔を噴き上げ、清浄な砂浜に怒りの火のを撒き散らす。


 赤々と睨み燃える瞳が、今に愛する我が子に触れんと手を伸ばす大天使アークエンジェルへと向けられれば、火焔が地を這い走りその喉仏を噛み切って首を落とした。

 どこそこから多くの悲鳴が上がったが、狂乱忘我きょうらんぼうがの毘沙門天の耳に決して届くことはなかった。


 むしろ火焔の威力はとどまるところを知らずして、そそり立つ八本の火柱はますます膨張する。しまいには毘沙門天の体丸ごと包み込むと、はち切れて大爆発を引き起こし、またたくまに広大なあまを黒々と覆い尽くした。

 破裂した火中からは山のごとくに巨躯なる大鬼が姿を現し、なおも焦げ続ける脇腹よりほむらの八臂はっぴを生やす。そうして、炎を纏ってまさに火尖鎗かせんそうと化した腰の八刀はっとうつかを握り取ると、徐々に引き抜いていくのであった。




 執着のみさきに有るは喪失なり。

 毘沙門天の激しい渇愛かつあいとそれにともないし犠牲が今、天秤にかけられようとしていた——。

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