第2話 師匠の心遣い

早乙女さおとめさん、拓真たくま、できましたよ。拓真、運ぶの手伝って〜」


「おう」


「はーい、ありがとう」


 早乙女さんと拓真はテレビを見て待っていた。漏れ聞こえる音から恐らくクイズ番組。


 拓真は身軽に立ち上がるとキッチンに入り、小鉢などを手早く運んでくれる。真守まもるも両手で蕎麦そばを持ち上げた。


「わぁ、蕎麦だけや無くておかずまで。旨そうやなぁ」


 早乙女さんは整えられたダイニングテーブルを見下ろして顔を輝かせる。


「肉っ気が無くてすいません。蕎麦をあっさり美味しく食べて欲しくて」


「充分や。ええやんか」


 拓真が部屋からパソコンチェアを運んでくれたので真守はそれを使い、ダイニングチェアを早乙女さんと拓真に勧めた。


「じゃあいただきましょう」


 拓真が言うと、早乙女さんはうきうきとお箸を取って「いただきます」と手を合わせた。


 そばちょこ代わりのとんすいを持ち上げ、蕎麦を少しだけ付けるとつるっと小気味好くすすった。


 じっくりと味わう様に口を動かして「あ〜これこれ!」と歓声を上げた。


「旨いなぁ。ほんまに旨いわ。茹で加減もばっちりやで。そばつゆもシンプルで素朴で、蕎麦の味がよう分かる。ええなぁ」


 蕎麦は西らしく二八の田舎蕎麦だ。甘皮と一緒に挽いた風味の良い蕎麦。


 更科さらしな蕎麦の様に上品な風味では無いが、しっかりと蕎麦の滋味を感じたいのなら、田舎蕎麦が向いているのではないだろうか。


 拓真もそばつゆに付けた蕎麦をずずっとすすり、「ん」と漏らす。


「二八蕎麦ってこしがあるんですね。つなぎが入ってるからかな」


「せやな。十割蕎麦も味が濃厚で旨いねんけど、やっぱりグルテンが入っとらんからな。2割小麦粉が入っとるだけでも変わるやろ」


「そうですね」


 真守も蕎麦をすくい、めんつゆに付けて口に運ぶ。


 確かに細いながらもしっかりとしたこしがあり、歯ごたえも良い。


 つるりと滑らかなのもつなぎのお陰なのだろうか。しかし蕎麦の風味は損なわれていない。二八という割り合いが絶妙なのだろう。


 こうしてちゃんとした食事をれば、少しばかり食欲が戻って来る。真守はまた蕎麦をすすった。


 早乙女さんは小鉢にも、もりもりとおはしを伸ばしている。


「うわぁ、こりゃあ優しい味付けやん。僕でもおいしゅう食えるわ。これ真守くんが作ってくれたんやんな?」


「はい。うちは母親が出汁の効いた薄味好みで、俺も拓真もこの味で育ったもんで、自分で作ってもそういう味付けになっちゃうんです」


「ええやんええやん。このきんぴら、ごまだけや無くてかつお節も入っとるんやな。味わい深いわ。旨味の塊っちゅう感じや。卵とじの卵もふわふわでええわぁ。お揚げさんがええ味出しとるんやな」


「簡単に作ったものなんですけど」


「充分充分。ほんまうまいこと作るもんやわ」


「ね、真守のご飯美味しいでしょ」


 拓真が得意げに言うと、早乙女さんは「うんうん」と頷く。


「ほんま旨いわ。頼んでほんまに良かった。ええ土産みやげになったわ」


 早乙女さんと拓真がそう言って嬉しそうに食べてくれるので、真守も徐々に食欲が沸いて来る。


 ごぼうと人参のきんぴらを食べると、白ごまの香ばしさと削り節の優しさが味わい深い。


 小松菜の卵とじは塩味で仕上げたが、お酒を使っているので柔らかな甘みもあり、お出汁も活かされている。


 早乙女さんの言うとおりお揚げから旨味が滲み出て、そうして合わさったふくよかな煮汁をとろとろ半熟の卵がまとめている。


 真守はほっとする。ちゃんと食べ物の味を感じることができる。


 朝のパンは無理に突っ込んだ感じだったので、こうして食べることを楽しめるのは嬉しいことだとしみじみ思う。




 和気藹々わきあいあいと食事を終え、洗い物は後にしようと、真守は拓真に手伝ってもらって使った食器をシンクに運び、食後のコーヒーに入れる。


 不揃いのマグカップに煎れたコーヒーを運んだ。


「ありがとうさん。コーヒーも久しぶりやで」


 生前はあまりコーヒーを飲まなかったのだろうかと真守は軽く考える。


 早乙女さんは熱々のコーヒーにふぅふぅと息を吹き掛け、少しは適温になっただろうかコーヒーをちびりと傾けた。


 拓真も一口飲んで「熱っ」と顔をしかめた。マグカップをテーブルに置くと「真守」とあらたまった様に口を開いた。真守はどきりとする。


「早乙女さんはな、俺の死神の師匠なんだ」


 真守は驚く。今までの様に亡くなって、拓真が迎えに行った人だとばかり思っていた。


「そうなの?」


「そやねん。今日はな、真守くんのこと聞いて、俺も久しぶりに食わせてもらえたら思ってな」


「じゃあ蕎麦屋さんで修行してたとかってのは」


「ああ、それはほんまの話やで。蕎麦好きなんもほんまや。蕎麦職人になるために蕎麦屋で修行しとったんや。毎日大将っちゅうか師匠にしごかれてなぁ。今の時代やったらパワハラて言われとるわ。でも僕らの時代はそれが当たり前やったからなぁ」


「早乙女さんって亡くなられたのいつなんですか?」


「何年前やったかなぁ〜。多分もう3、40年は経っとる思うわ。死神になってから時間の感覚があやふやでなぁ。それは教える側になっても変わらんで」


「そうなんですか」


「せや。これからもあんま感覚無いまま、どっかの死神の師匠やることになりそうや。俺は師匠なんてもんになったから、この先いつ天国に行けるかわからん。せやから行けるって時に行っといた方がええと思うねん」


 真守ははっとする。師匠の立場である早乙女さんが、拓真の天国行きを知らないはずは無い。真守は少しばかり緊張してしまう。


 もしかしたら早乙女さんは、拓真の天国行きを後押しするために来たのでは無いだろうか。真守が難色を示すと想像して。蕎麦は口実だったのかも知れない。


 真守は反対しているわけでは無い。ただ拓真の2度目の死を味わう様で悲しいだけだ。


 確かにまだ受け入れるのは難しいかも知れないが、その時になれば引きつろうが何だろうが笑顔を見せられればと思っている。だから。


「俺も、そう思います」


 眉尻が情けなく下がってしまったが、真守は笑みを浮かべた。すると早乙女さんは軽く目を見張り、次には目を伏せて「そうか」と満足げに言った。


「ほな僕は行くわ。拓真、ちゃんとするんやで」


 早乙女さんはそう言って立ち上がる。


「真守くん、蕎麦もおかずもほんま旨かった。ごちそうさん。なんや久しぶりに癒されたわ。やっぱ詰所に食堂作ってもらおかな。食うことは励みになるな」


「いえ。こちらこそ拓真がお世話になって。今さらですけどありがとうございます」


「ははは。いやいやい。それは仕事やさかいにな。じゃあな」


 早乙女さんはそう言い残すと、軽やかに窓をすり抜けて出て行った。それを見送って真守は「はぁ」と気の抜けた息を吐く。


「早乙女さん、俺が拓真の天国行きを駄々だだこねるとかでも思ったのかな」


「どうだろうな。こんなパターンあまり無いみたいだから、心配はしたのかも知れないな」


「そっか。でも拓真、俺、大丈夫だよ」


 真守は自分にそう言い聞かせてみる。すると本当に大丈夫な様な気がした。


 ふっと気が緩むと崩れそうになるが、拓真が安心して天国に行くためには、真守がしっかりしなくてはいけない。


 やせ我慢でも何でも良い。その時だけはちゃんと上を向いて口角を上げていたい。


「そうか」


 拓真は泣き笑いの様な表情になる。ああ、拓真も悲しがってくれるのだなと感じる。ならなおさら笑顔で。


 笑顔で。


「拓真、いつ行くんだ?」


「……早い方が良いって言われたぜ」


「じゃあさ、俺明日も仕事休みだからさ、短時間になるけど実家に行って父さんと母さんに会って、トマリにケーキ買いに行こうか。拓真の部屋から持って来た本も返そうかな」


「ああ」


 そう応えた拓真の目尻が小さく光った様な気がした。

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