第4話 最初の贈り物

「そう言えば、赤ちゃんの名前は決めてたんですか?」


 拓真たくまが訊くと、内山うちやまさんは「いえ、まだ」と首を振る。


「臨月までまだ間があったし。でも夫とふたりで「どんな名前が良いかなぁ」なんて話は時々してたのよ。良い名前を付けてあげたいねって。候補もいくつかあってね。可愛い名前が良いとか、格好良い名前も良いねとか」


 内山さんはそう言って、優しげに赤ん坊を見下ろす。赤ん坊はまだすやすやと眠っていた。周りで話し声がしているのに、なんとも肝の座った赤ん坊だ。


「じゃあ今決めちゃいましょうよ」


 真守まもるが言うと、内山さんは「え?」と目をぱちくりさせる。


「そうですよ。付けてあげましょうよ」


 拓真も言うが、内山さんは戸惑う様な表情を見せる。


「そんな、そんな大事なことを、私が決めてしまっても良いのかしら」


 そんなことをおろおろと言う。


「夫がいないのに」


「大丈夫ですよ。今赤ちゃんの名前を付けてあげられるのは内山さんだけですよ」


「そうですよ。内山さんも赤ちゃんを名前で呼んであげたく無いですか?」


 真守と拓真の言葉に、内山さんはまだ不安げな顔を赤ん坊に向ける。


「本当に良いのかしら」


「もちろん。お母さんが名前付けてあげたら、赤ちゃんも喜ぶと思いますよ」


 真守が後押しすると、内山さんは少しほっとした様に表情を緩ませた。そこには喜びも滲んでいる。


「じゃ、じゃあ、付けちゃおうかしら」


「はい」


 真守と拓真が頷くと、内山さんは「ふふ」と目を細めた。


「何が良いかしら。夫とは、明るい子になる様に、とか、才能豊かな子になって欲しいとか、いろいろ話をしていて。どうしてもいろんな思いを込めたくなっちゃって」


「ですよねぇ。そう言えば俺らの名前の由来ってなんなんだろうね」


「そういや聞いたこと無いな」


 真守と拓真が揃って首を傾げると、内山さんはふんわりと笑う。


「おふたりのお名前は、どう書くのかしら?」


「えっとですね」


 真守が手近な紙片を引き寄せ、ペンでふたりの名前を横に並べて書いて、内山さんの前に差し出した。


「あら、「真」の文字が一緒なのね。「守る」と「拓く」、なんとなくぼんやりだけど、分かる様な気がするわね」


「そう言われると」


 実際のところは両親に聞いていないので判らないが、内山さんを見ていると、きっと両親も悩み抜いてふたりの名前を付けてくれたのだろうと思う。


 名前というのは、きっと親から1番最初に授けられる贈り物なのだ。抱き上げられる腕にも、優しく撫でてくれる手にも、愛情はきっと溢れているが、名付けられたその瞬間、その子は世に認められる存在になれるのだ。


 ちなみに時折見る、いわゆるキラキラネームというもの、あれは親が「可愛い我が子に唯一無二の名前を!」とはじけてしまい、そのテンションのまま名付けてしまうのだと聞いたことがある。


 そして落ち着いたころに後悔するまでがワンセット。


「そう思うと、この赤ちゃんにも良い名前を付けてあげたいですよね。何が良いでしょうかねぇ」


「一緒に考えてもらって良いかしら?」


「え、そんなの俺たちで良いんですか?」


「ええ、もちろん。これも何かの縁だと思うので。ぜひお願いします」


 内山さんは小首を傾げてにっこりと微笑んだ。


 これは責任重大だ。ただ可愛かったり綺麗だったり格好良いだけで無く、思いを込めた名を考えてあげたい。真守はつい少しばかり高揚してしまう。


「花の名前とか綺麗ですよね。身も心も美しい女性に育つ様に、とか。桜子とかすみれとか。ひまわりとかも可愛いですかね?」


「ひまわり、良いわね! 明るそうなイメージで」


 真守の提案に、内山さんは胸元で手を合わす。


「うーん、女の子の名前、明るい女の子の名前……」


 拓真は腕を組んでうなってしまう。


「拓真、そんな考え込まなくても」


 真守が笑うと、拓真は「だってさぁ」と深刻な表情。


「名は体を表す、じゃ無いけどさぁ、赤ちゃんが背負うものなんだぜ。そりゃあ真剣にもなるさ」


「解るけどね。でも最終的に決めるのは、お母さんの内山さんなんだから」


「そうだけどさぁ」


 拓真は言って唇をとがらす。機嫌を損ねて膨れているわけでは無く、それだけ真剣なのだ。


「明るくて、あったかい名前が良いかしら。ぽかぽかして……、あ」


 内山さんは何かに思い至った様に声を上げた。


「あの、何か書くもの貸していただいて良いかしら?」


「良いですよ。えっと、名前を書くんですよね?」


「はい。あの、命名なになにって。憧れなの」


 内山さんは照れた様にはにかむ。


「じゃあ筆ペンが良いかな。紙はさすがに半紙無いから、コピー用紙になっちゃいますねど」


「充分です」


「真守、筆ペンなんか持ってるんだ」


「そりゃあ一応社会人だからね。祝儀袋とか書くのに要るからさ」


 真守は立ち上がると部屋に入り、デスクの引き出しから筆ペンと、別の引き出しからコピー用紙を出す。


 内山さんは赤ん坊を簡易ベッドにそっと横たえ、おはしや小皿を動かしてテーブルにスペースを空け、そこに受け取ったコピー用紙を半分に折って置いた。


「筆ペンは細いでしょうから、これぐらいで良いでしょう」


 A4のコピー用紙だったので、半分にするとA5になる。内山さんは筆ぺんのキャップをぽんと外すと、姿勢を正してコピー用紙に墨を降ろした。


 そうして滑らかに認められたのは。


  命名 ひなた


 しっかりとした、だが流れる様な綺麗な筆文字がコピー用紙に踊った。


「ひなた。可愛い名前ですね」


「ああ。しかも太陽のイメージだな。明るくて、あったかい」


 ふたりの賛辞に内山さんは「ふふ」と嬉しそうに優しく微笑む。それをかたわらで眠る赤ん坊、名付けられたばかりのひなたちゃんの前に掲げた。


「ひなたちゃん、あなたのお名前よ。お日さまの様に明るく、暖かい心の子になってくれます様に」


 ひなたちゃんはすやすやと眠り続けているが、まるで内山さん、お母さんに応える様に「ふあ」と小さな声を上げた。


「ふふ」


 内山さんは溢れる愛情を隠そうとしない。まるで聖母の様な穏やかな表情でひなたちゃんの頭をそろりと撫でた。


「拓真さん、真守さん、本当にありがとう。やっと我が子に名前を付けてあげることができたわ。今まで流れてしまったふたりにはそんな余裕もできなくて、そのまま送ってしまったから、今回は本当に嬉しい。やっと親らしいことができた気がするわ」


 そう言う内山さんの表情には幸せが溢れていた。産んではあげられなかったものの、思いを込めた名前を付けてあげられた。


 内山さんは大切なことを成し遂げることができたのだ。それは内山さんにとって、そしてひなたちゃんにとっても幸福なことだろう。


 生命はうしわれても、その思いは残るのだ。


「拓真さん、真守さん、ご飯の続きをいただいて良いかしら? まだまだ白いご飯食べたいなって」


「はい、もちろん。お代わりそそぎますね。大盛りにします?」


「ふ、普通盛りで」


 恥ずかしそうに照れる内山さんからお茶碗を受け取り、拓真はキッチンに向かった。

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