立冬

紅葉の季節だが、向かいに見える山の景色は緑だ。

常緑樹が多いからだ。

山裾の辺りだけ黄色く色づいているのだが、枯れているようにしか見えない。


崖の下に四区画あるキャンプ場には、一区画に一つ、四つのテントが張ってある。

テントの前で、薪をくべ、火を焚き、鉄板で野菜や肉を焼いている。

手馴れたもんだ。


この季節は、毎年、この程度だ。

つまり、キャンプ場で起こった殺人事件の影響は、終わったのかもしれない。

この時期のキャンプ客は、マナーが良い。

トイレも綺麗に使用している。

洗面所でキャンプ用品を洗って、辺りを泥で汚す事もない。

とても平和だ。


今まで通り、道の駅に来店するお客さんも、戻って来たように思う。

例年通りだ。


しかも、隣の廃屋レストランに、何人もの作業員が来ている。

入れ替わり、立ち替わりトラックが出入りしている。

先日は、建物の周囲に足場を組んで、外壁の塗装をしていた。

内部は、見えないが、新しい厨房用具なのか、工事の作業機具なのか、いくつも運び込まれていた。

期待通り、廃屋レストランを改築に来ている作業員が、道の駅の喫茶室に来てくれる。


かなり、ボリュームのある食事をして廃屋レストランに戻って行く。


「下のキャンプ場で、殺人事件があった事、知ってましたよ」

アルバイト店員が云った。

店長は、毎日ニュースを気に留めている。

犯人が捕まったというニュースは、まだない。

被害者は。隣県の男だった。

年齢は三十九歳。無職。


あの殺人事件のあった少し前に、いつも来ていた県外ナンバーの男と同じ隣県だった。


あの男も来なくなった。

刑事も、あの男の事を聞き込みに来ていた。

同じくらいの年齢の男が、あの男を探していた。

誰かから聞いたと云って、道の駅を訪ねて来た。

また来ますと云っていたが、あれから、来ていない。

あの男を見付けたのかもしれない。


防犯カメラの映像は、上書きしていた。

映像が残っていたとしても、警察からの要請がなければ、見せるつもりはない。

どちらにしても、見せる事は出来なかった。

刑事も、あの男を探しに来た男も関心を持っていた。

まさか、あの男が殺人事件の犯人だとは思わないが、何か関係があるのかもしれない。


廃屋レストラン工事の始まる前に、工事を請け負った業者が挨拶に来た。


道の駅の店長は、怖くて、何の工事なのか良く聞き取れなかった。

小心者の自分を呪った。


工事の内容を現場監督が云ったようだか、店長は、あまり、よく理解できなかった。


「あんなとこで商売に、なるんですかね」

アルバイト店員が云った。

その通り。

商売に、ならなかったから、レストランを廃業したのだ。

そこに、また、レストランを開店するとは、思えない。

温泉宿でもない。ホテルでも旅館でもない。

医療関係という事だか、良く理解できない。

店長は、はっきりと、分かっていない。

簡単に云うと、健康診断をする施設だそうだ。

こんな、山の中に建てて、患者さんが来るのだろうか。

アルバイト店員には、工事の現場監督の云った事が分かったようだ。


今更、何ができるのか、アルバイト店員に聞く事も出来ず、ただ、頷くばかりだった。

「人間ドックを態々、こんな山ん中に建てんでも、ええ思うけどな」

黙って聞いているとアルバイト店員が喋り出した。

そうか。人間ドックというのだった。

何日が、そこに入院?宿泊?して、色んな検査をするそうだ。

店長も毎年、健康診断を受けているが、何日も宿泊して検査を受けた事はない。

少し心配していた血圧は正常だった。

コレステロール値が、異常に高い数値を示していた。

要再検査の通知が届いた。

しかし、面倒だったので、再検査は、受けていない。

昨年も再検査の通知が届いた。

再検査には、行ったのだか、生活習慣の改善を繰り返し説明された。


面倒というのは、家族に云ったのは嘘で、本当は、怖かったのだ。

コレステロール値が高いくらいで、まさか入院には、ならないと思うが、生活習慣指導や食事制限は怖い。


「店長も、ここの人間ドックに入ったら、どうですか」

アルバイト店員から進められた。

「そうやなあ。三日ほど、入ってみよっかな」

道の駅のすぐ隣だし、人間ドックから歩いて三分。

検査の合間に、店舗を見に戻る事が出来る。

店長は、その気になった。


「そんな訳には、いかんと思いますよ」

アルバイト店員が云った。


人間ドックに入ると、食事や睡眠、排泄まで管理されるそうだ。

店長は、知らなかった。


先日、施設の責任者らしき男が、喫茶室へ入って来てカウンター席に着いた。

アルバイト店員が、その男の世間話に付き合ったそうだ。

その男から聞いたそうだ。


「儂が、隣の人間ドックに入ったら、店の方、あんたに頼むわな」

店長は、冗談を云った。

「任せて、ください」

アルバイト店員は、本気で云っている。

「あっ。いやいや」

店長が否定しようとする前に、さらにアルバイト店員が云った。


「けど、あの人間ドックは、日帰りの検査だけで、二万円するっちょったですよ」

日帰りだけで二万円なのか。


三日も入ったら、どんだけ金が掛かるのか。

「冗談や。ひっひっひっ」

店長は、冗談として済ました。

アルバイト店員も一緒に笑った。

良かった。冗談で通った。

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