9.発端
「行こうか」
と秋山さんが、そう云って五岳山営業所を出て行った。
富樫さんと智子は、秋山さんに拉致されたようなものだ。
何処へ行くとも告げられずに、連れ去られた。
梅本薬品の百々津営業所へ着いた。
秋山さんは、車を梅本薬品、百々津営業所の駐車場へ乗り入れた。
事務所の玄関の真ん前へ停めた。
慎重な富樫さんが、擂鉢堂の五岳山営業所で、一番目立たない場所を探して駐車していたのとは、大違いだ。
秋山さんは、営業所の真ん前、一番目立つ場所へ車を停めた。
玄関から事務所へ入ると、真っ直ぐ奥の席へ向かった。
富樫さんも智子も慌てる暇もなく、秋山さんに付いて行った。
秋山さんが向かう、真正面の奥の席に、誰か座って居る。
「ああっ。アッきゃん」「また来たんやねぇ」「忙しいんやね」
周りの女性事務員から、声が掛かっている。
秋山さんは、いちいち、「何なんや」「何べんでも来るわいや」「おう、忙しいんや」と応えている。
智子は、あちこちへ目を遣りながら、富樫さんと一緒に、秋山さんへ付いて行った。
あっという間に、目指す席の前に着いた。
「お疲れさまです」
秋山さんが一番奥の席にいる男の人に挨拶した。
「三井所長。こちらが事務所の方です」
秋山さんが紹介した。
事務所ってどこの?
智子は、そう思いながら会釈をした。
隣で、富樫さんも会釈している。
「どうも、態々、済みません」
三井所長という人が、何かお礼らしき言葉を云った。
「二階。会議室、開けとるし、坂本君、すぐ呼ぶわ」
三井所長が、そう云った。
「ああ。ありがとうございます」
秋山さんは、そう云って、二階の会議室へ向かった。
富樫さんと智子は、また、早足で秋山さんの後を追った。
秋山さんは、会議室の前で立ち止まり、自動販売機の前に戻った。
「コーヒー、買おうか」
秋山さんは、自動販売機の前で、「何が良えんな」と云って、硬貨を入れた。
「俺は、カフェオレ。ホットで」
富樫さんが答えた。
「私は、ホットレモンティー。ストレートでお願いします」
智子も奢ってもらう事にした。
秋山さんは、智子にカップを渡すと、富樫さんのオーダーしたボタンを押した。
待合所のソファーで三人並んで飲み干した。
坂本さんだろうか、男の人が二階に上がっ来た。
「ああ。こちらです」
秋山さんが男の人を会議室に招き入れた。
「坂本さんは、多田と親しかったんですね」
秋山さんが、坂本さんに尋ねた。
この人が坂本さんだ。
物流課の坂本さんから事情を聞いている。
坂本さんは、以前、物流課で返品処理作業を担当していた。
返品処理とは、得意先から返品になった現品を元に、担当MSが、会社書式の返品メモを作成して、物流課へ引き渡す。
物流課では、受け取った返品メモと現品を納品リストで照合する。
その確認を通過しないと、正式な返品伝票は、発行されない。
従って、得意先に返品伝票は、届けらない。
当時、坂本さんは、浅水病院を担当していた多田さんと親しかったらしい。
返品処理に慣れた頃、浅水病院からの返品処理をしていた。
坂本さんは、納品リストとの照合を終えた。
二品にチェックが付いていなかった。
多田さんと会った時に、その事を云った。
それは、ハヤブサの拡売企画商品だった。
多田さんが、浅水病院に無理を云って、全部返品になっても良いから、納品させてくれと、頼み込んだ商品だ。
物流課では、暗黙の了解で、押し込み商品の、返品処理を引き受けている。
納品リストの内、二品が返品されていないという事は、二品が使用された、という事だ。
坂本さんは、多田さんに「おめでとう」と云ったのだ。
それ以来、親しく話すようになった。
半年後、毎度のように、浅水病院の拡売企画の返品処理をしていた。
納品リストに、記載の無い商品が、返品されていた。
多田さんに確認すると、驚いていた。
その商品を手に取り、何か思い出したようだ。
他の卸会社の商品を間違えて、持ち帰ったようだ。と云って、その商品を持ち去った。
得意先に、無理やり、何でもかんでも商品を押し込む訳にはいかない。
得意先と価格が合意して、採用された薬剤しか納入できない。
ちなみに、この県において、ハヤブサの商品は、梅本薬品か擂鉢堂しかない。
勿論、両者で同一商品が、同一得意先で採用になっている事も多い。
ただ、今回の場合、梅本薬品で採用されていなければ、擂鉢堂から納品されたものだ。
後日、坂本さんが、多田さんに尋ねた。
やはり、擂鉢堂の返品分だった。
その時、多田さんから頼まれた。
浅水病院から返品になった商品について、有効期限とロット番号を納品受領書との確認を依頼された。
「それくらいなんです。だから、そんなに親しかった訳では、無いです」
そこで、一旦、坂本さんの話しは、終った。
ちょうどその時、部屋のドアでノックの音がした。
男の人が、坂本さんを呼びに来たのだ。
得意先への配送を指示されていた。
坂本さんは、会議室から解放された。
納品書は商品と一緒に得意先に渡す。
確かに納品されましたという証に、得意先から納品受領書に受領印を貰う。
納品書は複写になっている。
納品書には、記帳義務商品については、その有効期限とロット番号をMSが記入している。
納品受領書には納品書に記入した有効期限とロット番号が複写されている。
浅水病院の返品について、有効期限とロット番号を確認するという事は、擂鉢堂が納品した商品が返品される可能性があるという事だ。
「ちょっと、コーヒー飲もうか」
秋山さんが云った。
さっさと会議室を出ると、自動販売機の前に行った。
また「何にする?」と聞かれた。
「俺は、アイスコーヒーで、ええわ。シロップ付きで」
富樫さんが答えた。
「私は、アイスレモンティー。ストレートでお願いします」
智子は、会議室に入る前に飲んだのは、ホットだった。
かなり気温が上がったので、アイスをお願いした。
また、三人並んで、ソファーに掛けた。
「あのう。良いですか」
智子は、気になっていた事を尋ねた。
「所長さんに、私達二人を事務所の方、と紹介していましたけど」
「ああ。あれ、時期が時期やから事務所の方て言えば、何処かの事務所の人と勘違いするかなぁ、と思って」
秋山さんは、そう云った。
会計事務所か弁護士事務所か分からないが、何処かの事務所の人だと思い込ませたのだ。
実際は、擂鉢堂の経理課の人間だが、事務所に居る人には違いない。
合併の話しは出来ないので、擂鉢堂の人とは、紹介出来なかったのだ。
秋山さんは、ソファーに座って、ニヤニヤとカップコーヒーを飲んでいる。
秋山さんは、二杯とも、ホットコーヒーのブラックだった。
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