4.告白
「昨日の人、誰なん?」
東さんが、尋ねた。
「ソフト開発会社の人やよ」
富樫は、惚けるしかない。
合併の件は、まだ発表出来ない。
しかし、業務内容や処理手順等、事前調査に梅本薬品から何人か訪問がある。
昨日は、梅本薬品の経理の秋山と電算課の岩本課長が来ていた。
今日も岩本課長は、電算業務室に詰めている。
擂鉢堂では、新規システムを導入すると社内にアナウンスした。
販売管理システムと会計システムを連動するという触れ込みだ。
現行の擂鉢堂の会計システムは、外部に委託して、汎用ソフトをカスタマイズしている。
販売管理システムとは切り離されている。
これを新システムを導入して連動するというものだ。
確かに、梅本薬品の業務システムに移行すれば、販売管理システムと会計システムは、連動するのだから、間違いではない。
秋山も岩本課長も、新規システムを導入する会社の人間という事になっている。
「あの人、ほんまにソフト開発の人なん?」
富樫は、本当にソフト開発会社の人だと云い切るしかない。
勘の鋭い東さんは、何か違和感を持っているようだ。
経理課で、たまに居酒屋へ飲みに行く事がある。
いつもは、越智課長を含めて経理課六人一緒だ。
今日は、富樫と東さんの二人だけだ。
しかも、東さんから飲みに行こうと誘われた。
東さんを本社勤務に異動したのは、田所本部長だ。
富樫が、浅水病院の売掛金着服事件と合併処理で、身動きが取れなくなる。
本社経理課の補強として東さんが異動になったのは、異例中の異例だ。
社宅アパートを準備されている。
職種も一般職から総合職になっている。
ただ、七年勤続のベテラン、東さんを引き抜かれた肱川営業所としては、堪ったもんじゃないだろう。
当の東さんは、本社勤務になって、まだ二ヶ月足らず。
それでも、日常業務は確実にこなしている。
月末月初処理も、まだ二度しか経験していないが、煩雑な処理を既に理解したようだ。
「聞いとるん?」
東さんが不満そうに富樫を見て云った。
東さんは、今日、田所本部長の部屋へ残高試算表の回覧簿を提出に行った。
ドアの前でノックをしようとした時、中から声が聞こえた。
「鉢須賀の名前が消えるのは、我慢できんのや」
はっきりと聞こえた。
東さんは、どうしよか迷ったが、ドアをノックした。
「はい。ちょっと待ってなあ」
中から田所本部長の声が聞こえた。
すぐに、ドアが開いて、男の人が出て来た。
東さんの知らない人だった。
東さんは、お辞儀をした。
ドアを開けた、田所本部長が、後ろから男の人を見送っている。
東さんは、男の人が見えなくなるまでお辞儀をしていた。
部屋の出入口で、田所本部長に回覧簿を手渡して戻ろうとしていた。
「ああ。東さん。どうぞ」
田所本部長が、東さんを部屋へ招き入れた。
田所本部長は、席に戻った。
東さんは、席の前に立った。
「もう、慣れましたか」と田所本部長。
「はい」と東さん。
「お父さんは、お元気ですね」と田所本部長。
「はい」と東さん。
田所本部長の出身は、肱川市だ。
以前から東自動車整備工場の父親を知っている。
「また、一度訪ねますと伝えてください」と田所本部長。
「はい」と東さん。
もどかしい、会話が続くのだった。
以前、東さんの父親が、田所本部長の社用車を石鎚山本社へ持ち込んだ時、久しぶりに会ったそうだ。
その時、東さんの父親が、要らぬ一言を云った。
娘はもう二十五歳になるのに、まだ恋人もいない。
本部長の部屋のドアは、開いたままだ。
こんな会話を誰かに聞かれたら大変だ。
東さんは、今、二十六歳の筈だ。
田所本部長は、東さんの父親と最近会った事になる。
田所本部長は、話しを続ける。
誰か良い人がいたら紹介してくれと云った。
それ以来、田所本部長は、東さんと会えば、それとなく彼氏が出来たのかと尋ねるのだった。
鉢須賀とは、鉢須賀相談役の事だ。
田所本部長の部屋を訪ねていたのか。
富樫は、鉢須賀相談役が云っていた言葉を考えていた。
東さんの話しは続く。
今日も、そんな話しになった。
東さんのどこかで、弓弦の切れる音がした。
「恋人が出来ました」
咄嗟に東さんは答えた。
鉢須賀相談役が合併に難色を示しているのは、そんな事なのか。
富樫は、まさかと思った。
今夜、一緒に食事をする事になっていますと云い添えた。
「ああ。そうなんや」と云って、目の前の東さんを見た。
「ええっ!!」
やっと富樫は、我に返った。
驚いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます