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「――来たっ!」

 地面に落ちる大きな影を観測した俺は理科室のガラス窓を勢いよく閉めた。

「おい南雲なぐも。窓は静かに閉めろって言ってるだろ」

「すまん!」

「謝罪はいい。反省は以後の行動で示せ」

 淡々とした理人りひとの声を聞きながら、俺はリュックサックの中から折り畳み傘とガラスの小瓶を取り出す。

 小瓶を右ポケットに入れ、左手で傘を持つ。代わりにスマホや腕時計といった電子機器をテーブルに置いた。

「だから先に外しとけって言ったのに」

「思ったより早かったんだよ!」

 顕微鏡で何かを覗いている理人はこちらにはまるで興味が無さそうだ。そのくらいのほうがいい。ただ貴重品だけは見といてほしい。

「理人、俺のリュックちゃんと見ててな!」

「校則通り理科室は十九時に施錠する。時間までに帰ってこい」

 こいつの喋りは本当に事務的だ。部長がそんなんだから自然科学部に部員が入らないんだよ。

 だが今そんなことにかまっている時間はない。チャンスは一瞬だ。

「いってきます!」

「おい、忘れ物だ」

 その声に振り向くと理人はこちらに何かを放った。俺は飛んできたそれを咄嗟に掴む。

 手の中にあったのは牛のキーホルダーが付いた鍵だった。俺のママチャリの鍵だ。

「ありがとう」

「謝辞はいい。感謝は以後の行動で示せ」

「じゃあいちごミルク奢る」

「それでいい」

 理人の短い返事を片耳で聞くと同時に、俺は理科室を飛び出した。階段を二段飛ばしで駆け下りて靴を履き駐輪場に向かう。

 駐輪場に置かれた赤いママチャリを見つけて鍵を差し込む。ガチャン、と派手な音がして錠が外れると、俺は駐輪場から愛車を引っ張り出してサドルに跨った。

「よし、行くぞ」

 自分に言い聞かせるように俺はあえて口に出した。

 ペダルを思い切り踏みこみ、車輪を急回転させる。チェーンの回る音を聞きながら、校門を猛スピードで飛び出した。

 ――行くぞ、勇気を集めに。



***


「で、間に合ったのか? ってのは訊くまでもないな」

 髪や裾から水滴をぽたぽたと床に落としている全身びしょ濡れの俺を見て理人はため息をつく。

「へっくし!」

 理科室のクーラーが身体を急激に冷やしてくしゃみがひとつ飛び出た。そんな俺を見ながら呆れたように彼は言う。

「毎度毎度よくやるよな。寒くないのか?」

「全力でチャリ漕いできたから平気だ。まあ夏だしすぐ乾くだろ」

「バカは夏を信用しすぎる節がある」

「うるさいな。てかわかってんなら冷房切るとか優しさ見せてもいいんだぞ」

「冷房切ったら暑いじゃないか」

 三角フラスコを振りながら淡々と言う理人は冷房のリモコンに近付く気配もない。まあそうだろうな。ここで逆に優しくされたほうが偽物を疑うってもんだ。

「ま、いいや。それより見ろよ、あとひとつだ」

 俺は理科室の黒いテーブルに蓋をした小瓶を置いた。その中は透明な液体が満たされている。

 理人の後ろの窓際には同じように液体がいっぱいに入った小瓶が三本並んでいた。


「あと一本で俺は文月ふづきさんに告白する」

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