私より知っている 第2話 異変

「和久井! 携帯をしまいなさい!」

「はい……すみません……」

「授業中は携帯の電源を切りなさい!」

 気がつくとそこは授業の真っ最中だった。スマホに夢中で、授業中だと言うことをすっかり忘れてしまっていたようだ。咲良はそっと鞄の中にスマホをしまうふりをした。

「和久井、携帯出しなさい」

 先生は、咲良がスマホを隠している事を見破っていた。

「出しなさい!」

 咲良は、先生の声にびっくりして、スマホを机の上に出した。先生は、スマホを没収すると、「後で職員室に来なさい」と言って教壇に戻り、授業を進めている。

 咲良は今までに感じたことのないような恐怖感に襲われた。自分の世界の何もかもを、一瞬にして奪われた気がしたのだ。数分すると、手が震えてきた。自分の手のひらから、全てがこぼれ落ちていく。咲良は震えとともに汗をかいてきてしまった。

「返して……」

 先生は授業を続けている。

「私のスマホ! 返して!」 

 咲良は走って教壇に向かい、スマホを奪って教室を出ると、そのまま玄関に向かい、革靴に履き替えて外に出ていってしまった。校舎が背中越しに見えたところで、鞄を教室に置いてきてしまったことに気がついた。でも大丈夫、財布がなくたって、鞄がなくたって、スマホさえあれば生きていけるような気がした。すると、後ろから先生の声が聞こえた。

「和久井! どうしたんだ」

「先生が、私のスマホ、取るから……」

 先生は、真っ青になった咲良の顔色を見て、明らかに様子がおかしいことを察知したようだ。

「……わかった、スマホはもう取らないから、とりあえず教室に戻りなさい。授業中はしまっておくように」

「……はい」


 咲良は帰宅すると、何も言わずに部屋にこもる。家には誰もいないようだ。そのうちに、母親が買い物から帰ってきた。

「咲良? 帰ってきてるの?」

 咲良は布団の中から出ることができないでいた。母親の声は聞こえない。真っ暗な部屋の中で、スマホの光だけが、煌々と咲良の顔を照らしていた。

「サニー先輩から返事こない。既読になっているのに……」

 咲良の心臓の鼓動を速くなっていくばかりだ。今日あんなことを学校でしてしまったから……知られてしまったのだろうか、もう嫌われちゃった? 思考がぐちゃぐちゃになって、迷路に迷い込んでいるような気持ちになった。


 その日から、咲良は余計にスマホが手放せなくなった。サニー先輩からの返事は未だにこない。あの日先生にスマホを取り上げられたことをきっかけに、咲良は学校でスマホを手放す事が怖くなり、充電することができなくなった。

「ママ……参考書買いたいんだけど……」

 咲良の今月の残りのお小遣いでは、そんなものを買える状況ではない。母親に嘘をつくなんて、自分はどうしてしまったんだろう、と耳の奥で内なる声が聞こえている気がするし、胸の鼓動は速くなるばかりだ。

「え? なに、珍しいわね、いくら欲しいの?」

「三千円くらいかな……」

 咲良は普段何かをねだったり、ワガママを言うことがほとんどない。母親は疑う事もなく、お金を渡した。

「ありがとう」

 咲良はその足で、家電量販店に向かった。

「あった……これ二回分充電できる」

 咲良はモバイルバッテリーを手にしていた。それを手にした時、咲良は久々に感じる安心感に包まれていた。先程までの胸の鼓動は既に、落ち着いている。しかし、その安心感はすぐに消えてしまった。


 自宅に帰ると、スマホが鳴った。サニー先輩からの返事だ。

『もちろんだよ、楽しみにしてる』

 返事ひとつに、三日も待たされた。信じられない。毎日スマホは触っているものじゃないのだろうか、咲良は三日も待たされた真意を聞きたい気持ちを押し殺して、返事をした。

『試合、頑張ってください! 私も楽しみにしています』

 咲良は好きな人から返事が三日も来なかった理由について、自分のゲームのコミュニティの中で質問してみることにした。

『え! それはもう気がないってことじゃな〜い?』

『そんな事ないよ! 忙しかっただけ』

『でも学生でしょ?』

『ウザがられてるんだよ』

『それはもう脈なしかもネ〜』

 ネガティブな意見がほとんどだった。咲良はポジティブな意見を言ってくれる人を求めて、コミュニティをずっと眺めていた。


「咲良! ご飯よ! 降りてきなさい」

 母親の声が聞こえる。しかし、今の咲良にとって、夕飯のことなんてどうでもいい。咲良は真っ暗な部屋で、また布団の中に潜り込んで、その声を消し去った。

「咲良! ご飯だって言ってるでしょ!」

「いらない……食欲ない……」

 母親は部屋まで咲良を呼びにきたが、咲良のその無気力な声を聞いて、余計に頭に血が上ってしまった。

「あんたはどうしているもそうなの! いらないならいらないで、早く言いなさいよ! それに部屋の電気をつけなさい!」

 母親は部屋の電気をつけた。すると、当分味わった事のない光が眩しくて、咲良は余計に布団の中に潜り込んだ。

「……」

 咲良は何も答えなかった。今は母親が怒っていることも、夕飯の事も全てが自分にとって、不必要な現象のように思えた。母親は、その咲良の姿に不安を覚えたのち、諦めて部屋の扉をゆっくりと閉めた。


「あなた……咲良、もしかして携帯依存症なんじゃないかしら……」

「携帯依存症?」

 母親は、自分の夫に咲良の携帯依存について相談していた。明らかに、スマホを持たせてから余計に、咲良は自分の世界を作り上げてしまったようだ。このままでは受験勉強もままならないだろうと言うことを、母親は心配していた。

「考えすぎじゃないか? 最近の女子高生はあんなもんじゃないのか?」

 父親は特に気にしていないようだ。

「にしても流石にやりすぎよ! あの子、学校で大丈夫なのかしら……」

 そんな心配をしていると、家の電話が鳴った。

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