あなた 第2話 手術


「お嬢さんの命、助けることできますよ」

 那々子の両親は、この三ヶ月間、何よりも聞きたかった言葉をかける男が現れた、と思った。

「本当ですか⁉︎ どうすればいいんですか⁉︎ あなたが治療してくれるんですか⁉︎」

 那々子の母は食い気味に訊いた。

「お嬢さんの姿に未練はありますか?」 

 那々子の両親は、五名の言葉の意味が理解できていないようだ。

「お嬢さんの何を愛していますか?」

「全てです、あの子は私たちの光、宝なんです。あの子を失うなんて……考えられません。あの子がいなくなってしまったら、私たちは、生きている意味がありません‼︎」

「お嬢さんの姿にこだわらないのであれば、お嬢さんはこれからも生きることができますよ」

 いまだに五名が何を言っているのかわからない、しかし、二人は藁にもすがる思いで、五名の話しを詳しく聞くことにした。


「お嬢さんの脳を、脳死した体に移植するんです」

 それは信じられない提案であるかのように思えて、那々子の両親は思考が止まってしまった。五名の細いメガネの奥に光る眼光は、獲物を静かに狙う蛇のように見えた。しかし、二人はすでにその眼に捕らえられていた。その男の眼の奥に、なにかを確信しているような自信を感じたからだ。

「今日の午後、うちの病院に身元不明の少女が交通事故で運ばれてきました。すでに脳死判定をされています。家出少女のようで、警察病院に身柄を預ける予定ですが、このまま身元がわからなかったら警察の方で荼毘にふされるでしょう。その前に、お嬢さんの脳を彼女の脳と入れ替えるんです。彼女は脳死していますが、体の方は健康な十代後半の少女と思われます、何の異常も見られませんでした。残念ながらお嬢さんの体は、もう元気に戻ることは無いと思います」

「そんなことが、本当に可能……なんですか?」

 那々子の母は、五名の目をまっすぐと見つめて、訊き返した。

「可能ですよ、私ならば」

 那々子の父は、自分の人生の経験から、この男が、とんでもなく異常な男で、絶対に付き合ってはいけない男だということは本能で感じていた。しかし、この男が嘘を言っていないことも確信できた。

「姿形は、その少女のものになります、彼女の体をもらうわけですから、でも人間の本質は脳ですよ。脳が記憶を継承し性格を決める、見た目は変わっても、中身はお嬢さんのままというわけです。心配しなくても、その少女もなかなか美人さんですよ」

 五名はニヤリと笑って、那々子の両親に告げた。

「彼女のお名前は……?」

「全くわかりません。警察で身元を調べてもらっていますが、身分を証明するような物は何も所持していませんでした。きっと家も、ネットカフェなどを転々としていたのでしょう。行方不明者の捜索願が出されていなければ、警察もそこまで本腰を入れて捜査しないと思います。だからできるんですよ、実は、このような身元不明のご遺体は、この平和な日本に五万といるのです。あ、彼女はまだ遺体ではありませんがね」

 人間の尊厳として、この一線を越えてもいいものなのか。何をしていたかもわからない、少女の姿になっても、それは那々子だと言えるのだろうか、那々子の両親は顔を見合わせて、口を開かないまま、互いの意見を伺った。

「お会いになりますか? その少女に」

「……はい、お願いします」


 那々子の両親は、初めてそんな暗い病院の中に入った。夜はふけ、すでに面会時間はとうに過ぎていて、入院病棟には、本当に他の患者はここに入院しているのだろうか、というほど静かだった。ナースステーションの明かりだけはついていたが、誰もいる気配はしない、と思ったら、細身の茶髪のナースが眠そうに頬杖をついて座っていた。

 入院病棟の一番奥の階段を一階分降りた、言われなければ誰も気づかないような部屋に、その少女は眠っていた。

 少女は黒髪のボブカットで幼い顔立ちをしていた。高校生くらいなのだろうか。声をかけたら、面倒臭そうな眠気声で、眼をこすりながら起きてきそうな雰囲気を醸し出している。

「本当に、もう起きないんですか……?」

「ええ、私が脳死判定をしましたが、どんな刺激をあたえても、脳の電気信号は何も反応していません。九十九パーセント、彼女が再び目を覚ますことはありませんね」

 少女の姿は、那々子とは似ても似つかないものだった。しかし、那々子の母は、この少女の姿をした那々子が目の前に現れたら、愛することができる自信が湧いてきた。

「本当に……那々子として生きることができるのなら…………お願いします……!」 

 母は声を振り絞った。父はまだ本心で決めかねていた、だが覚悟がこもった妻の言葉を聞いて、首を縦に振らざるをえなかった。

「ご理解いただけてよかったです、では、さっそく手術の準備に入りましょう、このことは、もちろん他言無用ですよ」

「対価は……?」

「一億円です」

 那々子の両親にとって、一億円など、娘の命を考えれば、大した金額ではない。本当に五名を信用していいものか、この男に一億円払えば、那々子は人生を断絶されることはなくなるのか、しかし、今はこの蛇のような男に頼る以外に娘を救う方法が二人には見つからなかった。それだけの手はもうつくした。時間も長くは残されていない。早くしないと、本当に那々子は旅立ってしまう。両親は覚悟を決めた。二人の目には、五名の妖しくにやけた口元と、金色に光る眼光だけが焼きついた。

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