4話:栄子(妻)、キレる

「―――あ、もしもし親父? 今どこいんの? ん? リンリン? ンなこと言ってる場合かよ」


 他人にどうこう言える立場ではない勇治だが、今は本当にそんなこと言っている場合ではない。

 自分のことそっちのけで、語気を強めて話し続ける。


「もっと自覚持てよ。はぁ? 何? ひょっとして酔ってんの?」


 電話口の向こうでへべれけになっている元樹の姿が浮かぶ。


「早く帰って来いよ。仕事で朝帰りならいいけど、女のとこから朝帰りなんてシャレにならないって、マジで」


 向こうの方で何やらごねているのか、元樹からはっきりとした返事が返ってこない。


「なぁ頼むって。どこで誰に見られてるか分かんないんだから。こんなことが週刊誌にでも載ってみろよ、モデルファミリー争いから外れるぞ?」


 みんなのことを考えてくれ、一人で勝手なことするな、勇治のそんな言葉も酔いがまわった元樹の耳には届かないのだろう。

 泣き落としのような勇治の声を聞きながら、世良田一家は無言で虚空を見つめていた。


 黙って2人のやりとりを聞いていた栄子が、とうとう我慢の限界に達し、舌打ちをする。

 乱暴に勇治の手からスマホを奪い取ると、芯まで凍りつきそうなほど冷たい声で言い放った。


「――すぐに帰ってらっしゃい」


 相手の返事を待たず、栄子は静かに通話を切った。


 その背中には、目に見えない怒りのオーラが漂っており、水面に静かな波紋がたつように部屋中の空気がゾワゾワっと揺らいだ。


 間違いなく、元樹も今同じ状態だろう。



  ・


  ・


  ・

 


 栄子は凝った首をぐるりぐるりと回し、みんなの方に向き直る。

 そうしてしばらく黙って家族を見渡した後、慎重に言葉を発した。


「みんな、いい? よぉく聞いてちょうだい」


 誰もが息を呑み、居住まいを正す。


「自由を謳歌するのは全てが終わってからにしてちょうだい。あと半年、あと半年よ。これから先の人生を考えれば、半年なんて短い期間じゃないの」


 栄子は、ダサいジャージ姿でこちらを見ている美園を睨む。


「家の中でジャージはやめて。いつどこで誰が見てるか分からないわ。言葉遣いにも気をつけて。特に学校ではね」

「――はい」


 栄子の気迫にのまれ、美園は大きく頷いた。


「それから、勇治」


 名前を呼ばれた勇治は、ごくりと咽を鳴らす。


「その犯罪スレスレの行為、あと半年間は隠し通してちょうだい。あなたの彼女は、千秋ちゃんじゃなく、夏美ちゃんよ。分かった?」

「俺とち~たんはそんな関係じゃない。俺はただこの子の成長を見守りたい、純粋にそれだけなんだ。よこしまな気持ちなんてこれっぽっちもないぞ」


 曇りのない瞳で断言する勇治を前に、千秋はぶるぶると首を振る。


「でも私はゆうたんのこと好きだよ」


 うるうるとした瞳で抗議する千秋を見て、勇治の目も潤み始める。


「ち、ち~たん……」


 おそらく千秋の<好き>には1ミリたりとも恋愛感情はない。

 あくまで庄司家で飼われている大型犬と同じ感覚だろう。

 自分になついてくる<犬=勇治>を可愛がっている、そこにそれ以上の意味は含まれていないはずだ。


 けれど、勇治はどうだろう。

 本人は<妹のように愛しく思っているだけ>と話しているが、血のつながった本物の妹にこんな愛情表現を見せたことがない。


 美園はとてつもなく情けない気持ちになってため息をついた。


「どうしてこうなっちゃんたんだろう」


 思わず呟いたその声を拾い上げ、栄子は語気を荒げる。


「どうしてこうなっちゃんだろう、じゃないわよ! 他人事だと思わないで。勇治が警察にでも捕まってごらんなさい、父親の不倫どころの騒ぎじゃないわよ!世良田一家は全滅よ」

「逮捕? なんで俺が逮捕されるんだよ」


 ふてくされたように声を上げた勇治だが、栄子の様子がおかしいことに気付き、すぐに口を閉じる。


「――なんで?」


 栄子の声が一段と低くなる。

 目に見えない怒りのオーラが栄子の周りを取り囲み始めた。


「あんた、あたしに罪状を言ってほしいの? ん?」

「い……いや、そういうつもりじゃなくて」

「あんたが、未成年の子とよろしくやったことに対し、どんな罪に問われるか、その罪状を母親のあたしに言えと?」

「いや、ほんとごめん。俺が全部悪い」


 鬼の形相をした栄子を前に、勇治はひたすら床に頭をこすりつけて許しを請うた。

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