神罰

鈴木秋辰

神罰

 なにゆえ法廷画家なんて連中を招致してわざわざ裁判の絵を描かせるなどという面倒なことをしているかお前らは知らないだろう。社会科の教科書に東京裁判の写真が載っていたって?普段なら屁理屈だと一笑に付すところだがいい線をいっているじゃないか。

 世間ではカメラのフラッシュが裁判の妨げになるなどというもっともらしいカバーストーリーが流布され茶の間の阿呆共はまんまと丸め込まれているが実際は違う。あんたも文化人を気取るなら裁判の傍聴くらい一度出てみるべきだ。

 真相はこうだ。法廷には神がいる。神の御前でカメラをパシャパシャ撮ってみせるなどとそんな無礼なことができようか。できるはずがない。念を押すようだがこれは比喩ではない。法廷には神がいるのだ。こう“神“を持ち出してくると口うるさい連中が湧いて出る。それはどんな姿なのか。正義の神なら剣と天秤を持っているはずだ。厳格かつ聡明な賢者のような容姿であるとか。色々だ。言わせてもらうが正直な話そういった類は所詮人間の考えだしたキャタクターに過ぎない。

 神は神なのだ。そこにはただ神があるのみなのだ。思えば当然である。人が人の罪を裁くなどどうしてそんなことができようか。神のみが人を裁くことができるのだ。

 話を戻すがつい先ほどいい線をいっていると述べた東京裁判についてだ。日本における法廷において神が降臨されるようになったのは戦後間もなくのことである。当時の日本は敗戦国の宿命か。G H Qにあーだこーだと様々な改革を余儀なくされた訳である。そして、例に漏れず司法ひいては裁判もまた欧米ならびに西洋の風を新たに吹き入れることとなったのだ。何を隠そうそれこそが神なのだ。

 してその大いなる神によって俺は今日、無罪判決をいただいたのである。神の裁きなのだ。普段の信心の賜物だ。誰も文句はあるまい。なのにどいつもこいつも今まで散々俺のことをコケにしやがって。

畜生。馬鹿。間抜け。牛の糞。

回虫。雑巾。おたんこなす。地獄の亡者。餓鬼の肝。

「大嘘つき。乱暴者。人の皮を被ったカタツムリ。ノロマ。渋柿。四十過ぎ。アニサキス。シラミ野郎。糞詰まり。スカポンタン。田舎者。都会っ子。ブス。ババア。淫乱女。色狂い。パチンコ狂。豚の尻尾。アホ」


 何やらぶつぶつと唱えながら遠ざかって行くくたびれた茶色い猫背が赤信号の堰を切って流れ出した車の波によって横断歩道の向こうの雑踏へ消えていった。

 その様子を確認した後、壮年の弁護士はガラス戸を潜り病院の待合室へと戻った。そして、自販機の横の座席に腰掛けている、まだどこか学生のような若さが残る精神科医にお礼を言った。

「先生、お疲れ様でした。彼の様子はどうでしたか」弁護士の丁寧に整えられた数本の白髪が混じるオールバックと細い銀縁のフレームからはその彼のその生真面目さが伺えた。「や、これはどうも。こちらこそありがとうございました」精神科医もまた彼の真面目さに応えるように立ち上がってから答えた。「彼は何か妄想に取り憑かれているようです。詳しくは今後の診断でさらに詳細な治療や診察を行う予定ですが刑事責任能力無しというのはやはり間違い無いでしょう」


 翌朝、新聞には『まさかの無罪判決、問われる責任能力』の見出しと共に、一枚の法廷画が掲載された。

 その法廷画には裁判長の頭上の虚空を惚けた顔で見上げる被告人が描かれていた。まるで、その虚空に神でも見出したかのように。

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神罰 鈴木秋辰 @chrono8extreme

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