リセット

オレンジの金平糖

リセット

 かろうじて動いている政府の指示の元で、ネフは、地上に積もっている灰とも砂とも言えない黒いものを除去する作業をしていた。旧種の人間の生命維持機能は限界に達していた。次の月で処分になる人は今までの月の倍になるらしい。それを聞いた人々は生き残るために日々躍起になっていた。

「おい、その作業機よこせ!」

「何言ってんのよ、私に死ねって言いたいわけ⁉︎」

 あちらこちらで争う声が止まない。ネフは境界線ギリギリのところで一人、素手で堆積物を吸い取っていた。次の月の処分者が自分でも別に良かった。どうせそのうち全員いなくなる。早い方が楽に消されるのではないかと噂もあった。


 体内に溜まった堆積物を排出させようと、背後に止めておいた個人タンクに両手を当てる。ホースを接続して走り回る人を横目で見て、ネフは嘲笑した。何をしたって変わらないのに。

 体内が空になったのを確認して再び作業に戻る。しゃがみこんで手を伸ばすと、何かが埋まっているのが見えた。地面に黒以外の色を見るのは初めてかもしれない。

 それは何やら錆びたダイヤル付きの箱だった。支給品ではないし、堆積物の中に物が入り込むなんていうことはあるのだろうか。ついていたダイヤルをくるくると無造作にいじった。箱の蓋は開かない。


 その代わりにダイヤルについていた小さな液晶パネルに表示されていた数字が0000から-8503に変わっていた。液晶パネルは何度か数字を点滅させてから、ネフの目に向けて光線を発した。許容光量を超え、ネフの目に自動的にシャッターが降りる。再び目を開いたときには、一面に広がっていた禍々しい堆積物は綺麗さっぱり消えていた。


「え? 嘘だろ故障かよ」

 視覚異常だろうとふんで、ネフは足の裏に埋め込んでいた事故修復機能始動ボタンを押そうと片足を上げた。その時だった。


「ねえ、君『訪問者』?」


 旧人類3-5町の人の声は全員知っている。パトロールのやつらだった場合、ネフが十秒後に生きている確率は良くて五%そこらだ。

 足を下ろすこともせず、ネフはぎこちなく胴体を回転させた。


 ネフの後ろにいたのは、ネフの半分くらいの背の高さの子どもだった。見た目は強いて言えば新人類のA1-6に近く、機械的な要素があまり見えない。超能力型の頭だ。パトロールのやつら特有のラインも入ってはいなかった。ネフはいくらか生存確率が上がったなと思って、あげていたことも忘れていた足をようやく下ろした。

 それから、処分を免れようと駆け回る人々を馬鹿にしていたくせに、結局命は惜しいのか、と自分の矛盾した思考に呆れた。


「ぼくは0107。君は?」

「ネフ――です」


 0107と名乗った子どもは無邪気な笑顔でネフを見つめていた。


「いいなぁ、ぼくもネフみたいな名前がいいなぁ」


 たぶん殺されはしないだろうと完全に力は抜けて、ネフは新人類らしき子どもに「レトナってのはどう?」言った。敬語をやめたのは、命が惜しいと思っている自分に喝を入れるためでもあった。それに、この子どもは旧人類に嫌悪感がないようだ。


「えー? 女の子みたいじゃん!」

「じゃあレトノは?」


 子どもはパッと顔を輝かせて首を大きく縦に振った。


「うんそれすごくいい!」


 レトノという名に決めたらしい子どもは「僕はレトノ。君は?」と自己紹介のやり直しをしてきた。


「ネフ」

「ネフは『訪問者』だよね?」


 『訪問者』が何かわからなかったネフに、レトノは別時空に訪ねてきた人のことだと簡単に説明した。鈍く光を反射させる黒い海がない世界を、ネフはもう一度見回した。大きな箱にガラスをはめたような建物や、青みのある灰色に白い線の入った地面。不思議なものが多くあって、真っ黒のネフの世界とは比べ物にならないほど豊かなところだった。人工的に作り出したとは思えない自然体の「木」もある。新人類の住む場所はこんなところなのかもしれないとネフは思った。しかし、人の姿はなく閑散としていて寂しげだった。


 ネフはある一点で目を動かすのをやめた。塗装の少しはげた門が堂々とそこに立っていた。赤よりも優しく重みのある色をした柱に囲まれて左右の空間に像が収まっていた。責任感と矜恃を抱え、そこに居座ることで何かを訴えかけているように見えた。

 ネフの視線がそこで動かなくなったのを察したレトノは目を細めて穏やかな表情をした。


「ああ、あれは風神雷神門だよ」


 レトノはネフを引っ張って門まで連れて行った。

 近づいてみると門は随分と大きかった。


「ここに入っている像は神様で、水とか火から守ってくれるんだ」


 真面目な顔で聞いているネフに気を良くしたのか、レトノはにこにこと説明を続けた。


「裏にも神様がいるよ。海から守ってくれたり、豊作を守ってくれる。この頃の人類は自然現象をコントロールする術すら持っていないんだ」


 ふうん、とその険しい顔を眺めた。ネフにはそれが人を守る顔には見えなかった。どちらかと言えば人を裁く者の顔に見える。そもそも、自分たちに都合のいい存在を生み出して偶像化してしまうのもおかしなことだと思った。ここの人間たちは自分の力をよほど低く見ていたに違いない。もしくは願えばどうにかなるとでも思っていたのか。


「そういえば、ここには僕たちしかいないのか?」

「一回目のリセットが近々起こるからね。ここは古人類の時代だけど、みんなシェルターの中なんじゃないかなあ」


 言っている意味がわからないという顔をしたネフにレトノは耳をかいて微笑んだ。


「ネフの世界はデータの集合体なんだよ」


 ネフの目にどこかからか光線が飛んだ。シャッターが閉まる前に光線は消え、ネフとレトノは別の場所にいた。


「ここはいつだ? ……何もない」


 何もなかった。地面に足がついているのかも不安になるほどだった。真っ白で、霧に飲まれた世界。それでいてどこか幻想的な清潔さがある。


「ネフの世界のほんの少し後だよ。もうすぐでやり直しの時間になるんだ。――ほら」


 レトノの指差した先には、目を凝らしてようやく見えるほど小さな光の粒があった。それは周囲の霧を吸収しながら次第に大きく膨らんでいっている。目のシャッターは下がらない。ネフはその様子に釘付けだった。

光に触れた部分から、ノイズがかかったような歪みが出て、次第に「世界」が現れる。


「ちょっと間違った方向に行った世界はリセットされる。まあ、これって集団洗脳だよねえ」

「どうして? どうやって? 人は?」


 レトノは曖昧に笑った。


「きっと神様だね」


 納得できなかった。その代わりネフは、さっき見た神様の厳つい顔になるほど、そうか、と思った。きっと巨大な力から守るのに必死なのだ。


「ネフは神様になりたい?」

「どうだろう」


 そういうのは旧人類の管轄ではないからな、とネフは思った。


「僕は選べるんだ。だからもし、もしネフが――」


 レトノが何かを言い終える前に、ネフは「訪問者のネフ」からただのネフに戻っていた。



 争う声が聞こえる。

「おい、その作業機よこせ!」

「何言ってんのよ、私に死ねって言いたいわけ⁉︎」

 あたりを見回すとそこはいつも作業をしている場所で、ネフは堆積物を排出させようと、背後に止めておいた個人タンクに両手を当てたところだった。さっきまでの出来事がまるでなかったかのようになっている。


 ネフはひとまず体内の堆積物をタンクに移した。レトノと出会い、見たものが自分の想像上のものだったとは思えない。あのような景色を作り出すだけの情報を持っていなかったからだ。データにないものを鮮明に再現することなどできるはずがない。


 ネフはレトノと遭遇する前に見つけたダイヤル付きの箱の存在を思い出した。それが埋まっていたはずの場所に手を当てる。しかしそこには何も埋まっていなかった。



 それから数日が経過して、ネフは再び見ることになる。レトノに見せられたものと似たような、


——世界がリセットされる瞬間を。

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