タイムスリップはアクシデント

根村 菊真

本編

 タイムスリップ


 私にとって時間とは意味をなさないものだった。

 私は、同じ時間に留まることができない。

 ただ立っているだけなのに、地面はコンクリートから土、海になることもある。

 高層ビルの幻影は崩れ、平屋がぽつぽつと並ぶ村になる。

 暑さの中で眠っていたかと思えば、寒さで目が覚めることもあった。

 時間を飛び越える時はいつも急で、私の意図しない時に飛び越えてしまう。

 長くても一日。早くて数分程でそれはやってきた。

 さらに悪いことに、その間隔は日々狭まってきているのだ。

 同じ時間に留まることが出来なくなったのは、高校生の頃からだった。

 窓際で歴史の授業を受けていたら、全てが消えてしまった。代わりに木と草に囲まれていて、山の真ん中に座り込んでいた。

 初めはタイムスリップだと気が付かなかった。どこか遠い場所に飛んでしまったと思った。

 街に出て、はじめて気がついた。

 そんな訳で、私には家族も友人もどこかの時間に置いてきてしまった。

 あちらからはどう認識されているのだろうか。行方不明者として処理されているのだろうか。未来で確認すればいいだけの事なのだが、どうしてもそれが出来ない。未来に飛んだ時は、なるべく動かない。何となく、未来は苦手だ。

 私が居ないものとして扱われているのを見た時、私はどう思うのだろうか。

 戻る事は出来るのだろうか。戻れたなら、美味しいご飯を食べたかった。

 いつまでこんな生活が続くのだろうか。終わりはあるのだろうか。

 この生活をするにあたって、気をつけなければ行けないことがある。

 高い建物のある時間に飛んだ時は、二階以上には上がれない。建物が消失した時、地面に叩きつけられてしまう。

 海にも潜れない。埋め立て地になった時に生き埋めになる。

 その為、あまり元いた場所から動かないようにしている。この辺りはそういうリスクが少ない。一度動き回った時に地面が海に変わって酷い目にあった。死ななかったのが幸運としか言いようが無い。

 試したことはないが、これ以外にも命を落とす要素は多いのだろう。好奇心など毒でしかない。

 それにこの状況下で生きていくには、さらに問題がある。

 衣食住。その問題に頭を悩ませることがほとんどだった。

 食べ物は基本的には盗んでいる。

 通貨もバラバラで持ち歩くことが出来ない。

 盗みがばれて捕まったとしても、長くて一日だけの辛抱だ。恐れることは無い。

 一度も捕まったことはないけれど。

 この生活を続けるうちに、飛び越える瞬間がなんとなく、分かるようになってきた。飛び越える前は、身体がふわりと浮かぶように感じるのだ。

 その時に、盗みを働くことにしている。

 それでも、簡単に盗めない時代や、通行人が殺人の手段を持ち合わせているような時代では、なるべく盗むのを避けて木の実などを拾ったりしている。下手に動くより空腹を我慢した方がよっぽど合理的だ。

 基本的には制服のまま行動しているが、紀元前や江戸などの時代に飛んだ時に、どうしても浮いてしまう。

 時代にそぐわない格好の時は、人に見られないよう細心の注意を払わなければならない。

 衣類を盗めと言う話もあるが、一度着替えてしまうと次の時間軸に持ち越してしまうので、下手に着替えることも出来ない。

 現状維持のまま、布などを羽織るのが一番いい。大きな布は防寒にもなるし、常に持ち歩るくことにしている。

 手に持っているものや、身につけているものだけは他の時間軸に持ち越せるが、細心の注意を払わなければならない。

 時代によってはオーパーツになるので、下手に物を持ち越せないからだ。

 時代に変化をもたらしてしまうと、私の存在自体消えてしまう可能性が無いともいえない。

「と、言うことは君は死にたくないって事だね」

 不意に声をかけられた。

 逆さまにぶら下がる少年がこちらを見ている。

「あなたは?」

「誰でもいいよ。君と同じ時間旅行者だと思ってくれていい」

 胸から地鳴りのような音が溢れていく。

「他に同じような人がいるなんて」

「僕も驚いてる。君の痕跡を見つけてからずっと探してた。やっと見つけたよ」

 少年は、はぁとため息をついた。

「探すって、どうやって」

 少年は飛び降りて、私の目の前に着地した。

「あぁそうか、やっぱり」

 私の手を少年が掴む。

「分かってないんだね、コツを。見たことがない世界に飛ぶのはなかなか難しい。だから君みたいな迷子がたまに出てしまうんだよ。さすがに君一人で飛ぶのは大変だろう。僕が連れて行ってあげる」

 少年は目を閉じて、私の手を取った。冷たい肌が触れ合う。

「同じようにして」

 私も目を閉じた。

「僕と一緒なら大丈夫。君が行きたい時間を想像して」

 行きたい時間。そんなの、一つに決まっている。

「オーケー。その時間だね。そのまま思い描いて。飛ぶよ」

 いつものように身体がふわりと浮かぶ感覚。足元が硬い地面に変わる。照り返しの強い暑さを感じた。

 目を開けると、私が生きていた時間が流れていた。

「君は本当にこの時間が好きなんだね。制服を着ているのもこの時間に浸るためかい?」

 少年はそう言って飛び跳ねるように後ろに下がった。

「もう、必要ないかもしれないけれど、強く時間をイメージすればそこに飛べるよ。戻る時は家の周りでもイメージするとかなり戻りやすくなるよ」

「え? あ、ありがとう……」

「じゃあ、僕はこれで」

 彼は踵を返した。

「あ、待って!」

「何?」

 その足を止めて私の顔を覗き込んだ。

「あの……またいつもみたいに急に飛んじゃってもまた会えますか?」

 彼は目を大きく見開いた。死にかけのサルみたいだった。

「タイミングを調整できないのかい? 勝手に飛び越えてしまっているのかい? じゃあ今まで色んな時間を飛び回っていたのも自分の意思じゃないって事なのかい?」

 彼に肩を掴まれて揺すられる。頭がぐわぐわした。

「え?はい」

「すまない、こちらのミスだ……」

「こちら?ミス?」

 彼は時計を確認した。

「大丈夫すぐ戻るから。ここで待っていてくれ」

 彼は消えた。どこかの時間に飛んだのだろう。

 懐かしいコンクリートの塊が、ずらずら並んでいる。ここは学校が近い。見渡すと、山の上に学校が見えた。

 どうしようか。あそこに行きたいけれど、彼が戻ってくるまでここに居た方がいい気がする。

「え?陽奈?」

 振り返ると、一人の男子高校生が震えながら立っていた。

「生きていたんだ」

 私は迷った挙句、

「うん、久しぶり」

 とだけ答えることにした。

 彼の名前は確か、悠大だったか?そう、苗字は忘れたけど、同じクラスでよく話していたっけ。

 しばらくの間、生きることに必死で思い出す暇も無かった。

「本当に無事で良かった……三ヶ月もどこに行ったのかと……!」

 三ヶ月。そうか、私が思い描いた時間は私が消えた時間と少し差が出てしまっているらしい。でも、たった三ヶ月だ。ここに帰ってこれたことが満足だった。

 これで正常に戻れる。

「なぁ、陽奈」

「うん?」

「本当に大丈夫なのか……?その、制服もぼろぼろだし、なんか、見た目も……その、前と違うというか……」

 そう言われて身体を見る。

 そして気がついた。

 私の身体は歳をとっている。

 高校生ではない。いい大人だ。

 何年、時間の中をさまよっていた?考えれば考える程、分からなくなる。

 飛ぶ度に季節も時間もばらばらで、途中で時間を数えるのをやめてしまった。

 私は今何歳だ?

 悠大と話す資格がある人間なのか。

「大丈夫?やっぱり、どこか悪いんじゃ……」

 心配そうに私の肩に手を置いた。そっと、優しい手。

「ううん、大丈夫。大丈夫だよ」

 そう言って口角を上げた。悠大を悲しませたくない。

「心配しないで。私は元気だから」

 悠大はそれを聞くと、少しだけ笑った。彼の拳から力がそっと抜けるのが見える。

「じゃあ、私家に帰るね」

 悠大はまだ心配そうな顔をしていた。

「大丈夫。ここまで来たら家帰れるから」

「本当? もうどこかに行ったりしない?」

「大丈夫。また明日」

 しばらく悠大は黙ったが、顔を上げて頷いた。

「うん、分かった。気をつけてね。ばいばい」

 手を振って曲がり角に消えていった。

 私も手を振り返す。

 身体がふわりと浮いて風景は草原に変わる。

「知り合いにでも会えたのかい?」

 背後に少年。

「ええ」

「会えて嬉しいかい」

「うん」

 少年は肩に手を置いた。硬い手。

「すまない。君の不定期に飛ぶ現象は、僕らのせいだ」

「は?」

 肩の手を振り払う。

「僕らは君より未来から来たんだ。僕はそこでタイムスリップの研究をしているんだ」

 彼は一瞬黙った。それは迷いではなくただの演出のように見えた。

「今までなんでタイムスリップが出来るか分からなかったんだ。けれど、君と出会ってそれがはっきりしたんだ」

「私……?」

「うん。結論から言うと、僕らのタイムスリップは、君の力を借りているだけに過ぎなかったんだよ」

「私の力」

 こんなに無力な私にそんな力があるのだろうか。

「そうだね。君は唯一の時間旅行者なんだ。今までに、そしてこれからも産まれる人間の中で君しか時間を旅することが出来ない」

 早口でそう言うと興奮したように息をした。

「どういうことなのか……」

 頭の中で色々な言葉がぐるぐる回っている。私だけの力?未来にも過去にもいない?じゃあこの人は?

「つまりだね、僕らが開発したこのゴドーシステムは時間旅行の方法を発明したのでは無くて、全時間軸の中から時間旅行の力を探し出して、それを流用するという方法の発明だったんだよ! 分かるかい?」

 彼はすっかり前のめりだった。

「いや……」

 それどころでは無い。もう何を言っているのか分からない。

「結果的に、僕らの時間旅行によって君のタイムスリップが発生していたらしい。君の力を借りるということは、僕らが力を使うと、君の力も行使される事になる」

「あなた達の娯楽で私は飛び回っていたってこと?」

 頭の中で渦巻くものが、パズルのようにパチパチとあるべき場所に帰っていく。

 完成したものは最悪だった。

「そうだね。君の事はバックアップするから、どうか力を貸してほしい」

 そう言って彼は手を差し出した。

「ふざけるのも大概にしてよ。あなた達のせいで私は元の生活に戻れなくなった」

 それを聞いて彼は悲しそうな顔をした。過剰な程。

「それは本当に申し訳ないと思っている。けれど、時間旅行が始まって十年。もう僕らは君の力を借りないと生きていけないんだ」

 十年。その言葉が刺さった。二十六歳。私は大人になれないまま。

「知らない。そんなこと。時間旅行を止めて」

「いいかい。君が協力して、時間旅行の構造が解明出来れば、君の力を借りなくても時間旅行ができるようになるんだ」

 猫なで声でそう言った。それが私の気持ちを逆撫でする。私は不当な事で怒っている訳ではない。

「それって私を実験台にするって事でしょう。そんな生活嫌」

「わかる。君の気持ちもよく分かるよ」

 分からないよ、あなたなんかに。

「けれどどうだい。君は地球始まって以来の能力の持ち主なんだ。何の能力も無くただ周りと同じように生きていく時間が君の戻りたい時間なのかい?」

「戻りたい時間だよ……」

 どうしてそんな事が言えるのだろうか。戻りたい時間に決まっている。こんなの私の欲しい生活じゃない。私の欲しい時間なんかじゃない。

「ねぇ、だから協力してくれ」

 けれど、戻ったところで、老いは戻らない。結局私は取り残されたまま、人生を終えていくのだ。取り返しがつかない。もう、今更。

 地面に落ちる影がだんだんと伸びていく。

 未来の力を借りればあるいは。私だって力を借りたい事もある。細かい事を気にしている暇はないのかもしれない。

「ねぇ、身体の時間はもどせないの」

「戻せない。僕らは万能じゃないんだ。別の個体に意識を移植することは出来るかもしれないが、まだ開発段階だ。君は老いない身体が欲しいのかい?」

 少年の笑顔は、その見た目の幼さに似合わない下世話な笑顔で、吐き気がした。

「いいえ。私を十六歳に戻して」

 彼はハッとした顔をした。

「まさか、時間旅行の中でも君の身体は歳をとっているのかい? これは大事件だぞ」

 私に一歩一歩近づいてくる。その距離の詰め方は明らかに人間に対しての詰め方ではなかった。私は未知なる生物なのか。

「私のことを研究対象としてしか見ていないあなた達に私の人権が守れるわけが無い」

「そんなこと……ちゃんと倫理部のスタッフに頼むさ。彼らは正しさに則って、君をサポートしてくれるはず」

「知らない未来の倫理など信じられるか!」

 私は走り出した。強く願う。強く。時間旅行が始まる前に。

 時間旅行を止めてやる。

 身体がふわりと浮いて世界が変わる。当たりは白くて塵一つない部屋。未来だ。

 扉が見える。走り出した時、アラームが鳴り響いた。

「馬鹿だね、君は先程まで時間を飛び回っていた。それは時間旅行を阻止できないことの証明になるんじゃないかな。君がここで止めることができているのなら、君の苦しみも、元々無いはずだよ」

 いつ現れたのか、少年がこちらにやってくる。

「そう簡単に過去や未来は変えられないんだよ。オーパーツになるとか言ってたけど、結局、時代に合わないものは現存出来ないし、効力を発揮できない。せいぜい後世のオカルト好きに発見されて都市伝説になるくらいのものなのさ」

 彼は私の手を掴んだ。私には振り払う力は無かった。

「本当に、君は無力でかわいいよ」

 彼は嬉しそうに笑った。

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