第52話 提督と艦長はサミエラについて考察する

 沈んだ夕日の残照が消え、サンファンの街が夜のとばりに包まれる頃、トーマスは一人執務室の窓辺に立ち、眼下に広がる港湾と夜の街の灯を眺めていた。


──カンカーン……カンカーン……

 

 兵たちに交代で夕食を取らせるための折半直ドッグワッチの終了を告げる4点鐘が要塞中に響き渡る。


 その時、執務室のドアのノッカーが叩かれる。


「スループ艦【チェルシー】艦長、ロバート・メイナード海尉であります。報告に参上しました」


「入りたまえ」


 入室したロバートの敬礼に自らも敬礼を返したトーマスに、ロバートが報告を上げる。


「ゴールディ商会の拿捕船の回航を終えたキャンベル准尉以下数名が【チェルシー】に帰艦しました。マリーナのドックへの入渠にゅうきょおよび改装の手配もサミエラ嬢がその場で済ましたとのことです。ラウザ一味の生き残りに対する尋問も順調ですが余罪が多すぎて全貌の把握には今少し時間がかかりそうです。奴らの証言の裏を取るために、明朝、プエルトリコ島北西部に【チェルシー】で赴きたいと思っております」


「承認する。サミエラ嬢が聞き出した情報によれば漁村が一つ焼かれたという話だったな。被害状況の確認と、もし遺体がそのままなら弔ってやるように。従軍牧師の随行も許可する」


「イエッサー」


「他に報告は?」


「ありません」


「そうか。では仕事の時間は終わりだ。ロバート、艦に戻る前にちょっと付き合え」


「はい。父上」


 執務室から隣の応接室に移動すれば、先ほどまでサミエラたちが居た時のままの状態で、テーブルの上には海戦の経緯を説明するためにサミエラが使ったチェス盤と駒もそのまま残されていた。


「メイドに片付けさせなかったのですか?」


「うむ。サミエラ嬢から聞いた海戦の経緯が興味深かったのでお前の意見も聞いてみたいと思ってあえて残してあったのだ。……ラムでいいか?」


「明日も早いのでラムの水割りグロッグにしておきます」


 トーマスはラムのストレート、ロバートはグロッグの入ったグラスをそれぞれ手にして、テーブルのチェス盤を挟んで向かい合って座る。

 チェス盤には【バンシー】を表す白いポーン、海賊船を表す黒いポーン、【チェルシー】を表す白いナイトの3つだけが並んでいる。


「……実際に経緯を本人の口から聞くまではとても信じられない内容であったな」


 ラムを一口飲んで、チェス盤を見つめながらそう言うトーマスにロバートも苦笑しつつ同意する。


「私も……てっきりロッコ殿か、アボットとかいうオランダ人の元船長が海戦の指揮を執っていたと思い込んでいたのですが、まさかのサミエラ嬢自身が海戦の指揮を執って終始有利に戦いを進め、3倍の人数の海賊船相手に無傷の勝利をおさめていたとは……」


「それも海賊船の襲撃から逃げ切れずにやむなく戦いになったのかと思いきや、余裕で逃げられたにもかかわらず、戦いの場数を踏むためにあえて逃げずに応戦したと言うではないか! いくら若いとはいえ、なんという無茶をするのだ、と叱ろうと思ったのだが、ロッコがいてそれほどの無茶を許した理由を知りたいと思って先に詳しく聞いてみれば……」


「ははは。無茶などころか、勝つべくして勝ってましたね。敵の船の性能、操船技術、飛び道具の有無、位置取りをしっかり見極めた上で、斬り込みさえ許さなければ勝てると読み切って、徹底的にアウトレンジからの狙撃と砲撃で敵の人数を減らし、人数の差がなくなったところでこちらから逆に斬り込んで決着をつけるとは、小型艦同士の戦闘のお手本にしたいぐらいの完璧な勝利でありました。しかも使用した砲弾は散弾のみで拿捕船の修理はほぼ必要ないとくればこれ以上の結果は望むのは欲張りというものでしょう。私自身、対海賊戦闘で参考になると思いました」


「いったい彼女にはどれほどの引き出しがあるのか。……くれぐれも彼女を敵に回さないようにな」


「父上は……サミエラ嬢について何をご存じなのですか? 干し果物の件といい、今回の海戦の結果といい、彼女が非凡であることは私も認めるところですが、父上は今回の海戦の詳しい経緯を聞く前にすでにクレブラ島の割譲を決定されていた。それも、彼女がクレブラ島の運営で成功することが分かっているかのような有利な条件まで付けて。メイナード家でも赤字経営なのに、領地経営の初心者である彼女にそこまで賭けようと思われた理由はなんなのですか?」


「そうだな。お前には知っておいてもらった方がいいだろう」


 トーマスは立ち上がって本棚から聖書を取り出し、使徒行伝を開く。


「これは、主の昇天後、ペンテコステの奇跡が起きた時に集まった民衆に対して聖ペテロの語った言葉だ。読んでみたまえ」


「はい。『……これは預言者ヨエルの言葉の成就じょうじゅである。「神いわく、選びの日に、我は聖なる力をあらゆる人に注ぎ、汝らの息子や娘は預言し、若者は啓示を受け、老人は神託を得る。その時代に、我は聖なる力を奴隷にも注ぎ、彼らは預言者となれり」』……!? 父上! これはまさか!?」


「そうだ。サミエラ嬢の身に起きたことだ。そして、ペンテコステの奇跡が大勢に起きたように、サミエラ嬢のように御父みちちの寵愛をたまわった者はどうやら他にも居たようだ。私はサミエラ嬢が御父の寵愛を賜ったという話をロッコから聞いてすぐに同様のことが他にも起きていないか、近隣の町に潜伏させているスパイたちに調べさせてみたのだ」


 ロバートがごくりと息を呑む。


「……その結果は?」


「およそ40日前を境に、突然にそれまでと違う行動を取り始め、知らないはずの言語や知識をひけらかし始めた者が主だった町に必ず1人は現れていたらしいことがスパイからの報告で確認できた。私が調査を始めてまだ1週間だからあくまで近隣の町の情報でしかないが、ある程度以上の規模の町には御父の寵愛を賜った者が1人はいると私は予想している」


「なんと! ペンテコステの再来でありますか! それは心踊る話ですね。しかし、サミエラ嬢のような存在が他にも居るとなると、看過できない情報でありますね」


「そう思ったからこそ先んじて動き、もし可能なら囲い込みたいと思ったのだがな。……御父がどのようなご意志で寵愛をお与えになる者を選んだのかは定かではないが、一つ言えることは、御父は寵愛をお与えになった者の自由意思での行動までは制限しておられないということだ。……誰もがサミエラ嬢のように賢く慎重に行動しているわけではないのだ」


「む? どういうことでありますか?」


「急にことを運びすぎて目立ちすぎてしまった者もいる、いや、スパイからの報告に挙がった者に関しては全員がそうだな。もしかしたらサミエラ嬢のように賢く立ち回ってまだ表舞台に上がっていない者もいるやもしれんが、報告があった者たちに限っては、残念なことに私が把握した時にはほとんどの者はすでに死亡しているか行方が分からなくなっていた。あろうことかスペインの植民地では魔女狩りや異端審問によって殺された者もいたようだ」


「なんと……。神の聖なる力を注がれた使徒や預言者をあろうことか魔女狩りや異端審問で殺してしまうとはなんという罰当たりなことを」


キリストご自身や初期教会の使徒たちも異端として迫害されたのだ。驚くことではあるまい。人は己の理解が及ばないものを怖れる。権力者は己の地位を脅かしかねないものを排除しようとする。その点、その辺りを理解して周囲の目に配慮しながら賢く立ち回っているサミエラ嬢はやはり特別な存在なのだ。そして、そんなサミエラ嬢が表舞台に立つ前に知己を得ることができ、彼女との協力関係を築き、支えていく機会に恵まれた我らはこの上ない幸運といえるだろう」


「……確かにそうかもしれません。すでに我々はその恩恵を受けつつあります」


「御父が今この時にペンテコステの再来を行った理由は分からんが、私は我々に更なる繁栄の機会を差し伸べてくれたのだと思っている。だからロバート、何があってもサミエラ嬢の味方であり続けよ。おそらく彼女はこれから、我々からすればますます理解の及ばないことをするだろう。だが、彼女を決して怖れるな。理解するように努め、女と侮らずに彼女から学び、信頼を勝ち得よ。彼女こそが御父から我らへの過分のご親切の賜物たまものであると心得よ」


「はっ! 肝に銘じておきます」


 真剣な面持ちでうなずくロバートに、グラスに僅かに残ったラムを一気にあおったトーマスがニヤリと笑って言う。


「私としては彼女が息子の嫁になってくれれば言うことなしなのだがな」


「……それについては、努力するとしか言えません」


「おや? 普段、女には見向きもしない堅物のお前にしては珍しい返しをするではないか」


 浮いた噂一つ聞かない息子の、意外とも言える前向きな返答にトーマスは面白そうな顔を向ける。ロバートの頬がやや赤くなっているのはグロッグだけが原因ではなさそうだ。


「か、彼女は実際に好ましい女性ですから! 美しいだけでなく、賢く勇敢で面倒見もよく、奴隷たちからも慕われている。そして私の正体を知っても態度を変えない。今まで私に擦り寄ってきていた、甘やかされて育った我が儘で世間知らずな良家の令嬢たちとは一線を画す存在です」


「ふっ、そうか。ならば男を磨いて見事彼女の心を射止めてみせよ。だが、決して無理強いはするな。それと、うかうかしているといずれ彼女は海尉艦長ごときでは横に並び立てない存在になると思うぞ」


「では、私もいずれ提督となれるよう、まずは勅任艦長ポスト・キャップテンにならねばですね」


「ははは。よく言った。それでこそメイナード家の男だ。……本国では相変わらずトーリー党とホイッグ党が権力争いに明け暮れているし、新王のジョージ1世陛下は残念ながらイングランドの政治にはあまり関心がおありでないから大半の時間を故郷のハノーヴァー選帝候国で過ごしていると聞く。こんな隙を国力が回復しつつあるスペインが見逃すとは思えん。ロバート、戦いに備えよ。指揮艦の乗組員の練度と士気を高い状態に保ち、恐怖で押さえつけるのではなく信頼を得るように努めよ。さすれば機会が開かれた時に大いに活躍できるだろう」


──カーン……


 夜の当直の始まりを告げる1点鐘が鳴り響く。


「ロバート・メイナード海尉艦長、艦に戻りたまえ。貴君の今後の活躍には期待している」


「イエッサー! 提督閣下、ご教示ありがとうございました!」


 父と子の時間は終わり、若き俊英の海尉艦長は提督に敬礼してその場を後にし、新たな決意を胸に自身の指揮艦に戻っていった。








【作者コメント】

イギリスはアン女王の時代にイングランドとスコットランドが合併して以後、連合王国(UK)となります。そしてアン女王の死によってスチュアート朝が断絶し、縁戚関係にあった神聖ローマ帝国のハノーヴァー選帝候国の王であったゲオルグがジョージ1世としてイギリスの王位を継承し、ハノーヴァー朝が開かれます。これ以降、ハノーヴァー家の当主がイギリス王とハノーヴァー王を兼任する同君連合がジョージ3世(3代目)の孫であるヴィクトリア女王(6代目)の登場まで続きます。ハノーヴァー家は女性の家督相続を認めていなかったので、ヴィクトリアのイギリスの王位継承と同時にハノーヴァー国との同君連合は解消され、ヴィクトリア女王の死をもってハノーヴァー朝は終わったということになっていますが王朝名がサクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝に変わっただけで王家がハノーヴァーの直系であることは変わりません。ヴィクトリア女王は先日崩御されたエリザベス2世の高祖母に当たります。現在のイギリス王家は日本の天皇家に次ぐ世界で2番目に古い現存する王家ですが、その始まりはこの作品の舞台となっている18世紀初頭ということですね。


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