第39話 サミエラは速度試験をする

 “古き声の入り江”は東のパロ・セコ島と西のサリーナス岬の間の幅4kmほどの緩やかな弧を描く湾で最奥部は外洋から2kmほどの距離にある。

 パロ・セコ島北部を通過して“古き声の入り江”の沖に出た【バンシー】はすべての帆を強い追い風で大きく膨らませ、ぐんぐんと速度を上げていく。


「嬢ちゃん、ログラインの準備はいいぜ」


 ロッコが長いロープのついた小型の浮標ブイを手にして船尾に立つ。これは速度を測る為のログラインという道具であり、長いロープには一定間隔で結び目ノットが付いており、その数を数えることで速度を測ることができる。


「OK! 改装前で11ノットは出せたから少なくとも14ノット、できれば15ノットが目標よ。2回計測するわ。アボット、時間を計ってちょうだい」


「イエスマム! いつでもどうぞ」


「ログライン投下! 1回目計測開始!」


──パシャッ


 サミエラの合図でログラインのブイが投下され、計測開始の目印である最初の結び目が出たタイミングでアボットが砂時計をひっくり返し、そこからどんどん結び目の付いたロープが繰り出されていく。

 砂時計の残りが少なくなった時にアボットが報告する。


「間もなく計測終了です」


「ええ。……はいそこまでっ! ノットを数えてちょうだい」


 砂が落ちきった瞬間、サミエラの合図でログラインが止められ、ロッコとアボットがログラインを巻き取りながら結び目を数えていく。


「やったぜ! 14ノット出てる。期待どおりの性能だ」


「安くない改装費用をかけた甲斐はあったわけね。このまま第2回目の計測を始めるわよ。準備はいい?」


「おう。もう最初の結び目は船尾にあるから砂時計を返すと同時に始められるぜ」


「じゃあ、2回目の計測開始!」


 アボットが砂時計をひっくり返すと同時にロッコが巻き上げ機リールのハンドルを逆回転させてログラインを繰り出していく。


 砂時計が落ちきり、サミエラが終了を告げる。


「そこまでっ! 一度速度を落とすわ! トップセイルとジブセイルをたたんでちょうだい」


「イエスマム! ゴンとナミ! トップセイルをたためぇー! ショーゴとアニーはジブセイルをたためぇー!」


「「「「ヤー!」」」」


 14ノットの速力ではほんの10分程度で“古き声の入り江”の端から端まで駆け抜けてしまう。2回の計測を終えた時点で湾の西のサリーナス岬にかなり近づいてしまっていたのでトップセイルとジブセイルを縮帆して船足を落とす。


「アボット、面舵スターボード用意! 一度沖に出てから次は切り上がり性能の試験をするわよ。……おじ様、2回目の計測結果は?」


「イエスマム! おぅい! トップセイルとジブセイルをたたみ終えたら次は面舵だ! 帆を回す準備をしろー! ゴンとナミも降りてこーい!」「「ヤー!」」


「おう。15ノットにゃあ届かなかったがそれに近いぐらいは出てたぜ! これなら条件が良ければ15ノットは出せそうだ」


「それはよかったわ。じゃあ次はどれぐらいの角度まで切り上がれるか、ね」


「船長、トップセイルとジブセイルの収納終わりました。ゴンとナミも降りてきましたのでいつでも帆の張りを変えられます」


「OK! 面舵と同時にステイセイルを左舷開きから右舷開きに切り替えてブロード・リーチへ。そこから進路を次第に風上寄りに変えていくから、帆もそれに合わせて回していって、帆が波打つところまで切り上がるわよ! 面舵一杯ハード・スタァボーッ!」


「イエスマムッ! 面舵一杯だ! ステイセイル逆開き! 船の傾きに備えろ!!」


 サミエラが舵輪を大きく右に回し、縮帆したとはいえそれでもまだ10ノット近く出ている【バンシー】が船体を外側に傾けながら大きな弧を描いて右旋回する。


──ヴァフッ


 それまで真後ろからの風を受けて船の右側に開かれていたステイセイルが、旋回と同時に左側に開きを変え、右舷側からの風を受けて再び大きく膨らむ。スパンカーとステイセイルの両方が同じ側に開かれているブロード・リーチと呼ばれる帆走スタイルだ。


 左舷開きから右舷開きに一瞬で帆の向きを変えられるのがスパンカーやジブセイルの特に優れた特性であり、これにより横帆船とは比べ物にならないほどの高い機動力を発揮することができる。


「舵戻し! このまま進路を右寄りに……」


「あ、嬢ちゃんちょっと待ってくれ。そろそろ時鐘だ」


「OK! じゃあそれまで進路変更なし。ヨーソロー」


 船における時間の管理は航海士の大事な仕事の一つだ。ロッコはメインマスト下部に設置されている30分用の砂時計が落ちきるのを待ってひっくり返し、そのそばにある時鐘を叩いた。


──カンカァーン!! カンカァーン!! カンカァーン!!


 午前の6点鐘(11時)が船中に鳴り響くのを聞きながら、今だけ手が空いている若者たちは集まって駄弁っていた。


「はは、すごいのぅ! スループ船に乗るのは初めてじゃがこんなに俊敏なんじゃのぅ!」


「動きも軽快で反応も早いし、帆の操作も楽だ。キャラックが牛ならスループは軍馬、それもさながら赤兎馬の如しだな」


「これから切り上がるゆうてたけど、この船はどこまで上がれるんやろね?」


「なんだかワクワクしてきたわ。……それにしても、みんな、姫の操船どう思う?」


「いやぁ上手いのぅ。全体をよく見ておるし指示も的確じゃし、文句のつけようがないのぅ。……あれでわしらより年下でアニーと同い年なんじゃよなぁ」


「うむ。いくら自分の持ち船とはいえ、上手く舵取りをするものだと俺も感心しておった。操船には危なっかしさがまるで無いな。それと、やり取りの意味は分からんかったが、海軍からも一目置かれておるようであったし、大したものだ」


「お父様も楽しそうだわ。姫の下で働くことに新たな生き甲斐を見いだしたみたい」


「はー、姫ってばどれだけ優秀なんよ。うちらもそれなりに優秀やと思っとったけど、姫見てると自信なくすわ。……それに、あの様子やとまだまだ爪隠しとるに」


「そうね。もう何が出てきても驚かないわ」


「姫がやることならどんなに突飛に思えても心配せずに大船に乗ったつもりで安心していられるな。これが将器というものか」


「戦国期の大名に仕えた武将たちの気持ちはこんな風じゃったんかのぅ」


「そうかもしれんね。時代を切り開く天賦の才の持ち主って、姫みたいな人を惹き付ける何かをもっとったんやろね」


「早くちゃんとイングランド語を話せるようになって姫のお役に立ちたいわ」


「然り。姫をお支えするためにも我らが姫の通訳頼りのお荷物ではなく、真に役に立てるようにならねばな」




~~~



【その時、歴史を動かしたCh 考証解説Vol.7 パーソナリティー:Sakura&Nobuna】


Sakura「ログライン言うたっけ? こんなんでちゃんと速度を計れると?」


Nobuna「まあ大雑把ではあるがの。専用の砂時計の砂が落ちきるまでに基点になる浮標ブイから船がどれだけ離れたかの距離によって速度を割り出すわけじゃな。ちなみにログラインの結び目をノットと呼ぶが、これが船の速度の単位のノットの語源じゃな」


──ほー、そうだったのか!

──ノットの語源ってそうなんか

──φ(..)メモっとこ

──ノットって時速換算でどれぐらい?

──……


Nobuna「1ノットは1時間で1海里進む速さじゃな。1海里が1852㍍じゃから、1ノットは時速1.85km。1分間で約31㍍進む速度じゃ」


──遅っ!

──じゃあ15ノットで時速30km弱か

──20世紀頃の自転車か小型スクーターってところか

──ごめん、その20世紀の乗り物を引き合いに出した説明がそもそも分からん(笑)

──……標準型居住コロニー内の配達ドローンの制限速度

──それならわかる!

──……



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