第38話 サミエラは軍艦に職質される

 沿岸警備のために港湾内を巡回パトロールしていた海軍のブリッグ型帆船が明らかに【バンシー】を目標として近づいてきている。

 しかし、こちらの進路を妨害できる位置にありながらそれをするような素振りはなく、むしろゆっくりと並走しようとしており、乗り組んでいる兵士たちも大砲やマスケット銃の準備といった戦う素振りを見せていないことから敵意はないことが伺えた。


「アボット、速度を落として!」


「イエスマム。ショーゴ、アニー、スパンカーから風を抜け! だが舵効速力は維持しろ!」


「「ヤーッ!」」


 それまで右舷側からの横風を受けて大きく膨らんでいたスパンカーの帆綱が緩められて帆から風が抜かれ、【バンシー】はみるみるうちに速度を落とし、追いついてきたブリッグもまた縮帆して並走する。

 黒い二角帽を被り、白いシャツの上に青のコートを羽織った士官の青年が船縁に立ち、メガホンで呼び掛けてくる。


「こちらはサンファン駐留艦隊、沿岸警備隊所属のスループ艦【チェルシー】である! 私は海尉艦長コマンダーのロバート・メイナードだ! 見慣れない船と商船旗であるが、貴船の所属と航行目的を述べられよ!」


 対してロッコがメガホンで応じる。


「こちらはゴールディ商会所属の貿易船【バンシー】だ! 今は船の改装後の試験航海中で、目的地は“古き声の入り江”だ! 試験を行ったのち、本日中には帰港する!」


「ゴールディ商会の【バンシー】だな? 覚えておこう! 貴方が船長か?」


「いや! 俺は航海士のロッコだ! 船長はこっち、ゴールディ商会の商会長のサミエラ・ゴールディだ!」


 サミエラは片手で舵輪を握ったまま、空いた手で帽子を取って一礼した。帽子を外した瞬間、癖のある赤い髪が風に躍り、美しい顔立ちがあらわになって不意をつかれたロバートが目を見開く。


「お、女? ……っ! その泣き女バンシーのエンブレム! あの干し果物屋の看板娘か!」


「そうよーっ! そういう貴方は時々トーマスさんと一緒に来るお兄さんねーっ! まさか艦長さんとは思わなかったわぁーっ!」


 メガホンを持っていないサミエラが大声で言い返せば、その様子がツボに嵌まったようでロバートがくっくっと笑う。


「くくっ、自ら船の舵を握るとは……ミスタ・ロッコ、貴方のところの商会長は聞きしに勝るお転婆らしいな!」


「おーっ! 分かってくれるか! あんたとはいい酒が飲めそうだ! このとんでもねぇじゃじゃ馬娘に振り回されて俺も大変なんだぜ!」


「いいだろう! もし街中で会ったら1杯奢ろうじゃないか! ゴールディ商会の【バンシー】、貴方たちの身元の確認はすでに十分だ! もう行っていいぞ! 海軍の拠点のすぐそばの“古き声の入り江”ではさすがに襲撃はないと思うが、レディが乗船しているのだ。海賊にはくれぐれも用心なされよ! それと、“古き声の入り江”は遠浅の海だ! これから引き潮になるから陸に近づきすぎて座礁などせぬよう、十分に注意することだ! 幸あれかしグッドラック!」


「ミスタ・メイナード! 忠告ありがとよ! 親父さんにもよろしくな! 貴艦の武運長久を祈るぜ!」


「ありがとうぅーっ! お役目ご苦労様ぁーっ!」


 ロバートの海軍式敬礼にロッコが同様の敬礼で返し、サミエラが笑顔で手を振れば、ロバートは微笑みながら帽子をきちんと被り直し、部下に何事か指示を出す。すぐに縮帆していた【チェルシー】の帆が次々に広げられ、並走していた2隻の距離が離れ始める。


「よっしゃ、こっちも船足を上げていいぜ」


「OK! アボット、スパンカー再展帆」


「イエスマム! スパンカー張り直せ! ステイセイル展帆用意!」


 緩められていたスパンカーの帆綱が再びピンと張られ、風をしっかりとらえた帆が大きく膨らみ、再び船足を上げた【バンシー】はまっすぐに港湾出口を目指す。

 港湾の出口は、右は岬の先端部分を丸ごと要塞化した堅牢なデル・モロ要塞、左は西の岬と干潮時には砂州で陸続きになるパロ・セコ島に挟まれた幅1kmほどの水道になっている。


 水道を抜ければそこはもう大西洋だ。デル・モロ要塞の風裏から遮る物のない大西洋に出れば、一気に右側からの風が強くなる。


「取り舵用意! パロ・セコ島を左に見ながら旋回して“古き声の入り江”沖に出るわよ」


「イエスマム! 取り舵だ! 右舷開き用意!」


 帆を回す準備ができたことを確認してアボットがサミエラに頷いてみせる。


取り舵いっぱいハード・ポーッ! スパンカー、ホールアウトッ!」


 サミエラが舵輪を思いきり左に回し、同時にスパンカーが船の左舷側に最大まで開かれる。舵の力と左舷側に開かれたスパンカーそのものの重さにより、船体は左側に傾きながら小さな弧を描いて急旋回する。


「舵戻し! ステイセイル展帆! 続けてジブセイルも展帆! ダウン・ウインド・ランニングで速力を計測するわ! おじ様、ログラインと砂時計を準備して!」


「イエスマム! 総帆張れぇー! 全速航行での速度試験だ!」「あいよぉ!」


 パロ・セコ島北岸の海軍の監視所を左に見ながら、風下である西に進路を固定した【バンシー】の総帆が開かれる。

 大きな台形のスパンカーは左側に、その前の三角形のステイセイルは右側に開かれ、さらにその前、船首マストバウスプリットとトップマストの間に張られた三角形のジブセイルは左側に開かれる。

 この交互に左右に帆を開くダウン・ウインド・ランニングは、縦帆艤装の船が追い風を受けて航行する時の最も効率のいい帆の開き方だ。

 加えて【バンシー】にはトップマストに追い風でこそ本領を発揮する横帆のトップセイルもある。


 すべての帆を展開した【バンシー】は追い風を受けながらパロ・セコ島を通過し“古き声の入り江”の沖を素晴らしい快速で船首波を蹴立てて走り始めた。



~~~



【その時、歴史を動かしたCh 考証解説Vol.7 パーソナリティー:Sakura&Nobuna】

 

Sakura「んー? うちの聞き間違いかもしれんけど、このメイナード艦長さん、チェルシー号のことばスループ艦て言いよらんかった? この船はブリッグよね?」


Nobuna「サクラの姉御、ええとこに気づいたのぅ。それはすごく大事なところじゃ。確かに船の種類としてはブリッグなんじゃが、スループ艦というのも正しいんじゃ」


Sakura「なして?」


Nobuna「英国海軍ではフリゲート艦未満の海尉が指揮する補助艦艇をひっくるめてスループ艦と呼ぶんじゃ。じゃからコルベットやバークやブリッグやスクーナーなど色々な船がスループ艦に含まれるわけじゃな」


──またややこしいことを……

──なぜスループにしたしw

──変にこだわるくせに妙なところで雑なのが英国だよなー

──スループ船のスループ艦とかややこしいな

──……


Nobuna「ああ、じゃからかのぅ、英国海軍では本来のスループ船はカッターと呼ばれとるのぅ。卵が先かニワトリが先かって感じじゃな」


Sakura「本末転倒じゃねぇ。そいき最初から補助艦艇の総称ばカッター艦にしとけばよかとに」


──それなw

──自分の名前を勝手に商標登録されたあげくに改名を迫られる可哀想なスループたん(T^T)

──やめーやw 地味に分かりやすいのがムカツクわw

──そういえば、アボットが右舷開きって言ったのにショーゴたちがスパンカーを左舷側に開いたのはなんで?

──……


Nobuna「ふむ。右舷開きというのは、右方向からの風を受けられるような角度に帆を開くことをいうんじゃ。じゃからスパンカーの場合じゃと船の左側に帆を開くので合っとるぞ」


Sakura「ダウン・ウインド・ランニングっちゅうのは帆ぉば左右に広げることなんね?」


Nobuna「そうじゃな。これは縦帆艤装の船が真後ろからの風を受けて航行する時の帆の開き方じゃ。交互に開くことで、スパンカーからこぼれた風をステイセイルが受けて、ステイセイルからこぼれた風をジブセイルが受けられるから効率がいいんじゃ。……お、いよいよ速度を計るようじゃぞ」








【作者コメント】

ここにきて解説パートが本領発揮です。帆船用語は一般人には馴染みがない上に、帆船が最も進化した時代に鎖国していた日本人のほとんどにとってそもそもベースとなる基礎知識がないんですよね。なので日本語に翻訳された帆船小説の難解さといったらもう……当たり前のように出てくる専門用語ラッシュでハードル高いです。かといっていちいち本文中で解説挟まれたら物語に没頭できませんし。


そしてそのハードルの高さは書く側にとっても同じです。私自身、以前にも一度真面目に帆船小説を書こうとして上手く書けませんでした。その失敗経験を踏まえてこのようなスタイルにしましたが、今のところなんとかいけそうな気がします。

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