第28話 サミエラは全員まとめて面倒を見ることにする
アボットの率いる貿易船はアフリカ回りの航路でインド方面に向かう途上で海賊の襲撃を受け、沖に逃れたところで嵐に遭遇して船が沈み、命からがらボートで逃げ出したところでジョージに救われたが、持ち出せた私物やお金はごくわずかで、生き残った乗組員がこれから路頭に迷うことは火を見るより明らかな状況だった。
それで、アボットは生き残った乗組員たちに少しでも当座の必要を
言葉が通じないイングランドの植民地よりも言葉に不自由しないオランダの植民地の方が高く買い取ってもらえるので、このイングランド領サンファンでの奴隷市の後、近隣のオランダ植民地にて自分たちを売ってもらい、その代金を乗組員たちに分配してもらう予定だった。
しかし、その計画は
アボットとアネッタが身売りした代金を分配されたところで自分たちの故郷はあまりにも遠すぎて帰ることはできないし、人種も言語も違う自分たちは自由の身でもどうせまともな職には就けないからいっそ3人一緒に奴隷として同じ主人の元に売ってくれた方がかえってありがたいし、オランダ人であるアボットとアネッタなら当座の資金さえあればいくらでもやり直せるはずだから、と。
その理由に納得したジョージは彰吾たち3人の計画に乗ることにして、アボットたちには秘密で3人を売ることにし、実際に買い手がついたので連れ出そうとしたが、そこでアネッタに見咎められて計画が明るみに出てしまい、事態に収拾がつかないまま約束の時間が迫ってきたのでとりあえず当事者全員を連れてきた、というのが事の顛末だった。
「なるほど。そういう事情だったのね。納得したわ」
事情を正しく理解したサミエラは情報を整理するためにしばし黙考し、それからアボットたちにオランダ語で問いかけた。
「あなたたちのおかれている状況は理解したわ。それで、あなたたちはどうしたいの?」
「ショーゴたち3人を奴隷に、という話は無しにしてもらいたい。彼らにそんな犠牲を払う理由はない。そのような責任はまず私が負うべきものだ」
そう言い切ったアボットに彰吾たちが抗議する。
「俺たちはそんなこと、望んでない!」「船長とアニーのためなら本望!」「これは恩返し!」
「……平行線ね。ただ、アタシとしては、この3人が身売りを決めたもう1つの方の理由、自由の身でもまともな職に就くことは期待できないから、いっそのこと3人一緒に同じ主人の元で奴隷になった方がいい、というのには一理あるとは思うわ。東洋人の顔立ちはインディアンに近いから、特にこの西インド諸島では奴隷狩りに狙われるわよ。奴隷として主人の保護下にいる方がかえっていいのではないかしら?」
「むぅ……。だが、私はこの3人の保護者なんだ。いや、この3人は私にとってもはや息子や娘のような存在だ。子を売ったお金で私が自由を得るなど、生ける神に懸けて、私にとってあり得ないことだ!」
「船長!」「俺たちは大丈夫」「気にしないで」
サミエラの意見の理を認めつつも気持ちの上で認められずに葛藤するアボットを彰吾たちが説得する中、サミエラはイングランド語でジョージに訊ねた。
「んー、ねえパーシグ会頭、アボット氏と娘さんはオランダの植民地で奴隷になったらどれぐらいの値が付くのかしら?」
「む、そうですな。アボット氏は船乗りとして熟練しておりますのでその技能を活かせるなら120ぐらいにはなるでしょうが、一般奴隷としてですと、年齢的なものも考えると付いても80、アネッタ嬢は器量も良いですし、作法も身についておりますので、貴族や有力者の
奴隷娼婦として売られた場合、娘のアネッタは10年以内に梅毒で死ぬことになると言外に
「さてアボットさん、あなたにとって我が子同然のこちらの3人だけが奴隷になるのに自分が自由の身で居続けるのが堪え難いことである、という気持ちはよく分かったわ。でも、東洋人であるこの3人が後見人もいない状態で自由の身でいることがどれほど危ういことかが分からないあなたではないはず。あなたが奴隷になったらこの3人は後見人を失うことになるんだから、いずれにしても新たな後見人が必要だわ」
「それは……確かにその通りだ」
「生き残った乗組員たちに分配できるお金は多いほどいいのでしょう? この3人だけを奴隷にすることが忍びないなら、あなたと娘さんも一緒にアタシの元に来ない? アタシはあなたと娘さんに250までなら出していいわ。うちの商会にはまだまだ人手は必要だし、船もあるから動かせる人間が欲しいのよ。もちろん、それ以外にも仕事はしてもらうけど、娘さんたち2人に娼婦として客を取らせることはしないと約束するわ。この3人、いえ娘さんも含めるなら4人の保護者として引き続き傍で見守ることもできるし、悪い条件ではないと思うわよ?」
「…………」
悪くないどころか願ってもない条件を提示されて、アボットは何か裏があるのではないだろうか、と考えた。そもそもこのサミエラと名乗る
そう考えたところでそのような想定に意味などないと気付く。奴隷になるということは一般的な雇用関係ではなく、生かすも殺すも主人次第の所有物になるということなのだから。
だが、普通に奴隷堕ちしたならこれほどの条件はまず望めない。そもそも奴隷は主人を選べないのだからどんなに過酷な労働条件にも甘んじなければならない。それこそアネッタが娼館に買われたら、先ほども指摘された通り、購入費用を回収するために次々に客を取らされていずれ性病を
ゴールディ商会がどんな商売をしているかは知らないが、アネッタと漣に客を取らせないと約束してくれている、それだけでも親として拒む理由はないし、この4人がこれからも一緒にいることができて、自分自身、その成長を見守っていけるならそれに優るものはない。
不安要素としては、サミエラが事業に失敗した場合に所有物である奴隷は再び売られてしまう可能性があるが、そうならないように支えることが自分たちの役割だろう。
「どうだろう? 私はこの話を受けるべきだと思うが」
アボットが4人に訊ねると、全員が迷わずに頷いたので、アボットも腹をくくり、サミエラに向き直って頭を下げた。
「わかった。いや、わかりました。私と子供たち共々これからお世話になります。ご主人様」
アボットに続いて残りの4人も頭を下げ、サミエラは彼らを安心させるように満面の笑顔で両手を広げた。
「あなたたちを歓迎するわ。ようこそゴールディ商会へ」
【作者コメント】
ゴールディ商会の初期メンバーが揃いました。
日本の遊郭に付き物の性病として有名な梅毒は元々大航海時代に新大陸から『コロンブス交換』によってヨーロッパに持ち込まれたという説が有力です。性に奔放だったルネサンス時代ということもあり、ヨーロッパで爆発的に広がりました。日本では1512年に初めて文献に登場しますが、交通が未発達だった時代にも関わらずわずか20年で世界中に広がったのは、港ごとに妻がいるといわれる船乗りが感染経路だったからでしょう。
梅毒は感染初期に発疹症状が出るものの、その後、症状が表に出ない潜伏期になり、妊娠しにくくなることから江戸時代の遊女にとっては梅毒の初期症状が出てこそ遊女としては一人前とみなされていたようです。
特効薬はペニシリンですが、自然治癒はせず、段々症状が悪化していって最終的には末端組織の壊死を伴う非常に苦しい死を迎えます。江戸時代の遊女は終身奴隷ではなく、あくまで10年程度の年季奉公だったにも関わらずしばしば終身奴隷のように思われるのは、多くの遊女が梅毒により年季明けを待たずに亡くなったり、年季が明けても身体がボロボロで長く生きられなかったからでしょう。
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