第7話 ジャン・バールはサミエラを見直す


 ジャンがサミエラの答えに興味深そうな表情を浮かべ、逆にロッコが焦りだす。


「いやいや、ちょっと待て! 150は叩き台だぞ。いくらなんでも貰いすぎだ」


「そうかしら? ねぇバール副所長、あなたがアタシの立場だったとして、絶対的に信頼できる番頭で、船乗りとしての確かな実力と名声もあって、教師であり保護者でもあるロッコおじ様に150って高すぎるかしら?」


「ふむ。そこまで理解しておられるなら問題ありませんな。さきほど、1ヶ月に150ペソを貰うのは大商会の番頭ぐらいと言いましたが訂正しましょう。若い女性であるあなたがこれから商会を立ち上げるにあたって、本当に信頼できる番頭がたった150ペソで雇えるなら逃す手はありません」


「あは。やっぱりそうよね! ということでロッコおじ様には毎月150ペソ払うからその分しっかり働いてもらうわよ。要はおじ様が150ペソ以上の価値を生み出してくれさえすればいいわけだし」


「いや、それでも150はさすがに……」


 なおも渋るロッコにサミエラが交渉を持ちかける。


「それなら、おじ様のサトウキビ農園で作った砂糖をアタシに直接卸して欲しいわ。仲介を挟まないで生産者から直接仕入れられるならおじ様の利益が据え置きでもアタシの仕入値は下がるから商会の最初の目玉商品になるわよね」


「それはまあ構わんが」


「それと、今の家を売却するからおじ様の家に住ませてもらってもいいかしら?」


「はぁっ? なんでそうなる!?」


「しょっちゅう留守にする貿易商人をやるなら持ち家は宝の持ち腐れだわ。それに父が残した家に若い娘が一人で住み続けるのも良くないと思うの。遺産狙いの強盗に押し入られるかもしれないし、留守中に空き巣に入られるかもしれない。だから一芝居打とうと思ってるの」


「……続けてくれ」


「家を売ってアタシがおじ様の家に移って街に噂を流すの。ゴールディ商会の借金は思っていたより多くて、娘は支払いのために家を手離して後見人に引き取られた。かつてゴールディ商会に雇われていた航海士だった後見人はゴールディ商会が残した船と倉庫を引き継ぎ、自分の農園で作った砂糖をゴールディの娘を伴って売りにいくことにした。……どう? アタシの引き継いだ資産を一般の目から隠しつつ、アタシがおじ様と一緒に船に乗って商売に行っても怪しまれないストーリーだと思うのだけど」


「……むぅ、今のを自分で考えたのか?」


「アタシだって自分の置かれた状況が危ういものだってことぐらい分かってるわ。だからせめてこの街ではお金を持ってると思われないように、って考えたのよ」


――パチパチパチ


 それまで黙って推移を見守っていたジャンが拍手をする。


「はは。これはジョンが期待するだけありますね! ……実は、私もロッコもまさにそのことを一番心配していたのですよ。あなたが多くの資産を有していることを知った輩があなたを狙わないか。だが有効な解決策は思い浮かばなかった。せいぜい現金をなるべく持ち歩かずに銀行に預けることとか、なるべく質素に生活するように心掛けてもらうぐらいしか。……それなのにあなたときたら自分でその解決策を準備するなんて」


 サミエラを見るジャンの目はすっかり変わっていた。ロッコも感心したようにうなずく。


「嬢ちゃんは俺が思っていたより頭がよく回るらしいな。それに度胸もある。これで男だったら言うことねぇんだが、まぁ嬢ちゃんなら確かに商人としても上手いことやれるかもしれねぇな。分かった。その条件を呑もう。俺の家は元々部屋は空いてるし、一緒に住んでくれた方が俺としても安心できるしカミさんも喜ぶ。おいジャン、今話した内容を全部引っくるめて契約にまとめてくれ」


「了解しました。今住んでいる家の売却とロッコとの雇用契約、海事ギルドへの登録とゴールディ商会の引き継ぎ。とりあえずはこんなところで宜しいでしょうか?」


「ええ、それでお願いするわ」


「分かりました。少々お待ちください」


 それから3人で様々な手続きと打ち合わせを進めていく。

 サミエラの家を競売に掛け、その売り上げを借金返済に回すという噂をどのように流すか。借金残高をどれぐらいに設定するか。

 ゴールディ商会をサミエラが正式に引き継ぐものの、表向きはロッコが引き継いだように見せ掛けること。人前ではロッコがサミエラに指示を出すこと。

 商会のエンブレムをどうするかについて。


「エンブレム? 変える必要があるの?」


「本来なら正当な後継者であるお嬢様が商会を引き継いでいるので変える必要はないのですが、ロッコが引き継いだように見せ掛けるならエンブレムを変えるのが自然ですね。商会名そのものは先代への敬意としてそのままにしておくことも多いのでそのままゴールディ商会でもいいのですが、エンブレムを変えることで海ですれ違う知り合いの船に代替わりを報せる意味合いもありますので」


「あ、じゃあ変えた方が良さそうね。どんな風にするのがいいとかルールはあるのかしら?」


「そうですね。実際に登録されている意匠を見ていただいた方がいいでしょう。少々お待ちください」


 ジャンが商談部屋を出ていき、少ししてから大きな本を手に戻ってくる。


「お待たせいたしました。こちらが海事ギルドに登録されている商船旗のエンブレムの図鑑となります」


 テーブルの上に置かれた立派な装丁の大きな本のページを捲ってみれば、横長の長方形に描かれた様々な意匠が並んでいる。


「こうして見ていって共通点には気付かれましたか?」


「旗は必ず紺の十字で4つに区切られていて、左上のマスが所属国で右下のマスが商会のエンブレムになっているのね」


「その通りです。ここに描かれているのは全て旗竿を左にした場合ですので反対側から見れば逆になりますが、十字に区切って旗竿側の上のマスは所属国、その斜め下が商会を表しています」


 ジャンが実際に図鑑を捲って現在のゴールディ商会のエンブレムが描かれているページを見せてくれる。

 白地の旗を濃紺の十字で区切り、左上にユニオンジャック、対角の右下にゴールディ商会のエンブレムである赤い天秤の意匠が描かれている。サミエラにとっては物心ついた時からずっとそばにあった馴染みのエンブレムだ。


「ゴールディ商会の天秤は遠くからでも分かりやすいですが、中には凝りすぎて遠くからは判別しにくいものもあります。意匠は自由ですが、シンプルで分かりやすいものの方が周囲の評判はいいですね」


「なるほどね。確かに遠くから見てどこの商会かすぐ分かるのは大事よね」


「あとは、イギリス所属の商船旗の場合、旗の下地に青と赤は使えません。理由は分かりますか?」


「えっと、軍艦隊と同じになってしまうから?」


「その通りです。イギリスの青色艦隊と赤色艦隊とほぼ同じになってしまう……というより戦争時に私掠しりゃく許可を発行された私掠船プライベーティアがこの旗を掲げて活動します。この青旗、赤旗を掲げることで海賊ではなく正式な軍属であることを示すわけですね。

 そして、黒地の旗はどの所属国でも禁止です。これは海賊旗ですので、黒旗を揚げるということは海賊として全世界に対して宣戦布告したとみなされ、攻撃されても文句は言えません。紛らわしいので、例え白地の旗でも黒1色での意匠は避けるのが賢明です」


「よく分かったわ。シンプルで分かりやすくて目立つのがいいってことね」


「そういうことですね。それを踏まえて新たな商会のエンブレムを考えていただきたいと思います。今すぐとは言いませんが、最初の交易に出るまでには商船旗も新しくしておきたいのでお早めにお願いしたいですね」


「ロッコおじ様とも相談して早めにお返事させてもらうわ」







【作者コメント】


私掠船プライベーティアとは、戦争時に通常の正規の軍艦とは別に、敵船拿捕許可証を発行されて敵国の商船を襲って積み荷を奪ったり沈めたりする、ようは通商破壊任務を与えられた公認海賊ですね。


史上最も有名なプライベーティアはエリザベス一世に雇われてスペインと戦ったフランシス・ドレイクです。ドレイクがスペインから奪った財貨のうち出資者であるエリザベス一世に上納された分だけで当時のイングランドの国家予算を超えており、イングランドはそれをもって国債を完済しました。


激怒したスペインがイングランドに対してドレイクの身柄引き渡しを求めるものの、エリザベス一世はこれを拒否してドレイクを海軍中将に任命してサーの称号を与えたため、イングランドとスペイン間で戦争が勃発。艦隊を率いて出撃したドレイクは得意の海賊戦法で当時世界最強といわれたスペインの無敵艦隊をアルマダ海戦で壊滅させ、スペインの没落と後の大英帝国となるイングランドの跳躍のきっかけになりました。英国紳士なんて元を辿ればみんな海賊という言い回しの由来ですね。


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