第三章 悪の定義

第1話 光の会


 ネイルズマーダー。

 連続殺人犯はネット上でそう呼ばれるようになっていた。

 被害者が世間的に悪党と呼ばれる者だけに、ネット上では義賊扱いする者が出始めている。


 警察は、この漫画的な犯罪者が英雄視され、模倣犯が出てくることを、警戒した。

 それは、単純に被害者が増加するだけでなく、捜査がより難しく成るからだ。


「いい気なもんですね。人が四人も殺されてるのにヒーロー扱いだ」


 青木は運転しながら、苦々し気に言い放った。捜査が進展しない苛立ちに、つい声を荒げてしまう。


「責任のない発言ならなんとでも言えるさ。匿名が許されるネットに向かって、それを嘆いても、仕方ないだろう」


 坂本はこれまで担当したいくつかの事件を、思い出したような顔をした。青木がいくら苛立っても事件は解決しない。冷静さを失った方が負けだ。


「それにしても、もう十日も事件が起きてないのはなぜでしょう」

「そうだな、これまで一週間以上空かないペースで起きていたから、明らかにペースダウンだ」

 青木が気にする点は、坂本も感じているようだ。


「もしかしたら、これで事件はお終いとかじゃないですか?」

「相沢さんの話では、この手の犯罪者は、間隔を空けて犯罪を行うそうだ。その間隔は一定の場合もあるし、不規則になる場合もある。だが犯人が捕まらない限り、必ず再発するとのことだ」


 一年と聞いて青木はぞっとした。

「間隔が一年後とか嫌ですね。相沢さんの話だと、こういう犯人って、社会的に地位が確立してるって言ってたじゃないですか。案外、本業が忙しいのかも知れませんね」


 言ってから青木は、普段はせっせと本業にいそしみ、仕事の区切りがついたら、さあ趣味を楽しもうとばかりに殺人をする犯人を想像した。

 人の頭に平気で釘を打ち込む殺人鬼が、ごく普通の善良な市民の顔をして、もしかしたら隣で食事しているかも知れない。

 人間自体に対するおぞましさで、運転しながら吐きそうになった。


「被害が出ないのはいいことだ。我々は次の犯行を防ぐために、これまでの四件を徹底捜査するだけだ」


 坂本はそう言うが、捜査は行き詰っている。

 過去の四件はまったく手掛りが残ってないうえ、悪党というだけで被害者のつながりもない。

 三件目の主婦にいたっては、クレーマーではあるがただの主婦だ。

 藁にもすがる思いで、代官山の事件の一方の被害者である清水綾に、当時の状況を聞くことが今日のミッションだ。


「ところで、『希望の光』って、どんな団体でしょうね。怪しげな宗教団体だったら嫌だなぁ」


 青木はこの手の団体に対してつい色眼鏡で見てしまう。

 被害者にとっての救いは、犯人を捕まえて、これからの生活に安心を与えることだ。

 この手の団体に犯人を捕まえる力はない。

 ごまかし、売名、金儲け、青木の頭に次々と負の感情が連鎖する。


「医師が進めたぐらいだから、それなりにちゃんとした団体だろう。行ってみないと分からないからな」


 坂本も知らない団体のようだ。

 青木は自分で言った宗教団体という言葉に、二八年前に毒ガス散布で、都民を恐怖に陥れた事件を思い出し、嫌な感じが頭に残った。


 車は山手通りから目黒通りに入った。希望の光は東急目蒲線不動前駅の近くで、四階建ての建物の最上階にある。


 青木が調べたところでは、希望の光の前身は大学生のボランティアサークルだった。五年前にサークルOBの鏡壮介が、突然会に戻ってきてリーダーに就任し、今の様な本格的な弱者救済団体に生まれ変わっている。


 弁護士に成る前の鏡は、法曹界で期待されたエリート検事だったいうが、多くの犯罪を見ているうちに、犯人を裁いても被害者が救われないことに気づいたのだろう。

 今や希望の光には各種犯罪に巻き込まれ、精神的に深い傷を負った人たちが、救いを求めて続々とやって来ており、その数はなんと八千人を超えると言うから凄い。


 青木たちが到着すると、受付では鏡自身が応対に現れ、そのまま会議室に通された。一見すると、大手の法律事務所のような造りになっている。


 二人はソファに座って三分程待つと、鏡が清水綾を連れてやって来た。

 事件直後に病院で見たときは、精神的にひどく落ち込んで、何を訊いても分からないを繰り返していたが、今は見違えるようだ。


 顔には生気が戻り、元々美しい顔を更に輝かせ、何よりも目に理知的な光が溢れて、東京の最前線で活躍する女性のオーラが漂っていた。


「お時間を取らせて申し訳ありません。本日は、もう一度事件の日の話をお伺いしたいと思いました。嫌な記憶だと思いますが、何卒ご協力をお願いします」


 被害者にとっては残酷なお願いなのだが、綾はにこりと素敵な笑顔を返した。その笑顔を見て、仕事でもなければ、こんな美人と話すことはまずないだろうと、青木は思った。


「ご苦労様です。私はあの時のことはあまり覚えていませんが、思い出したことはお話しします」


 青木は、綾が机に置かれた鏡の手を、しっかり握っていることに気づき、外見上は平気に見えても、心の内に刻まれた傷跡はまだ残っていることに気づいた。


 それにしてもあんな目に遭いながら、綾からこれほどの信頼を寄せられる鏡に対して、軽い嫉妬とそこはかとない疑いを感じた。

 普通レイプ被害者は、男の肌に触れることを嫌う。いったいどんな魔法を使えば、これほどの信頼を勝ち取れるのか、その方法を知りたくなった。


「では、成川が殺された時ですが、犯人のことで何かお気づきになったことはありますか」


 坂本の問いはレイプ被害者に対しては、かなり辛い要求だが、綾は鏡の手を握る手に力を入れて、気丈に答え始めた。


「ネイルズマーダーのことはあまり覚えていません。あの時は怖いのと悔しい気持ちで、頭の中はいっぱいになっていました。私は何も悪いことをしてないのに、なぜこんな理不尽な仕打ちに会うのかと、そればかり考えていました。どのくらい時間が経ったか覚えていませんが、男がいきなり私の背中に身体を被せて動かなくなったので、不思議に思って後ろを向くと、頭に釘を刺した状態で死んでいました」


 青木は、泣いてばかりいた娘が、こんなにもはっきりと当時の状況を言えるように成ったのに改めて驚いた。

 希望の光が似非団体ではなく看板通りの機能を果たし、その代表である鏡は真のカリスマではないかと、少しずつだがこの団体のことを信用し始めている自分に気づく。


 綾は気丈にも更に話を続ける。

「死に顔を見て、特に怖いとは思いませんでした。そのときは助かったと思っただけでしたが、次の日には気味がいいと思いました。だから私はネイルズマーダーは悪い人だと思いません。だってあいつは警察に捕まっても、死刑にはならないでしょう」


 綾は躊躇いなく、過激な言葉を口にする。

 あの状況では、奴が現われなかったら、綾は四人の男に強姦されていたのだ。死んだとは言え、綾が成川に同情する理由はない。


「お気持ちはお察しします。もう一度お聞きしますが、犯人の顔はおろか、立ち去る姿も見てないのですね」

 坂本は怯まず、質問を続ける。


「はい、他の誰かが動く気配は一切しませんでした。今は神様が突然現れて、私を傷つける者を罰してくれたのだと、思っています」

「清水さん、ありがとうございました。もう結構です」


 これ以上訊いても、ネイルズマーダーへの感謝しか出てこないと判断したのか、坂本は質問を切り上げた。

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