第33話 最北の神殿


 あわいの時


 双星抱きし神殿の


 鍵は光 光は鍵



 宵の太陽 白昼の月


 風は途絶え 大地は割け


 世界を覆うは闇


 潰える生命の叫び


 轟渡る滅びの唄





 西大陸、北の果て。

 千年という長い時の中で風化することなく、厳かな姿でそこにありつづけた神殿。恐らく、アルバ族が守り続けたとされる扉の在処。

 神殿内、最奥の部屋の隠し階段を降りた地下には意味ありげな小部屋があって、他には何もないその小部屋に並ぶ五つの台座の謎は、先日東大陸からやってきたあの学者から聞いた話が足掛かりとなって解明することに成功した。


「五つの台座の位置関係って、時間を表す五角のようにも見えませんか?」


 雷、水、氷、火、土。

 それらの魔法を台座に放ってみたところ、床に幾重にも重なる同心円と光る文字が現れた。壁画にもあった古代文字だった。

 それは神殿の仕掛けを動かす起動装置になっていて、小部屋にいたヤックハルスと魔法使い達は神殿の屋上へと転送された。

 屋上は広い空間になっていて、遮られるものもなく海が一望できた。

 その反対に位置する場所には大きな両開きの扉があった。方角で言えば、東側だ。その隅の、本来であれば囲いがある場所にぽつんとひとつだけそれが残されていた。まるでそこは以前一つの部屋で、壁と天井があり、壁にはアーチ型の大きな扉が設けられていたかのような佇まいでそれはその場所にあった。

 なんの変哲もないそれは、そこにいた者たちを拍子抜けさせたが、ヤックハルスだけは真剣な顔つきで観察していた。

 装飾や魔法文字は施されておらず、取っ手がない。

 鍵穴らしきものも見当たらない。

 宝石を鍵とするならば、それらを嵌めこむ窪みでもあるのかと思ったがそうではないらしい。

 ヤックハルスは肩を竦めて扉から一歩離れると辺りを見回す。

 扉の他に気になるのは石像くらいのものだ。

 扉を中心とし、斜め手前の左右に設置された二体の石像。

 半身が人の、獅子と大蛇だった。どちらも何かを掲げ持つような体勢をしていた。その割に掌の上には何もないのが不自然だった。

 赤き眸の獅子と蒼き眸の蛇。

 アルバ族の言い伝えにも出てくる二神であるということにすぐに気づいて、ヤックハルスはその掌に二つの宝石をそれぞれ捧げてみた。

 すると、宝石が淡く輝き、床が振動して、低く唸るような音が響いた。

 驚き狼狽える魔法使い達の中で、ヤックハルスは高揚していた。


「二つの光が交わりし時……」


 赤と青。二つの宝石が沈みゆく夕陽の光を受け、輝きを増してゆく。

 宝石から発せられた光の筋が一直線に扉に伸びていた。


「ヤックハルス将軍!」


 突然部下の誰かの声が上がった。振り返ると皆一様に空を見上げていた。

 おびただしい数の魔族がそこにいた。魔族たちは雲のように纏まり固まっていて、その中で時折何か光が走ったり、火花が散ったりしていた。

 ヤックハルスは高々と言う。


「臆するな。こちらからは決して手を出さず、向かってくるものは退けろ。奴らにこちらを攻撃する理由を作らせて、あの数で一斉にかかってこられてはどうしようもないからな。時間を稼げ。それだけでいい」




***




「うわ、なんだあれ」


 神殿前、空を見上げ悲鳴を上げたのはソロだ。

 羽虫のように、あるいは鳥の大群のように空を埋め尽くす魔族。ざわめきに、空気が震えている。


「揉めておるのよ。血の盟約に縛られた者とそうでない者が争っておる」


 あの人間どもを殺せ。

 すぐにやめさせろ。

 古い決まり事など世界の存続が掛かっている今気にしている場合か。

 あれはヒトの問題だ。

 我々が手だししてよいものではない。

 無数の声が重なり、不快な音として響く。

 ラータがクレピスキュルを見上げる。


「ねえこれまずいんじゃないの? 扉云々とは別に」

「なにが?」

「魔族たちが一斉に魔法を使っていることで魔力がこの一帯に滞留してる。いつ暴発してもおかしくないよ」

「扉は? どうなってるんです今」


 クレピスキュルは神殿の上を見つめ、目を細める。

 神殿の石壁は、夕陽の色に染まっている。濃く強い紅の光。だというのに空気はさえざえとしている。

 風がクレピスキュルの長い髪を躍らせる。


「ああ、見つけたようだ、それに鍵が、光が扉に達して……」

「クレピスキュル行って」


 ラータが鋭く言った。


「僕たちを扉まで運んで、それから君は魔族たちの元へ向かってくれ」


 クレピスキュルは頷くと、指をぐるりと回し宙に円を描いた。


「幸運を」


 転送される時のあの奇妙な感覚の後、クレピスキュルの姿が掻き消えた。

 視界が一度途切れ、それまでと全く異なる光景が現れる。

 石の床。空が近くて、風が強い。

 神殿の平らな屋根の上。

 目の前には大勢の魔法使いと兵士。空から降下し攻撃してくる魔族を、魔法使い達が透明の壁のようなものと鈍く光る銀色の珠で応じていた。一方兵士はというと、相手が魔法となると為す術なく右往左往するばかりだ。

 その向こうに見えるのは金色の粒子を纏い輝く大きな扉。そして、左右手前には二つの像。像にはめ込まれた宝石からは光が直線を描き、扉の中心で今まさに一点に交わろうとしている。


「なんだ貴様らは!?」


 いち早くディア達の存在に気付いた兵士が声を上げた。

 取り囲まれて、武器を向けられる。


「退いて! 世界が滅んでもいいの!?」


 ディアの叫びに数人の兵士と魔法使いが当惑した。

 その様子を見て、シオンが追い打ちをかけるように声を張る。


「世界の扉を開き、二つの世界を繋ぐとそれぞれの均衡が崩れるんです。あちらの世界はこちらに、こちらの世界はあちらに合わせようとして、それが異常現象を起こします。千年前に起こったとされる災厄、誰もが聞いたことくらいあるでしょう?」

「これは、アルクトス殿ではありませんか」


 兵士達が脇に避け、ヤックハルスがシオンの前に出た。シオンは瞳を揺るがさずに言う。


「ヤックハルス将軍。声を掛けていただいたのに、ご期待に沿えず申し訳ありませんでした。俺は別の、誰にも迷惑を掛けない方法でもう一つの世界を目指したいと思います」

「そうですか、残念です。あなたとは馬が合うと思ったのですが」


 吐息だけで笑い、ヤックハルスは芝居がかった仕草で両手を広げた。

 愉快気に、そして興奮気味に言う。


「だが扉はもう目の前、そして」


 ソロがシオンの脇を駆け抜け、ヤックハルスに殴り掛かるが、傍にいた兵士がその前に立ちはだかる。剣が振るわれ、すんでのところでそれをかわして、着地する。


「ごちゃごちゃうるせぇよ、どけよ。てめぇの都合で世界ぶっ壊されてたまるかってんだ」

「こんなつまらん世界、どうなろうが別に構わないだろう」

「つまらないのはどっちだボケ、そんなくだらない理由で殺される奴らの身にもなってみろ」


 それに対して、ヤックハルスは皮肉な笑みを浮かべる。


「扉が開かれようが開かれまいが、世界は理不尽にあふれている。戦争や災害と何が違う。誰かの勝手な都合や人の手が及ばない自然の驚異で、命はいくらでも失われる。悪意のある人間はどこにだっているし、それによって不幸になる者も数多く存在する。それらと私が今ここで扉を開くこと、どう違うというのだ?」


 世界をこわして何が悪い?

 言外にそんな思いが含まれているようだった。

 ソロはヤックハルスを睨みつける。


「アホかテメェ、人災と天災を同等に扱ってんじゃねーよ! 扉開くのはテメェの勝手な都合だろうが!」


 ディアが腰の短剣を抜いて言った。ソロの隣に並ぶ。


「わたしは、世界を旅したい。いろんなものを見たい。だからそのためにはここで世界を壊させるわけにはいかないの。あなたがしたようにする権利があるというなら、わたしにだってそれを邪魔する権利がある」


 嘆息とともに首を横に振り、ヤックハルスはシオンに顔を向けた。


「アルクトス殿、あなたなら理解してくれると思っていたのに。世界を犠牲にしてでも未知の世界に触れてみたいと、そう言ったあなたであれば」


 シオンは視線を落とし、それからもう一度まっすぐに相手を見やる。


「たしかに、俺はそう言いました。今でもあちら側の世界には興味がありますし、諦めてもいません。ただ同時に、俺のことを想い、俺を信頼してくれる人達の気持ちをないがしろにして、背を向け俯き、仕方なかったんだと自分に言い訳して後ろ暗い思いを抱えながら生きるような真似はしたくないと、今はそう思います」


 知的な黒い瞳には、穏やかだが、固い意思と燃え滾る炎のような強い光があった。

 中には困惑する兵士もいたが、あらかじめ真実を知っていた者、困惑して尚ヤックハルスの意思に忠実に従う者たちは剣を抜き、ディア達に一歩迫った。

 ディアらがヤックハルスに向かい合う中、ラータはシオンの影で、囁くような声で魔法を完成させていた。

 扉の鍵は二つの光。

 ならば二つの宝石、一方だけでも破壊することができれば、鍵として成り立たなくなる。


「RHaki Cam haRM Ex laplosio」


 小さな魔法だ。

 魔法を学び始めて間もない者でも使えるような、大気を魔力の膜で包み発火させて爆発させる魔法。

 口許を見られなければ視覚的にはわからない。声さえ聞こえなければ気づく者もこの周りにはいない。魔力の流れを感じ取ることができるのは魔法使いだけだ。魔法使い達は魔族に気を取られている。

 威力はそれほど強くなくてもいいが、弱すぎてもいけない。

 石像の一部を破壊できるほどの爆発を。


「この空間に潜む大気の泡、見えざる焔硝。凝縮し、膨張し、弾け、その威力を発揮せよ!」


 像の近くでいくつもの爆発音が響き、光が散った。煙が僅かな間立ち込め、風に流される。

 誰もが固唾を飲んで見守る中、ヤックハルスは動じない。口許には笑みさえ浮かんでいて、ソロが真っ先に動いた。地面を蹴り、呆気に取られる兵士たちの間をすり抜けようとする。だが寸前で我に返った者たちが、それを阻んだ。

 ディアもソロに続いて駆け出す。


「おら行け、小娘!」


 誰か。

 誰だろう。シオンでもない。ソロでも。ラータでもない。けれど聞き覚えのある男の声が言った。

 ディアに飛び掛かってきた兵士が、泥に足を取られて転ぶ。石造りの神殿の屋根の上に現れた大量の泥に、兵士たちは混乱した。

 どういうわけかディアは、まるで草原や乾いた土の上であるかのように、走って進むことができた。

 ラータの声と誰かの声が重なる。


「KHaIsecki,KHAyb yoU tlen, IyenptHoceWenty、煌めきの間に大地と海と空を渡りし者よ。ディア・アレーニの翼となり、目となり、手足となりて、彼の者の助力となれ!」

「像の周りにゃ防護魔法がかけられてる! 魔法は効かねぇ、だが結界と違って触れることはできる筈だ!」


 煙で視界が悪い中、光はその中を一直線に扉に向かって伸びていた。

 ディアは大きく目を見開く。

 扉に映る紫の光。赤と青、二色の光が重なり、混じりあった色。

 夕暮れの、空の境の色。

 地を蹴り、駆けだす。腕を伸ばす。

 獅子の掲げる赤い石を、ディアの手が奪い去る。

 その瞬間、時が止まったように錯覚した。すべての音が消えたせいだ。

 風が止んでいた。人間も、魔族たちも静まり返っていた。その場にいた者すべての視線が扉に注がれていた。

 ディアは息を呑んで振り返る。


 扉は、開きかけたまま止まっていた。

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