第27話 こっちは仲直り
シオンは少年のことをよく覚えていた。ゼベルの大学で、自分を呼びに来てくれた少年だ。ディアと同じ年くらいか、それよりも下にしか見えない子供が構内にいることにまず驚き、その後生徒だと聞いてさらに驚いた。
その彼がなぜここにいるのだろう。
利発そうな緑の眼がシオン達を順に見て、安堵したように和らいだ。
ソロが少年に礼を言っている。
それで先刻の不思議な現象は彼によるものだと、シオンは知ることができた。
終わったなと思って、脱力する。腹立ちや焦燥感もなく、空虚な気持ちで空を見上げた。
「シオンさん」
呼びかけられて、視線を下げる。
ディアは腕から離れようとはせずに話を続ける。
「シオンさんのやりたいこと、邪魔してごめんなさい。わたしがもうひとつの世界を見たいって言い出して、シオンさんはそれに協力してくれてたのに、早々に諦めたりしてごめんなさい……でも、世界が壊れるとか死ななくてもいい人が死ぬっていうのは嫌だし、自分がもしかしたら死ぬかもしれないのも嫌。勝手言ってごめんなさい」
「ディア」
言ったのはソロだ。
「悪いけど、ちょっとそいつと話させてくれないか?」
ディアは頷き、ラータと共に社の表へ回った。
顔を社の方を向けながら、シオンが先に口を開いた。
「魔法ですよね、さっきのあれ。今の、あの子が?」
「ああ、召喚と同じ原理だってさ。魔王とも契約してるとかって言うし、とんでもねぇぜ」
「それじゃあ確かな情報筋っていうのは」
「さすが話が早いな。そうだよ、魔王ってやつはこの世界で起きたすべての出来事を知ることができるんだと」
人一人の人生さえも。
すべて。
すべての知識がそこにある。なんて力だろう。
話に聞いただけなのに、圧倒される。溜息が漏れる。同時に落胆する。
その知識の塊といえる存在でさえ、二つの世界の均衡を崩さず扉を開く方法を知らないのではないか。実際に尋ねたわけではなくとも予想はつく。予想と言っても、殆ど確信に近い。
「オレにはよくわかんねぇけどさ、そんなに向こうの世界ってやつは魅力的なのかよ」
ソロの疑問に、シオンは少しだけ考えてから答える。
「だって空を飛ぶ船ですよ? 見てみたくないですか? あわよくば乗ってみたいとか思いませんか?」
「そりゃ、そう言われりゃあ面白そうって思わなくもねぇけど……こっちにも魔法とか空を飛ぶ方法がないわけじゃないし」
「わかってないですね」
「わかんねぇよ」
「向こうは魔法じゃなくて、キカイってやつなんです。どういう原理で、どういう仕掛けで動いてるのかとか、ついでにその文明が築かれるに至った歴史がどんなものだったのかとか、そういうのを一から知っていくのが面白いんじゃないですか」
「全ッ然わかんねぇ」
ソロはそう言って、草の上に胡坐をかいて座る。
「そういうのはホントよくわかんねぇしさ、オレはあんたみたいにもの考えるの得意でもないけど……行ったことのない場所に行く楽しさっていうのはオレにもわかるよ。最初は、宝石を手に入れることしか考えてなかったけど、本当にそんな世界があるんなら一回行ってみるのも悪かねぇかななんて」
ただしそれは、何の問題もなく安全に行くことができるのなら、というのが前提だ。
ディアが言ったまま。
世界が壊れるのは嫌。死ななくていい誰かが死ぬのも嫌。自分が死ぬのも嫌。
ソロも全く同じ思いだった。
ソロに家族はない。故郷と一緒に流されてしまった。仲の良かった友人もその後死んでしまった。この世界に執着する何かがあるわけではない。
あるとしたら、それはほんの僅かな良心というものなんだろうと思う。
世界に、赤の他人はいくらでもいる。そいつらがどうなろうが、ソロには知ったことではない。ソロの知らないところで、顔も知らない誰かが辛い目に合っていたとして、それはソロにはどうでもいいことだ。そんな誰かを見つけてどうにかしてやりたいなんて、聖人君子のような思想はソロにはない。
それでも誰かが死んだり苦しんだりするというのは気の毒なことだと思うし、自分のせいでそんなことになるのは嫌だ。自分のせいじゃなくても、嫌か嫌じゃないかで言えばやっぱり嫌だ。当たり前だ。だって、そんなのは理不尽だ。
「もしさ、安心安全に開く方法がわかりましたってならいいと思うよ。けど違うんだろ? だってお前言ってたもんな、世界がめちゃくちゃになってもってさあ」
シオンは何も言わなくて、ソロは苛々する。
風に地面の草が揺れている。数歩先に立つシオンの足元だけが見えている。
「お前頭いいんじゃなかったのかよ、いろいろ勉強してきたんじゃなかったのかよ! なんでそんなこともわかんねぇんだよ! それとも勉強ばっかしてるから、そんな簡単なこともわかんねぇのか? 仮にお前の望むように、あっちの世界行けたとしても絶対後味悪いよ、わかれよそんくらい」
「考えましたよ」
草を踏んで、シオンがこちらに歩いてくる。隣に来ると、シオンはソロの隣に座った。膝を立てて抱える。
「どうにか世界に影響を与えずに扉を開く方法。ゼベルの、あの人が持っていた資料や本も全部読みました。でも何もわからなかった。扉の開き方も、あちらの世界のことも新しいことは何も発見できませんでした」
「じゃあとっとと諦めろ」
「簡単に諦められるならとっくにそうしてましたよ」
「バカじゃねぇの?」
「バカなんです。学者とか研究者とかってやつは大抵」
「開き直ってんじゃねぇよ」
「そういうわけじゃないですけど、抗えないんです。そういう好奇心ってやつに」
「あいつらも、ゼベルの奴らもそうだってのか?」
「さあどうでしょう……まあ魔法使いは俺たちと似てる感じはしますけどね。何となくですけど」
シオンはそれきりまた黙ってしまい、ソロは先程よりはいくらか落ち着いた気分で言う。
「お前さあ、なんか他に面白いって思うことないの?」
「今一番興味あるのは扉ともう一つの世界のことくらいですね」
「視野せっま!」
「研究者や学者がそんなあちこち目移りしてたら、商売になりませんよ。一つの物事を突き詰めていくことこそが俺たちの特性であり存在意義でもあります」
「あ、そっか。そういうもんか」
納得して、ソロは頷く。
彼らのような人々がいるからこそ、国が栄える。人々の生活は豊かになる。
こいつのいう特性はこいつにとって大事なものだ。
大事にしてほしいって思うし、大事したいって思う。世の中の人たちにとっても、その恩恵に与れるなら、それはありがたいことだろう。
でも今はダメだ。
世の中を豊かにしてくれるはずの才能が、反対に害をもたらそうとしている今だけは、それがどれだけこの男にとって大事な才能でも認めるわけにはいかない。
止めるのは、簡単だ。
何でもいいなら、ふんじばってどっか閉じ込めておくなりすればいい。
けど、それじゃダメだ。意味がない。
オレはお前に理解してほしいんだ。いや、理解はしてるんだよな。ダメなことだって、そんなことくらいはわかってるんだよな。わかってて止められないってことなんだもんな。
でも、ダメなんだよ。オレはお前の意思で止めてもらわなきゃ困るんだ。
本当のことをいうと、オレ、お前と仲直りがしたいんだ。
まだそんなに長い時間を過ごしたわけでもないけど、一緒に旅ができて楽しかったんだよ。飯食べたり酒飲んだりもしてさ。理解できないとこもいっぱいあって変なやつだって思うし、ムカつくこともあるけど。それでも楽しかったんだよ。
できるならまた、目的は変わるかもしれないけど一緒に旅ができたらいいなって思ってる。
仲良くできたらって。
そうなるには、どうすればいい?
そうだ、オレが今朝自分で言ったんだ。ラータに。あいつはディアと喧嘩して、きつい物言いだから。
仲良くしたいって思うなら少しだけ優しくしてみろって。
「なあ、そしたらさ」
少しだけ折れてみたらいいんじゃないかって。
相手のことを認めて、でも譲れないところは譲らなくたっていい。
「オレも探すからさ、安心安全にあっちの世界に行く方法」
今さら何バカなこと言ってるんだという目で、シオンがソロを見た。
「でもないんでしょう? 世界の叡智の結集である魔王がそう言ったんでしょう?」
「ばぁか、考えてもみろよ。あいつはこの世界の知識をすべて持ってるって言っても、全部過去のことなんだぜ。本人が言ってたんだ、未来のことに関しては、一秒先のことですらわからないって。たとえば、そう、たとえばさ。扉を使わなくたって、向こうの世界に行く方法だってあるかもしれねぇじゃねぇかよ。まだ誰も見つけてないだけかもしれねぇじゃんかよ」
「まさかそんなことが」
「わかんねぇだろ、まだ探してもねぇだろ。お前はなんか過去の文献とか読み漁るだけでさ。ほら、せっかく今あの年で魔王と契約しちまうような最強の奴がいるんだから、そっち方面から意見聞いてみるのも悪くないだろ。もっといろんな方法で探せよ……オレだって、あるかどうかわかんねぇもう一つの宝石探してたんだからさ。そうだよ、ディアだってそうだ。夢みたいな話信じて、旅に出たりして、それをお前は一緒に探してやろうって思ったんだろ? だったら今回もそうしろ」
ソロの声には懇願するような響きがあった。
シオンは黙って聞いている。
「そんでさ、どうしても見つからなかったらその時は諦めろ。代わりに他の夢中になれること探そう、オレも最後まで付き合うからさ」
シオンはゆっくりと息を吐くと、背を丸め、膝に顔をうずめた。ぽつりと呟く。
「そんな都合のいい話……」
「あるかもしれないだろ、お前は世界の全部知らないだろ。わかった気でいるなら」
「ちがいますよ」
強めの声でシオンは言う。
「俺は俺の都合で動いて、勝手に出ていったのにそんな都合よく戻ってきていいのかって話です」
「それ言うならオレだって嘘ついてたし、もうチャラでいいじゃんか。もういいよめんどくせぇ」
ソロは虫を払うような仕草で手を振る。
何か返答があるかと思ったが、シオンは黙ったままで、妙な間ができる。
不審に思ったソロが顔を振り向かせると、シオンはまっすぐにこちらを見ていた。
「そういえばそうでしたね。その辺の話、俺まだ聞いてないです」
「……」
「聞きたいです」
言われて、ソロは迷うように視線を彷徨わせた。
宝石を見つけた経緯を説明するには、そこに付随する様々な事柄についても話すことになる。つまり、生まれ育った村のこと、友人のこと。とても胸を張って話せるような生き方ではなかった。
それでもまあいいかと思う。
こいつなら。
ソロは溜息を吐き、考えながら話し始める。
「あー、オレは昔……」
「あ、待ってください」
「なんだよ! 人がせっかく」
「聞かせてもらいますよ。でもその前に大事なことを忘れてます」
いきなり話を遮られて、怒りを露わにするソロにシオンは苦笑する。
「話も聞かず信じなくて、そしてあなたの大切な宝石を勝手に他人に渡したりして、すみませんでした」
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