第10話 健気な娘に迫るは魔の手
ラトメリア王都ルアランを出立し、ゼベルに向かう途中の街道。
あと少しで街に着くだろうという頃、ディアの様子がおかしいと最初に気が付いたのはソロだ。
大体今朝から顔色が良くなかった。それにいつもと比べて歩みが遅いし、妙に静かだなとも思っていたのだ。
そろそろ旅の疲れも出てくる頃だろうし、朝晩の気温差なんかも関係しているのかもしれない。
「おい」
顎で背後を示す。
シオンはそこで初めてディアの様子に気が付いたらしかった。
「ディア調子悪いの?」
「大丈夫、ちょっとお腹痛いだけ……」
「え、なんか変な物でも食べた?」
「食べすぎじゃねぇ?」
「ソロと一緒にしないで! もーいいからほっといて、大丈夫だからー! あいたた……」
唇を尖らせながらも、やはり顔色が悪い。腹を抱えて、地面にしゃがみ込んでしまう。
どこか休ませられる場所はないものかと辺りを見回していると、別方向から声がかかった。
「あの、どうかしたんですか?」
「あ、いえ連れの者が少し」
シオンの言葉が不自然に途切れる。
振り返ったソロは、その理由をすぐに悟った。と同時に自身も驚きのあまり絶句してしまう。
声の主は女性だ。だが、その顔立ちはソロにそっくりだった。肩に届く長さの髪は薄茶色で瞳は蜂蜜色。下がった目尻も、薄い唇も全く同じ。同じ形のパーツ、同じ輪郭。
まるで鏡を見ているかのようだった。
女性もまたソロの顔を見て呆気にとられていたが、あっと思い出したように言った。
「お連れの方の具合が悪いのであれば、どうぞうちに。すぐ近くですから」
女性はリザと言う名の、薬草採りの娘だった。
リザに案内された一軒家は街から離れた場所にあって、裏には小さな菜園と仕事道具が置かれた小屋が見られた。
薬をもらってベッドに寝かせてもらい、しばらくすると、ディアは穏やかな顔つきになって眠った。
リザが寝室から出てくると、シオンが椅子から立ち上がり尋ねる。
「あ、ディアの様子はどうですか? 今医者呼んできた方がいいかなって話してたんですけど」
「ああいえ、病気や食あたりではないので、少し休めば落ち着くと思います」
「そうなんですか?」
「ええ、まあいわゆる女の月のものですから」
異性の口からはっきりと告げられて、シオンは顔を赤らめた。その反応を不思議に思いながらソロは言う。
「なあ、月のものってなんだ?」
首を傾げるソロに、シオンは耳打ちする。説明を聞かされ、ソロの表情がみるみるうちに引きつったようになる。
「お、おう……」
「まあそういうことなんで、少し休ませてもらってから出発しましょう。あと少しで街に着くはずですから、そこで宿を取って……」
「あら、よければ今日はこちらに泊まって行ってくださいな」
リザが陶器のティーポットとカップを乗せた盆を持ってやってきて、言った。
「ディアさんもよく眠っていますし、この通り広さだけはある家なので、部屋も余っていますし」
「いいんですか?」
「ええ、大したおもてなしもできませんけど」
ハーブの香りのする茶を二人に出したリザが自らも椅子に座り、改めてソロの顔をまじまじと見つめた。無遠慮な視線は常ならば因縁つけてんのかと凄むところだが、今回ばかりは相手の気持ちがよくわかって、ソロもまた相手の顔をじっくりと観察してしまう。
シオンが言った。
「それにしても本当にそっくりですよね、お二人実は生き別れの双子だったりします?」
「まさか」
「んなわけねぇだろ」
リザとソロがほとんど同時に否定する。
「まあ自分と同じ顔は世界に三人はいるって言いますからね」
「そうなの?」
「実際どうなのか知りませんけど。俺は会ったことがないですし」
「眉唾かよ」
そんな話をしていると玄関の方でベルが鳴って、リザが腰を上げる。
扉を開ける音と、うんざりしたようなリザの声。
「またあなたですか。あのお話なら何度もお断りしたはずですけど」
「リザさんも強情なひとだ。こんなにいい話はないというのに。せめて一度お会いになってみればよいではありませんか、モルセゴ様は本当にいい方ですよ。きっとあなたのことを大切にしてくださるはずです」
相手は男の声だった。
シオンとソロは顔を見合わせるとそっと席を立ち、影からこっそり様子を窺う。
リザと話しているのは中年の男だった。着ているものや丸い体型からは彼が裕福であることがうかがえる。
「端からその気もないのに、会って何になるんでしょうか。時間の無駄です」
「わかりませんね。私共が懇意にさせていただいているご領主様たっての望み、それを引き受けてくださるならあなたのご両親が残した借金、全て帳消しにしてもいいと言っているのに」
「クレバールさん、もうお引き取りいただけませんか? 今お客様がいらしてるんです」
「仕方がないですね、けどあなたがうんと言うまで私は何度でも来ますよ」
リザは踵を返す男に頭を下げ、扉を閉めると思い切り顔をしかめて鼻から息を吐いた。
シオンとソロは慌てて椅子に座り、出された茶を啜ってずっとそこにいたふりをする。ぎこちない動きに、戻ってきたリザが少し笑って言った。
「失礼しました。聞こえていたでしょう? 見苦しいところをお見せしちゃって」
「すみません、どうも気になるお話をされていたのでつい」
「あの人は、私が以前勤めていたお屋敷のご主人なんです。それで今回、この一帯を治める領主様との縁談話を持ってこられて、もう何度もお断りしてるんですけどしつこくて」
「へえ、いいじゃん玉の輿。何が不満なんだ? 借金帳消しとかも言ってたし」
リザは目を細めて、ソロをじろりと睨むように見た。
「それも気に入らないんですよ。そういうのを餌に釣ろうとしてるところが、人の弱みに付け込んでるみたいで」
「その領主様って、どんな人なんですか?」
「よく知らないんです。ただクレバールさんと懇意にされているようで、奉公に上がった時に屋敷内で何度か姿をお見掛けしたことくらいがあるくらいで。多分見た感じ、六十過ぎの」
「ジジイかよ。あんたとだったら親子どころか孫でもおかしくねぇな」
ソロがうげぇと顔を歪めて言った。
シオンがふと思い至って尋ねる。
「そういえばリザさん、他にご家族は?」
「両親は昨年事故で他界してしまって。兄弟もいないものですから、この家には私一人だけで」
「そうですか、しかし女性が一人でこんな場所にというのは色々不便なことも多いのでは?」
「もう慣れましたから」
リザは笑って答え、一口茶を飲む。
シオンは顎に手を当て何か考え込んでいて、ソロが言う。
「いっそさ、会って本人に直接はっきり言ってやればいいんじゃねぇの? 迷惑だって」
「それはそうなんですけど……迷惑に感じている反面、私もあまり強く出れないところがあって」
「借金ですか、まあそうですよねぇ」
「なんだよちゃんと返したろ、こっち見んなよ」
「いや、そうじゃなくてですね」
まじまじと見つめてくるシオンにソロは嫌な予感がする。
嫌な予感は当たっていた。
「ソロさんが代わりにお見合いをしてあげたらどうかなあって」
「あぁ?」
思わず低い声が飛び出すが、シオンは気にせず続けた。
「だってほらこんなにそっくりなんですし、ちょっと変装して、彼女のフリして会ってうまく断ってきてあげたらいいんじゃないですか? 若しくは相手を思い切り幻滅させるか」
「アホか声どうすんだよ」
「あ、そっか。だったら風邪で喉をやられてるってことで声は出さずに」
「お前面白がってんだろ」
「面白がらないでどうするんですか、こんな面白いこと」
はははと声に出して笑うシオンを、ソロはじとっとした目で見る。
リザもくすくす笑って、それから椅子から立ち上がって言った。
「では私はそろそろ夕飯の支度をしますので、どうぞゆっくりしていてください」
食事作りにはシオンとソロもほんの少しだが携わった。
シオンは豆の鞘の筋取りをし、ソロは水汲みと薪割りを担当した。
豆に筋があるんですね、おれ初めてですとかわくわくした様子で話すシオンを、ソロは何がそんなに面白いのかと言いたげな顔で見ていた。
夜になると、ディアはすっかり元気になっていた。出された食事を、おいしいおいしいと頬張るディアに、ソロが今度こそ食いすぎで腹痛くなっても知らねぇぞと呆れたように言った。
全て平らげ空になった食器やら鍋やらを片付ける。
ディアはリザの部屋で、シオンとソロはリザの両親が使っていたという部屋で休ませてもらうことになった。
夜中、ディアはふと目を覚ました。
外はまだ真っ暗だ。隣でリザがよく眠っている。昼間寝てしまったせいだろうかと考えかけるが、欠伸が零れる。
もう一度寝ようと瞼を閉じかけた時、床の軋む音と人の気配を感じて、ディアはがばりと体を起こした。
窓から差し込む月明かりに浮かぶ、夜の闇よりも濃い黒い影。影は人の形をしていて、ベッドの傍に立っていた。眠気が一気に吹き飛ぶ。
叫びかけたディアの口を、伸びてきた分厚い手が塞ぐ。だが同時にディアは枕元を手で探り、何か固いものを見つけて、影の頭部にあたる場所めがけて投げつけた。それは影の脇を掠め床に落ちて、ガシャンと割れるような音がする。
当たりこそはしなかったものの相手が怯んで、口を塞ぐ手が離れる。
「起きてリザさん‼︎ 誰か!」
ディアが大声を上げ、すぐに廊下の方から足音が響いてきた。扉が勢いよく開かれて、シオンと続いてソロが入ってくる。
「失礼ディア、リザさん!」
侵入者は舌打ちをすると、窓から外に飛び出した。
追おうとするソロをシオンが制止する。
「二人とも怪我はありませんか?」
「ええ、あら? ランタンが……」
「あ、これですね。割れてます。ここ踏まないように気をつけてください」
シオンが屈んで言い、ソロが別の灯りを取りに行った。自分たちが寝ていた部屋にあったものを持ってくる。
「ごめんなさい。さっき投げたのそれだ」
「ランタンくらいまた買えばいいわ。それより何事もなくて本当によかった」
「金品目的でしょうか?」
「こんな外れた場所で外観も古い。そうそう価値のあるものがあるようには見えねぇけどな」
「失礼ですよ」
「お前に言われたくねぇよ」
「でもそういえば、前にも一度泥棒に入られたことがあったんですよね」
リザが床に散らばるガラスの破片を拾い集めながらぽつりと零す。
「まだ両親が生きていた頃の話ですけど、その時は留守の間に入られてて、うちの中もうぐっちゃぐちゃにされて気味悪いし最悪で」
「何か盗られたんですか?」
「いいえ。元々うちにはお金なんてありませんでしたから。でも一応自警団には届け出をして、まだ捕まっていないみたいなんですけどね」
「同じ奴かな」
「どうでしょうね?」
拾い集めた破片をまとめて紙に包んで捨て、もうひと眠りすることにした。何せまだ夜明けまでに時間がある。
気味が悪いだろうと部屋を交代することにして、それでもディアはなかなか寝付けなかった。
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