第8話 夜の居酒屋


「え、二人とも行かないの?」


 ディアは両の眉尻を下げて、情けない顔をした。

 用意された客室で休んでいると、フェルディリカが自らやってきて晩餐会にディア達三人を招待したいと言う。

 それに対してソロは小指で耳をほじりながら答えた。


「おれはパス。晩餐会とか堅苦しい場所じゃ食った気しねぇし」


 続いてシオンも手を上げた。


「じゃあ俺も。ラトメリア名物のフォルフォル焼き食べたいし」

「フォルフォル焼きって?」

「猪の肉を潰して、捏ねて、刻んだ野菜とか干した果物とか混ぜて色々な香辛料使って味付けしたのを小麦で作った厚めの生地で包んで焼いたやつ。屋台とか酒場に置いてあるんだって」


 想像がつかないけど、気になる。

 それに二人がいないなら心細いし。


「じゃあわたしも……」

「ディアも?」


 フェルディリカはあからさまにがっかりする。

 それでつい言ってしまった。


「や、ええとやっぱり招かれようかな?」

「本当ですか?」


 フェルディリカの顔が輝く。

 そしてディアはちょっと後悔する。

 フェルディリカは先程までのような簡易な服装ではなく、白いドレスに身を包んできちんと髪を結っていた。仕草だってひとつひとつが美しく、品がある。

 対するディアは礼儀作法も知らない。

 最初にも思ったことだが、やっぱりすごく場違いだ。


「それじゃあディア楽しんでおいて、俺とソロさんは今日はそのまま街で宿を取るから」

「あ、うん」

「シオンさん、お父様には話を通していますので、城の書庫はいつでもお使いください」

「ありがとうございます、姫。また明日の朝に伺います」


 シオンとソロは連れ立って出て行ってしまう。

 取り残されて途方に暮れるディアの手をフェルディリカが取って、嬉しそうに言った。


「さあ、そうと決まったらすぐに支度しましょう」

「え?」


 支度?

 なんの?

 と思う間もなく、ディアは部屋に入ってきた女官たちによって風呂に連れていかれた。服を全て脱がされ、編んだ髪を解かれて、バスタブに入れられる。そうして泡立てた石鹸を肌に擦りつけられ、髪には甘い香りのする花の油を塗りこまれる。

 慣れないディアには、とんでもなく恥ずかしいことだったが、多分これがフェルディリカにとっての日常なのだ。

 この時点で充分すごいと思ったが、ディアはその後更にその思いを強くした。


「まあ、よく似合っているわディア」


 フェルディリカは頬を紅潮させて言うが、当のディアは目を白黒させていた。

 姿勢が自然と伸びて胸の形を整える下着に、裾が長くてうっかりすると蹴躓きそうなドレス、そして足には踵の高い不安定な靴。髪は頭の上の方できつく結われて、花だの宝石だので飾られる。顔には軽く化粧をされて、なんだかこそばゆいような感じだ。

 最初の印象としては、とにかく窮屈。

 貴族の女性達は皆普段からこんな窮屈な思いをしているのだろうか。

 女官たちがどこかから姿見を持ってきて、フェルディリカは後ろからそっとディアの両肩に手を置く。


「ほら見て、素敵」


 促されるままに鏡を見て、ディアは何度も目を瞬かせる。

 そこにいたのは、いつもより少しだけ大人っぽい顔をした少女だった。



***



 大通りを歩けば、酒場なんていくらでもある。適当に選んだ店に入って、たまたま一つだけ空いていた窓際のテーブル席に座る。夕食までにはまだ早い時間だったが、店内は客に溢れていた。

 忙しなく動き回る店員を捕まえ、料理と酒を注文する。


「で結局あいつは何がしたかったんだ」

「ただの気まぐれか何かしら目的があったのか。でもそういえば計画がどうとか言ってましたね」

「そしたらまた何か企んだりするんじゃねぇの?」


 酒だけが先に運ばれてきて、ソロが自分とシオンの前に置かれたグラスそれぞれに注ぐ。


「さあ、けどまあ後は自分たちで何とかするでしょうし」

「つかよ、魔族ってみんなあんななのか?」

「他に会ったことがないから知りませんけど、寿命も考え方も価値観も人間とは違うでしょうし……色々なんじゃないですか?」


 フーンと呟いて、ソロはグラスを煽る。爽やかな柑橘の香りとほどよい酸味があって、いくらでも飲めそうだ。

 一気に飲み干す。


「すきっ腹に大丈夫です?」

「そんな強くないし、大丈夫じゃねぇ? しかし腹減ったなー」

「匂いだけって軽く拷問ですよね」


 厨房から、周りのテーブルから漂ってくる食欲をそそる匂い。

 昼は早めにとって、しかも王都までは馬車での移動だと聞いたから軽いもので済ませ、それ以降何も口にしていない。

 会話が一旦途切れ、ソロは頬杖をついて窓の外を眺める。屋台で買った方が早かったかもなんて思う。その辺の路肩に座るか若しくは宿の部屋でもいい。次はそうしよう。どうせ明日、シオンは一日書庫に篭って調べものをするとか言っていたし、出発はまだ先だろう。翌日か、それよりも後になるか。

 ああいう場所は、ソロにはどうも居心地が悪い。

 一人で気楽に街でも散策していた方がずっといい。


「ところであの時はありがとうございました。ソロさんのおかげで助かりました」

「あ?」


 唐突すぎて、ソロには何のことだかわからない。

 シオンは手元のグラスを軽く回し、透き通る橙色の液体が揺れる様を見つめている。


「魔法って馴染みがないもんで、タイミングとか難しくって。ソロさんがあの魔族の邪魔をしてくれなかったらヤバかったなーなんて思って」

「あー……」


 こっそり玉座に回り込んで、魔族をぶん殴ったことを思い出す。


「その割に詳しかったよな、あんた」

「ああ、あれは教えてもらったんですよレオーネさんから。専門の人に一緒に来てもらって正解でした。魔法に関しては俺も全くなんで」


 その暇を出された魔法使いを自分たちに紛れさせ連れて行こうと提案したのはシオンだ。

 更に相手の気を逸らさせ、その間に解呪の魔法を完成させるという作戦を考えたのも。


「それでも十分すごいけどな」

「そうですか?」


 一品目がようやく運ばれてくる。

 茹でた短い麺にキノコ入りのクリームソースと、とろけたチーズを掛けた料理だった。

 皿にとって、一口食べてから、シオンはあっと言った。


「もしかしてさっきの褒めてくれたんですか?」

「は?」

「ありがとうございます」


 言われてソロは不可解な顔になる。


「なんですか、俺変なこと言いましたか?」

「いや別に……」

「食べないんですか? 冷めますよ」

「ああ、うん。食うけど」


 大きな匙を使って皿にとっていると、シオンがソロの前にあるグラスに酒を継ぎ足してくれた。

 そうしていると店員がまたやってきて、次の料理がテーブルにどんっと置かれる。


「おまちどうさま、名物フォルフォル焼きです。熱いので気をつけてくださいねー」


 湯気を立てるそれは結構大きくて、切り分ける用にナイフを渡される。

 シオンがいそいそと受け取って半分に切り、片方を自分の皿に取ると、もう片方は大皿に乗せたままソロの方に押しやってきた。

 シオンは思い切りよくかぶりついて咀嚼し、目を輝かせ、飲み込んでから言う。


「おいしい! ほらほらソロさんも食べてみてくださいよ!」

「本当だうまい! なんだこれ干しブドウか? 肉と果物って合うのな。あー肉汁もったいねえ、これもう手でいっていいかな」

「これもう一つ頼みます? それかなんか他の、あ、デザートとかどうですか?」

「いいぜ。けどどうせなら他のも色々食いたいよな。あと酒も!」


 店員に声を掛けて追加の注文をし、テーブルの上のものを全て平らげる。

 その間にどんどん次の料理が運ばれてきて、それらをまた二人でがつがつ食べ、次から次へと酒瓶を空にしていった。


「いい食いっぷりになったよな。昨日までのお上品さはどこいったよ」


 酒が入って機嫌よく笑うソロに、シオンは口元についたソースをぺろりと舌で舐め取って言う。


「ディアやソロさんの前でそんなの気にしてたら食いっぱぐれてしまうでしょう?」

「そうそう、食事は奪い合いってな」


 食事は奪い合うもの。

 その言い回しを聞くのはこれで二度目だ。

 一度目は昨夜、アリンガで夕食をとっていた時。

 それが何となく引っかかって、


「そうだったんですか?」


 つい口に出てしまう。

 蜜色の目が少しだけ細くなる。


「ソロさんは今まで、そうやって生きてきたんですか?」


 するとソロはちょっと皮肉っぽく笑った。


「あんたにゃ想像もつかないだろうけど、金のない人間なんてそんなもんだよ」


 嫌味なのか自嘲なのか判別のつかない口調でソロが言い、シオンは考える。

 そもそもこうして一つの皿の物を取り合うこと自体があまりないなと思う。

 実家の、屋敷での食事。

 一人一人の前に置かれた皿で、皆同じように同じ量の食べ物があって、会話はあるが静かに行儀よく食器の音は立てないように、そんなことを気にしながら口にする。

 作るのは専属の料理人で腕はもちろん一流だった。

 高級な食材が使われていて、その上見た目も美しく飾り付けがなされていた。当然味だっていい。

 それが嫌いだとか、そういうわけではないけれど、シオンは今のように雑多な感じの方が好きだ。

 賑やかで楽しくて。

 だが自分が好きだと思うこの食事風景と彼の言う奪い合いとは、状況が全く異なるのだろうなとも思った。


「ソロさんって家とか家族とかは?」

「ねえよ。いたけど子供の頃にみんな死んだ。十歳の時だったかな? 大洪水があってさ」


 それからどうしたんだろうとは思ったが、訊くのは躊躇われてシオンは黙った。

 きつめの酒を流し込む。

 喉にびりっと痺れる感じがあって、胃の中まで熱くなる。


「えらかったんですね、ソロさん」

「な、なんだよ」

「褒めてるんですよ。だってそうでしょう? 家族や家がなくなって、その年で、大変じゃないわけないじゃないですか」

「そりゃどうも、お前酔ってんだろ」

「酔ってませんよ」

「酔ってるやつはみんなそう言うんだよ。そろそろ出るぞ、宿に帰って寝ろ。明日辛くなっても知らねぇぞ」

「嫌ですよ。せっかくいい気分で飲んでるのに。あ、すみません、追加いいですか?」


 忠告を無視して、シオンは店員を呼び、まだ飲んでいない種類の酒と気に入ったらしいオレンジの香りの酒を合わせて五本も注文した。ついでにつまみのナッツと魚の酢漬けも。

 呆れたソロが言う。


「まだ食うのかよ」

「軽いものです。ソロさんも食べていいですよ」

「聞くけど、金持ちって皆あんたみたいに変わってんの?」


 ソロは浮かしていた腰をもう一度下ろし、溜息を吐いた。


「変わってるって、この世には誰一人として同じ人間なんかいないんですから、その表現はどうかと思いますけど」

「でたよ、学者特有の屁理屈みたいな反論。ああ、ちがうわかった、学者って変なやつが多いんだ」

「バカにしてますか?」

「してねえって。あ、麦酒来たぞ! 麦酒!」

「あなたすぐそうやってごまかしますよね」

「めんどくせーなー。飲むんだろほら」


 ソロが運ばれてきた瓶を取りなみなみと注いでやれば、シオンは溢れそうになるグラスの飲み口に慌てて顔を近づけた。

 そうしてソロは残りの酒を瓶ごと煽る。

 いいぞ兄ちゃんなんて声がどこかから飛んできて、ソロは口の端から流れ落ちるのも構わず、一息に全て飲み干した。

 夜はどんどん更けていったが、にぎやかな笑い声は早朝近くまで絶えることはなかった。

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