第7話 ラトメリア城
ラトメリアの王都、ルアランは話に聞いた通り、大きな街だった。
街の中心、建国当初から変わらぬ姿のままであるという大聖堂から放射線状に伸びる六つの大通り。その間を埋めるように並ぶ建物は、白い壁と赤瓦の屋根で統一され、ところどころに緻密な細工がなされている。
決して華美ではないが、そこには調和のとれた美しさがあった。
ゆえに街そのものが芸術と称される。
更に目抜き通りを突き進んだ先、小高い丘の上にそびえ立つのは白亜の城だ。堅牢な外壁に囲われた様は強固な砦を思わせたが、壮麗なその姿はやはり一つの芸術作品のようでもあった。
謁見の間に続く廊下を歩きながら、ディアは何だか息が詰まるような思いでいた。
場違いであるとさえ思わせる場所にいるためか、それともこれから待ち受ける出来事に緊張しているのか。
或いはその両方に対してか。
前を行くフェルディリカはディアに比べれば幾分落ち着いた様子だったが、それでも彼女の周りにはどこか張り詰めたものを感じた。
シオンやソロはどうだろうかと横目に見てみれば、二人とも顔色一つ変えず悠然としていて驚く。
「おどおどしないで。背筋伸ばして、まっすぐ前を見てるんだ」
囁くように言ったのはシオンだ。
ディアは言われたとおりにし、聞こえないようにそっと深呼吸をした。
やがてアーチ状の高い扉の前に来ると、フェルディリカは一度歩みを止めた。扉の脇にはそれぞれ兵士が立っていて、王女の姿を認めると、恭しく頭を下げた後に扉を開く。
高い天井に光沢のある石の床、左右の壁には大きく切り取られた窓。
そして中央、数段高い床の上に据えられた玉座。
扉から玉座までは紫色の絨毯が敷かれており、フェルディリカはその上に立つと優雅な所作で体を折り曲げ、お辞儀をした。
「ただいま戻りました、お父様」
玉座に腰かけるのは、口元に豊かな髭を蓄えた壮年の男性だ。
フェルディリカと同じ、濃い青色の瞳。
北の海に浮かぶ氷の裂け目が深い部分がそんな色をしているのだと、聞いたことがある。
冷たい光を宿したその目がフェルディリカを見据えた。
「フェルディリカ、どこへ行っておったのだ。皆お前のことを案じておったのだぞ」
「ご心配をおかけして申し訳ございません」
王の強い語調にフェルディリカは縮こまる。
するとどこか別のところから声が響いてきた。
「まあまあ姫君がご無事だったのですから、よいではありませんか。好奇心旺盛なフェルディリカ様のこと、退屈なお城の生活を抜け出し絵物語のような冒険がしてみたかったのでしょう」
玉座の後ろ、垂れ布を手の甲で払い除け現れたのは黒いローブに身を包んだ男だ。
袖から覗く腕は細く、ゆったりとした衣装に覆われていてもわかるほどに痩せている。短い髪は黒色、目は緑色、肌の色は白くてほりの深い顔立ちをしていた。
フェルディリカの話に出てきた魔法使い。
年の頃は二十代半ばといった風で、彼は玉座の傍らに立つとディア達に気づいて目を細めた。
「それよりも姫君、あなたの後ろにいる者たちは?」
「この方々は、わたくしを助けてくださったのです」
「助けた?」
「町で悪漢に襲われておる姫を、救い出してくださったのじゃ」
ディア達の背後から声が上がり、コザがすっと前に進み出た。
「なんと、そうであったか。ご苦労だったな、コザ。それからそこの者達、褒美を取らせよう。何でも望みを申すがよいぞ」
「お父様、その前に少しだけお話を」
「うん? どうした姫。そのような険しい顔をして」
フェルディリカは階段を上がり、王の前に立つ。
そして大事そうに胸に抱えていたものを布の中から取り出して見せた。
薄い円状の、不思議な銀色の輝きを放つそれ。中央部分には薄青色の石が埋め込まれ、周囲に文字のようなものがびっしりと刻まれている。
玉座の傍らで、魔法使いが怪訝な顔つきになる。
「それは……」
「これは我がラトメリア王家の墓に納められていた古の鏡、真実を写す鏡です。お父様、どうかこれで元のお父様に戻ってください!」
言って、フェルディリカは鏡を裏返し、鏡面を王に向けた。
フェルディリカは恐々と鏡を覗き込む。だが、そこに映っていたのは、何ら変わりのない王の顔だった。
愕然とする。
「そんな……」
「一体どうしたというのだ、姫」
ぞっとするような抑揚のない声で王が言った。
びりびりと肌を伝い走るような恐怖にディアは思わず叫んでいた。
「フェリカ!」
「あ」
ディアの声にフェルディリカは肩を跳ねさせ、足元をふらつかせる。
「姫、魔法使いです魔法使いを!」
シオンが言い、フェルディリカは我に返る。
魔法使いは鏡を取り上げようとしたが、フェルディリカの方がほんの僅かに早かった。
鏡が映し出した姿にフェルディリカがあっと声を上げる。
ぐにゃりと歪み、安定しないその輪郭。
「魔族!?」
魔法使いの手がフェルディリカに届いて、鏡が床に落ちる。
そのまま手首を掴まれ、強く引かれた。
魔法使いが言う。顎を挙げ、にたりと微笑む。
「姫君はどうやら御心を乱されているようだ」
緑玉の目から、すうっと光が消えるのをフェルディリカは間近に見た。
全身から力が抜ける。
フェルディリカの身体が倒れ掛かって、床に落ちる前に魔法使いが支えた。
考えるよりも先にディアの身体は動いていた。
床を蹴り、階段を駆け上る。後ろでシオンだろうか、ソロだろうか、誰かが何か叫んでいるのがわかったが、ディアは止まらない。
「フェリカ! 彼女に何をしたの!?」
魔法使いは答えず、薄く笑みを浮かべる。
ディアがそっと腰元の短剣に手で触れるが、魔法使いはフェルディリカを抱えた方とは逆の手を上げて、ディアに向ける。
どうしようかと迷うディアのすぐ傍で声がした。
「お前達か……」
玉座の王がぼそぼそと何事か呟いている。
表情のない顔で、虚空を見つめ、小さく唇を動かしている。
「お前たちが姫をそうだお前達がおまえたちがおまえ達が……!」
そして王は立ち上がると、大きく腕を前に突き出し朗々たる声で命じた。
「この者共を捕えよ! 姫を誑かし、我が国に害を及ぼさんとした罪人である!」
大勢の足音が鳴り響き、扉が勢いよく開かれる。
謁見の間になだれ込んできた兵士達に、コザの部下が剣を抜いて対峙する。だが、そこには圧倒的な数の差があった。
シオンが一歩前に出て言う。
「知ってるかい? 魔法使い。魔法というのは基本的に同時に複数使えないものだけど、世の中にはそれを可能とするものが二種類いる」
「魔王と契約を結んだ者と魔族だろう? だから何だって言うんだ?」
「君さっき二つの魔法を使っただろう。陛下を操る魔法と、姫君の意識を奪う魔法。だけどどんな高位の魔法使いであっても、魔法を使う時には印を結び、詠唱が必要だ。それなしにできるのは魔族に限られている」
話しながらまた一歩、シオンは玉座に近づく。
階段の前に立って、見上げる。
「君は魔族だ」
人の皮を被ったそいつはククッと喉を震わせた。
「へえーすごいんだな君は。けどもう遅いよ」
「そう?」
「何?」
勝利を確信し、愉悦に浸っていた魔族はシオンの反応に驚く。
階段の下に立つ男は今の状況を理解していないわけでもなく、ハッタリでもなく、本気でそう思っているような余裕のある顔をしていた。
「言っただろう、魔族。魔族は印を結ばず、詠唱もなしに魔法を使えるけど、人間の魔法使いはそうじゃない。つまり人間にとって、魔法は便利で強力なものではあるけど、発動までに時間が掛かるのが難点でね。気づかなかった?」
最後の質問が何に対するものなのか、魔族は考えかけてギクリとする。
自身が放つものとは別の、誰かの魔力の気配。
周囲に目を走らせる。
部屋全体へ押し寄せる波の中心。
謁見室の入り口近く。コザの部下達に守られながら立つ外套に全身を覆われた者。
渦巻く力が風となり、フードが脱げて隠れていた顔を露わにする。
若い人間の女だ。
見たことのある顔だった。
女は胸の高さに両手を上げて、何か文字を表すように指を折り組んで見せる。
遠目にもわかる。第四のスキル、消去と命令を表す単語の頭文字。
「………delrieet lui yer corks 今ここに満ちたる力のすべて、魔に属する者の術よ。我が声に応じ、たちどころに効力を失わせそして消え失せよ」
解呪の法。
そうだあの女は、自分が来る前に城に仕えていた魔法使いの……!
魔族は女に向けて掌をかざす。
「させるかよ」
間近に聞こえた声。
反射的に振り返りかけた魔族は突然頬に衝撃を受けて吹き飛ぶ。
いつの間にそこにいたのだろう。魔族の頬に拳を叩きこんだのは薄茶色の髪の小柄な男だ。
魔族の腕からフェルディリカが離れて落ちかけたところで、ディアが咄嗟に抱き留める。
その間に淀みなく紡がれた呪文が完成する。
「我が名はレオーネ・オタリイダエ」
ずんっと全身に圧が掛かったようになって、だがそれは一瞬だった。
膝が崩れて、床にへたり込む。
フェルディリカが呻いて、目を開ける。
「ディア?」
「フェリカ! 大丈夫!?」
「わたくし一体どうなって……」
ディアの腕から身体を起こしたフェルディリカは声を途切れさせ、ディアの肩越しに目を向けたまま固まる。
彼女の視線を追って首を捻って背後を見たディアは驚きのあまり、身をすくませた。
どろどろと垂れる皮膚を持つ異形の者。
少し離れた場所では、ソロもまた戸惑った顔をしている。
「あーあー後少しだったのになー! お前らが邪魔したせいだかんなー!」
不安定な輪郭のその魔族はくぐもった声で、まるで駄々をこねる子供のように言う。
続けて魔法を放とうとする女性を制し、シオンが問いかけた。
「土の魔族。君にひとつ聞きたいことがある。魔族は人に干渉せず、人は魔族の領域を侵さない。それは昔からの決まりごとで互いに守ってきただろう。それがどうして今こんなことを?」
「うっさいバーカバーカもうどうでもいいよ! せっかくの計画がめちゃくちゃだ!」
吐き捨てる魔族の姿が溶けるように掻き消える。
ディアはゆっくりと大きく息を吐き出し、気の抜けるような思いで瞬きをした。
誰もが動きを止めて、謁見の間は静まり返り、まるで時間が止まったかのようだった。
頭上から掠れた声が降ってきた。
「これはどうしたことだ。何があった……」
「お父様!」
よろめきながらも王は玉座に腰を下ろし、フェルディリカが駆け寄る。
「姫、わしは今まで何を……?」
王はまだどこかぼんやりとした様子で、不思議そうに辺りを見回している。
フェルディリカは王の手を握り、その場に膝をついて頭を垂れる。
「わたくしが全てお話いたしますわ。ただ少し長くなりますからその前に、まずは牢のヴァルロス大臣を出して差し上げて、暇を出した魔法使いたちに戻ってくるように手配してください。他にもまだまだしなければいけないことはありますけれど」
フェルディリカは父の顔を仰ぎ、心底ほっとした笑顔を浮かべた。
目尻には涙が浮かんでいた。
「何より皆疲れているでしょうから、少し休ませてあげてください」
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