第8話
岸野真人は肺に溜め込んでいた紫煙をゆっくりと吐き出した。
黙々と天井にのぼり溶けるように消えていく煙。
空気と同化していくその様を岸野は呆然と見つめていた。
「上の空ですね大丈夫ですか?」
そばに控えていた澄乃は尋ねる。
「ああ」
岸野はあいも変わらずの心ここにあらずといった状態。
澄乃はそんな彼の様子に少し呆れる。
「まだあの事件のことを引きずっているのですか?」
無言の肯定を示す岸野に澄乃は今度はあからさまにため息をつき呆れていることを示した。
「気になることって施設の子供たちの反応のことですたよね?確か」
あの事情聴取以来頭に引っかかる違和感、それが先日やっと解けた。
きっかけはとある事件での聴取の際の被害者遺族の反応だった。
被害者はまだ5歳の少女だった。
半年前突如として姿を消したその少女は、一週間前山林の土の中から発見された。
そしてその事実はすぐに家族にも伝えられた。
母はその場に崩れ落ち『嘘だー』と泣き叫び、父は無言のまま唇を噛み締めた。
見慣れた光景とはいえ心苦しくなる光景だ。
この瞬間だけはいつになっても慣れない。
もちろんそんな思いを顔に出すことはないが、胸の内に疼くこのわだかまりだけは消し去ることができなかった。
しばらくは何も言わず遺族たちが落ち着くのを黙って見守る。
その時脳裏にふとした疑問が湧いてきた。
それが例の施設での違和感の正体だった。
それはこれまでの被害者遺族と子供たちの反応の違いであった。
これまで多くの事件に関わってきた岸野はその数だけ人々の悲しみに向き合ってきた。
反応はそれぞれまばらで、こちらの話に耳を傾けずただただ泣き叫ぶ者、呆然とその場に立ちすくむ者、何を言っているのか理解しようとしない者、反応は様々だが、共通として彼らはこの受け入れがたい現実から目をそらし逃避する傾向があった。
これは心が壊れないための自己防衛反応の為だとか以前どこぞの心理学者に聞いたが。
それら被害者遺族の兆候があの少年少女たちには無かったのだ。
誰も彼も同様は見えたが時実早子の死を否定する者はいなかった。
それが岸野の目には異様に見えた。
施設の職員の話によると時実早子は面倒見のいい性格で子供たちからも大いに好かれまるで本当の祖母と孫のようだったと誰もが証言していた。
なら一層あの反応は不自然だ。
たいていの人間は親しい仲のものが死ぬと先の家族のように現実逃避に走ることがままある。
しかも相手はまだ幼い子供たち、それほど慕っていた院長の死を受け入れられるとは思えなかった。
いやあの事情聴取をした時はそこまで考えてはいなかったし、それ以降もしばらくは思いもしなかったが、だがあの家族を見て思い知った、この子達には驚愕や憤り不安の感情はあるものの、現実逃避の類が無いということに。
それがあの時感じた違和感の正体だった。
だがそれが判った途端新たな疑問が湧いてきた。
なぜ、あの子供たちは慕っていた院長の死をこうもあっさり認めることができたのだろうか?
しかも見知らぬ男の話だけで。
そのあまりの納得の良さが岸野には不気味に見えた。
「気に食わんな」
「ならその答えになるかもしれない情報があるのですが見ますか?」
「あっ?」
さも自分は答えを知っているような言い方が感に触り、岸野は激しく澄乃を睨みつけた。
その眼力は警察というよりはヤクザといったほうがしっくりきそうだ。
そんな岸野を前にして澄野は臆する様子もなく数枚の資料を目の前においた。
「なんだ、これは?」
「実はあのあと僕も岸野さんの言う違和感というのが気になってそれなりに調べてみたんです。これは施設の子供たちの出身地なのですが。見てみてください」
手渡されたのはA4サイズの紙が数枚入った茶封筒だった。
紙には施設の子供たちの名前とそれぞれの出身地が記入されていた。
ほんといつの間に調べてんだこいつ?
岸野は改めてそう思い、資料の不審な点に気づいた。
「この子ら、随分と出身地が違うな。この浅見雄一郎と林田恵子なんて東北と九州だぞ、どうなってるんだ?」
「岸野さん実はあの施設は意図的にある条件の子供たちを集めてたんです」
「ある条件?」
「みんな、殺人事件により両親を亡くした子供たちだったんです」
「全員がか?」
「はい。間違いありません」
「・・・・そうゆうことか」
つまりあの子供たちが死というものと対面したのはこれが初めてではなかったということか。
それであんなにもすんなり受け入れていたのか。
いや、否定しようにも心のどこかで感じ取っていたのだろう、死というものは唐突に理不尽なほどあっけなく訪れてるということを。
なぜなら彼らはそれを既に経験していたから家族を殺されるという最悪の経験で。
「しかしなぜあの施設にこうまで遺族の子供たちが集まる。出身地から見ても意図的に集められているぞ」
「さあ、僕もそこまでは、そもそも終わった事件のことをそこまで熱心に調べても仕方がないじゃありませんか」
その指摘には岸野も同意する、そうこれらは全て終わった事件だ。
自分もあの施設を出たときそう納得したはずだ。
ならあとは人々の記憶にうもれていくのが定め、今までの事件も皆そうだった。
ならば何故、自分の心は未だにざわつくのだろうか?
施設の子達に反応の謎も解けた、なのにこの胸に引っかかるものは何だろう?
「澄乃この資料、俺が貰ってもいいか?」
「ええ、どうぞ。ですけどあまりそっちばかりに気を取られないようにしてくださいよね」
「ああ」
とりあえず自分の感を信じこのことはまだ頭の中に入れておこうと岸野は資料を自身のカバンの中にしまった。
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