第13話

 一ヶ月という時間は、私にとっては随分と短く感じた。そもそもあの『箱庭』で数十年過ごしていたのだ、それに比べたら短く感じて当たり前だろう。そのたった一ヶ月の間に関わる人間は随分と増えた。まさかあの『箱庭』から逃げ出してこうなるだなんて、当時『契約』としてこの国に来たころにはまったく想像つかなかったことだ。

 中庭にベルが鳴り響く。いつものようにドアを開けてみればそこに立っていたのはメイドのラナではなく、この屋敷の主のダリルだった。微笑みを浮かべていたけれどどこか緊張しているのも伺える。身体を半身ずらせば彼はドアをくぐり中庭へと足を進めた。そして以前と同じように中庭にあるテーブルのところへ歩み寄り、ポムと一緒に作った椅子に腰を下ろす。今淹れているお茶は薬草の副産物としてできたものではなく、ちゃんと茶葉として育てたお茶だ。マチュリーとファルに手伝ってもらって淹れたお茶からはいい香りがしてくる。二つのマグカップをテーブルに持って行き、一つ差し出せば「いい香りがする」と言葉が返ってきた。

「一ヶ月、どうだった?」

 一度喉を潤してからどこか気もそぞろな様子に、もしかして村の付近に逃げた私を迎えに来たときもこういう状態だったのかもしれないと彼にジッと視線を向ける。

「一ヶ月、とても充実していたと思う」

「そうか、それはよかった」

「ルーニたちがあんな伸び伸びしているのも初めて見たし、それにここの人たちは優しい人ばかりでとてもお世話になったわ」

「彼らも君と話ができて嬉しそうだったよ」

 そうなのだろうか、と首を傾げる私に彼はそうなのだと強く頷く。そもそも彼らはいつも通りに私に接していただけで、特別に優しくしていたつもりはなかったのだと言う。まさか、と目を丸める私に彼は苦笑を浮かべた。オブシディアンにいたときの状況が余程異常だったそうだ。あれを基準に考えないでくれと言われ、渋々頭を縦に振った。

「それで……どうだろうか?」

 それは、ここにそのまま残るかそれとも……ここから出て行くか。

 ジッと見てくる彼になぜか私の口角は自然と上がった。ダリルはいつもそうだった。小さいころは私を迎えに来ると強く言ってみせたけれど、こうして大人になってここに一ヶ月置いてもらっている間彼は一度足りとも私に選択肢の強要をしてこなかった。『友人』としてのあれこれや食事については色々と言われたけれど、私が何かしたいことがあればそれに頷いたし何かをしろとも言ってはいない。

 中庭に視線を移す。周りが建物で囲まれていて、ぽかりと空いた場所にある中庭。

「まるでここは『箱庭』みたい」

 ダリルの顔が強張りピクリと身体が動いた。そんな彼に気付きつつも視線は相変わらず中庭だ。最初に来たときも自然豊かでマナも多いと思っていたけれど、私がここを使うようになってそれ以上にこの場は精霊たちにとって住み心地のいい場所へと変わっていった。

「でもオブシディアンの『箱庭』とは全然違う」

 オブシディアンの『箱庭』は大きな木が一本立っているだけであとはほぼ剥き出しの大地だった。周りに人はおらず完璧に隔離された空間。

 でもここは違う、精霊はこの場を気に入っている。この屋敷から一歩踏み出せば色んな人に出会える。何もない日々を過ごしていたときとは違い、ここは好きなだけ人の役に立てる薬を作ることができる。食事もいつだって誰かと一緒で、美味しいお菓子を持ってきてくれるメイドは私の隣で嬉しそうにそれを頬張る。時間があるときに顔を出す彼の幼馴染は色んな面白い話を聞かせてくれる。他にも執事は庭師、色んな人が色んなことを教えてくれた。

 誰一人として、私をただの『道具』として扱う人なんていなかった。

「素敵な場所を作ってくれてありがとう、ダリル。貴方って約束してくれた以上のものを私にくれたわ」

「……! そしたら……!」

「でも貴方が私に向けてくれる感情をまだちゃんと理解できていないんだけど」

「……見事に上げて落としたな」

「ごめんなさいね」

 苦笑すると彼は一度咳払いをしてグッとマグカップをあおった。申し訳ないことをしているという自覚があるけれど、こればかりは一ヶ月でどうこうできる問題ではなかった。

「だから、わかるまでここにいてもいいかしら」

 図々しいお願いだろう。これで駄目だと言われたら大人しく出て行く覚悟はある。結婚も婚約もしていないただの庶民の女をここに置いておく理由はない。マグカップに口を付けつつ彼を見上げてみると、なぜか一時停止。硬直が解けるまで待ってみようとしたけれどなかなか直らないため、軽く彼の目の前で手を振ればようやく一時停止は解除された。

「も、もちろんだ! 気が済むまで、ずっといてもらっても構わない! 他に何か必要なものはあるか? ドレスなど一着も持っていないそうじゃないか、流石に作ったほうがいいと思うんだが。メイドたちもロザリアを着飾りたくてたまらないようなんだ。それとも中庭をもっと充実させるか?」

「えぇっと、ちょっと待ってくれる? まず、ドレスはいらないかな。使う機会ないもの」

「そ、そうか……」

「あと、中庭も庭師の方に道具を借りているから大丈夫よ。必要になったら貴方に言うから」

「ああ、真っ先に言ってくれ」

「それと」

 精霊たちがここを好んでいるからこの場所に残ることを決めたのではなく、私がここにもう少しいてみたいと思って決めたことなのだ。けれど本当はヘリオドール家のことを思えばきっと私が出て行くことが正解だということはわかっている。それを選ばなかった私は本当に卑怯者で、こうやってダリルが色々と言ってくれる資格すらないと言うのに。

 でもそれを、朝食を取る前にラナに言ったらとても悲しい顔をされた。せめてダリルの前では言わないでくださいとの言葉に、これを言うべきかどうかの判断ができない私は頷くしかできない。精霊たちの気持ちはわかるのに、私は未だに人の感情に疎すぎるのだ。だから相手の気持ちにどうやって応えるのが正解なのかわからない。

 でもわからないと言ってあやふやにするのはいけない、ということはわかる。ルーニたちの気持ちに応えることはできるのだ、もしかしたらそれと同じように人に対しての気持ちに応えることもできるようになってくるかもしれない。

「私、令嬢として何も学んでこなかったから……きっと貴方に迷惑をかけてしまうわ」

「え……――っ! いや、いいんだ! すでに君が社交界に顔を出さなくてもいいように準備はしてある。そこは気にしないでくれ」

「そ、そうなの?」

「ああ。それにロザリア、君は君が思っている以上にきちんと振る舞うことができている。食事の所作も綺麗だし立ち姿も背筋が綺麗に伸びていて美しい。洗礼されている佇まいだ」

「令嬢としての基本的な振る舞いは教えこまれたからかしら……?」

 どこに『道具』として出してもオブシディアン家が恥をかかないようにと、これだけはしっかり覚えていろと小さいころに分厚い本を手渡された。他にやることもなかったため一応覚えておこうとそこだけはしっかりとしていたつもりだ。ただ貴族として必要な知識や駆け引きは欠けている。だから以前令嬢を罠にはめようとしたときあんな策しか出てこなかったのだ。

 でも社交界に顔を出さないとなるとダリルの評価が下がるのでは、という心配をしていたのだけれど彼はそもそもそんなもの気にしてはいないとあっけらかんに言ってみせた。

「一ついいか?」

「何かしら?」

「君と今までの会話からすると、まるで俺との結婚に前向きに考えてくれているように聞こえるんだが」

「……え?」

 パチパチと瞬きを繰り返している私の目の前で、ダリルの笑顔がドンドン深くなる。そういうことになるのだろうか?

「俺と一緒にいるのは嫌か?」

「嫌じゃない、だって一緒にいるとダリルいつも笑顔じゃない。見てるとこう、胸の辺りがポカポカしてくる」

「そ、そうか!」

 パッと顔が輝いたかと思うと彼はガタッと音を立てて立ち上がり、私の傍まで歩み寄ってくる。なんだろうかと首を傾げている私の傍らに膝を付き、何かを取り出してきた。

「その、女性は花をプレゼントされるのが好きだと聞いてだな」

 白や黄色、淡い色で彩られている花束からはとても優しい香りが流れてくる。私に向けらているということは、受け取ってもいいということだろうか。手を伸ばすと彼の手から私の手に花束はそっと移された。

「あら、この花束……」

「な、何かあったか……?」

 不安そうに見上げてきたけれど、そんな顔をする必要はないと軽く頭を振る。

「この花、精霊付きだわ」

「……え?」

「ほら、ここ」

 花束の中心を指差せた、小さな精霊がひょこっと顔を出した。まるで妖精のような姿形をした精霊は楽しそうに羽根をパタパタと動かしている。

「この花束って、買ったの?」

「ああ、普段世話になっている花屋を営んでいる老婦人から頂いたんだ」

「そう……その人余程この花に愛情を込めて育てたのね。愛情を込めれば込めるほどその想いに応えるように精霊が誕生する場合もあるのよ」

「そうなのか」

 小さな精霊は他の精霊たちに気付いてキャッキャと声をあげると花束から飛び立ち、近くを飛んでいたファルへと向かう。花の精霊と火を操る精霊では相性が悪いように感じてハラハラしながら見守っていたけれど、どうやらファルのほうがきちんと加減をしてくれるようでそのまま彼女たちはパタパタと辺りを飛び始めた。

「紫の瞳は、精霊を見る力が宿っているそうだ」

「そうなの?」

「ああ、皆が皆そうではようだけれど高確率で見えるのだと、文献に書いてあった。きっと綺麗なものを見抜く力があるんだろうな」

 わざわざそんなことまで調べてくれていたのか。確かに黒い髪もそうだけれど、紫の瞳を持っている人に出会ったことがない。もしかして魔法を扱える人や精霊の存在を信じている人は紫の瞳を持っている可能性もあるということなのだろうか。

「ルーニ!」

 大きな樹から鷹が翼を広げて飛んでくる。私の腕に止まった彼はジッとダリルを見据えていた。

「相変わらず綺麗な緑色の瞳だな。それに……」

 ルーニと視線を合わせたダリルは、しばらく見つめてやや首を傾げた。

「こんなに風を纏っていたかな?」

「……! もしかして、触れる時間が増えると見えやすくなるのかしら」

「それもあるかもしれないが……どちらかと言うと、俺は彼らに認めてもらった気分だよ」

 ダリルが嬉しそうな、どこかホッとしたような声色で周りに視線を向ける。マチュリーは水面から跳ねファルはさっきの子と一緒にふわふわと飛んでくる。ポムは葉を揺らし、ランははしゃぐようにダリルの傍に駆け寄ってきた。

「彼は大地の精霊?」

「そうよ、当たってる」

「よかった」

 ランの頭を撫でているダリルは性別はもちろんなんの精霊かも言い当てた。ランは当てられて嬉しかったのか、狼の姿をしているというのに尻尾を左右に大きく振っている。まるで犬のようね、と苦笑すればランはピンと耳を立てたあと私の元にやってきて鼻をすり寄せてきた。

「よかったわね、ラン」

「……ありがとう、ロザリア。ここに残ることを選んでくれて。これからもよろしく頼む……もちろん、精霊たちも」

 彼らにもっと認めてもらわなければいけないな、と言葉を続けたダリルに応えるように、この中庭に爽やかな風が吹いて木々たちは喜びを表すように揺れていた。

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