第2話
鉱山の国、というせいかこの国は緑が少ない。周囲を見渡すとでこぼこの岩だらけで景観はあまりよろしくはない。屋敷にも他の娘たちが使う整備されている庭はあるけれど、私に宛てがわれた庭は狭く剥き出しの大地に一本の大きな木が立っているだけだった。
それでも緑がないよりはマシかと、私がいる場所はいつもその大きな木の下にある腰掛けるには丁度いい岩の上。ちょこんと座ればまだ子どもの足は地に届かない。けれどそのままの体勢で腕を差し出せば一羽の鳥が綺麗に止まった。私にとっては不思議なことではなく、いつものこと。この何もない箱庭の中で唯一の癒やしだった。
「こんなところで何をしているんだ?」
そんなとき唐突に聞こえてきた声に驚くことなくゆっくりと振り返る。今日は客人が来るとオブシディアンの主が執事に言っていたのを別の子が聞いていた。だからその客人なのだろうとは思っていたけれど、それにしては随分と小さい。相手は大人だとばかり思っていたけれど、とジッと見ていた私に声をかけてきた人物はズンズンとこちらに歩いてくる。
「ここの子か?」
「そうよ」
「こんな寂れたところで一人で?」
「だってここが私の庭だもの」
「ここが……?」
木が一本生えているだけの場所が、とでも思ったのだろう。そう思われたとしても構いはしない、それも事実だ。歩いてきた男に気にすることなく鳥に視線を向ければ、彼はなぜか回り込んできて正面に立つ。
「……他に姉弟はいるのか?」
「さぁ。私は全体を把握しているわけではないからわからない」
「そうか……一人でつまらないだろう?」
「そうでもないわ」
もしかして彼は客人の息子だろうか、ならば訪ねた屋敷の隅で子どもが一人いたのが気になったのかもしれない。ここに来て人とまともに会話をするなんて久しぶりね、と思いつつ別につまらなくはないからそう素直に言葉を返しただけなのに。彼はそれを強がりだとでも思ったのか、複雑そうな顔をしていた。同情されるのは好きではない、だからもう一度「そうでもない」と言葉を繰り返し鳥に視線を向ける。
「……一人はつまらなくはないけれど、この場所はつまらない」
「……そうだろうな。向こうの中庭は綺麗に整備されていた。そっちには行かないのか?」
「向こうの立ち入りは許可されてないの」
「どういう意味だ……?」
「そのままの意味よ」
私が許されているのはそこの小屋のような家と、この殺風景の庭。確かに景観は悪いけれど住むには別に不便はない。ちゃんと衣食住はある、孤児院にいたときのように小さな子たちの面倒を見る必要もなければ大掃除に借り出されることもない。食事を取り、庭を見る。そんな毎日は、確かに刺激は足りないのかもしれないけれど。
「仕方がないわよ、ここは『箱庭』なんだから」
「『箱庭』……?」
「そう、荷物を置くための『箱庭』」
彼は更に顔を歪め、唇をギュッと噛み締めた。何かを言おうと口を一度開いていたけれど慰めの言葉が出てこなかったのだろう、再びギュッと口は閉じられ視線は私の腕に止まっている鳥へと移る。
「君のお友だち?」
「そうよ、かわいいでしょ」
「どちらかと言えばかっこいいな」
「男の子から見たらそうなのね」
私はこの目がくりくりっとしているところがかわいいと思ったんだけど、彼はその鋭い目がかっこいいと言う。同じ鳥なのに見方が違うだけでこうも印象も変わるのだと知り、少し面白かった。
彼は撫でていいか聞いてきたけれど、その返答には困った。だってこの子は私以外の人間と触れ合ったことがまったくない。もしかしたら嫌がって暴れるかもしれないし、撫でた手を怪我することもあるかもしれない。一応、やめておいたほうがいいと告げれば彼は苦笑しながら伸ばしていた手を引いた。
「……ねぇ」
「なんだ?」
「この子、どんな風に見える?」
「……? 普通の、かっこいい鷹だけど」
「……そう」
こんなにも興味を示してくれた人に初めて会ったから、もしかしてとは思ったけれど。でも少しだけ期待はずれで肩を落とした。別に彼が悪いわけじゃない、彼の目は普通だったということだ。
でも落ち込んだ私を気にしたのか彼は屈み顔を覗き込んできて「どうした?」と心配げに首を傾げてきた。初めて会ったのにここまで人の心配をするなんて、きっと優しい人なのだろう。
そんな人にならば、言ってもいいかもしれない。多分これから先出会うこともないだろうし、子どもの頃の記憶なんて大人になればきっとあっという間に忘れてしまう。一度鳥と目を合わせ、その子に頷いて口を開く。
「私には、この子に綺麗な緑色のオーラが見える」
「え?」
「……この子、精霊なの」
彼の目がまん丸になり、もう一度鳥に視線を向ける。この話をオブシディアンの家の人間にしたこともなければ、孤児院でしたこもとない。私がいつもこの子を連れていても周りはいつも「なんだ鷹か」と言うだけだったから、そのとき誰もこの子が精霊なのだと気付いていないのだと知った。
本当のことを知って、この子はどんな反応をするのだろうか。そんなわけあるかとバカにするのだろうか、それとも気味が悪いと顔を歪ませるのか。黙って彼の様子を見ていたら、彼はどちらの反応もせずただジッとこの子を見ていた。
「……精霊? 本当に?」
「そうよ。普通の鷹にしか見えないだろうけど」
「すごいな、精霊って本当に存在していたんだ。書物で読んだことはあったが見たことがなかったんだ。ということは君は召喚士?」
なんだか想像していた反応と全然違う。そんな反応されるとは思っていなかったから、逆にこっちが戸惑ってしまう。ついでに聞いたことのない単語も言われて頭の中は混乱していた。
「召喚士? なにそれ」
「精霊を扱う人間のことだよ。君が召喚したんだろう?」
「違うわ。召喚なんてことしたことない。この子がいつも私に寄り添ってくれるの」
「そうなのか?! 精霊に関しては資料が少ないからな……そういう場合もあるのか……」
少し近寄っても? と聞かれたから取りあえず小さく頷く。この子が嫌がらない限り大丈夫だとは思うけど、彼はこの子の身体に穴が空くんじゃないかなと思うほどずっと見ている。
「う~ん……確かに、ほのかに眼の辺りが緑色のような……」
「当たってる! この子本当は眼が緑色なの!」
「そうか、当たってよかった」
彼の笑った顔を見てハッと我に返り、持ち上げていた手をゆっくりと下ろす。ほんの少しとはいえ精霊の特徴である色を見れた人に出会ったのはこれが初めてで、嬉しさのあまりに少し興奮してしまった。ちょっと恥ずかしい、と軽く咳払いをしたら彼は楽しそうに笑顔を浮かべた。
でも彼は何かに気付いたようにハッと息を飲み込むと、笑顔を引っ込めて真顔になる。真剣な眼差しにまるで内緒話をするかのように出てきた声はさっきよりも小さい。
「その話を誰かにしたことは?」
「ないわ。だってきっと、利用されてしまう」
「よかった……そう、君の言う通りだ。安心してくれ、俺は誰にもこのことを口にしない」
「……ありがとう」
よかった、私の勘は当たったのだとホッと息をつく。もしかしたら私にはこう言っておきながら、彼が周りの大人に言う可能性もあるけれど今はこの真っ直ぐな目を信じたいと思った。
彼は固い地の上で膝をつく。痛くはないだろうかと心配したけれどそれはあまりにも様になっていて、孤児院で小さい子たちに読み聞かせていた絵本に出てくる王子様のようだった。実際彼は王子様ではなく、どこかの貴族の息子なんだろうけれど。何をしにきたのか、それともこの国の人かもわからないけれど私には知りようがない。
そんな彼が鳥を止めていない空いているほうの私の手を取って、ギュッと握ってきた。
「君は将来、どうするんだ?」
私はまだ子どものなのに、どうして不確かな将来の話をしてくるのだろうと首を傾げたけれど。
「わからない。でも、そのときを待つだけ」
「そのとき?」
「そう」
それはきっと、オブシディアンの娘として『道具』にされるとき。でも今それを言ったところで彼を困らせるだろうから、そこは口を噤む。
同じようにギュッと私よりも少しだけ大きな手を握って、真っ直ぐに見つめる。碧眼は光に当たってキラキラとしていて、まるでこの子の眼のようだった。
「私が望んでるのはたった一つだけ」
「……それを聞いてもいいか?」
「『自由』が欲しい」
孤児院でもなく、こんな『箱庭』でもなく。腕に止まっているこの子が大空を自由に羽ばたけるような場所に、一緒に行きたい。誰にも何にも強いられることのない、物として扱われない場所が欲しい。
いいや、「欲しい」だなんて生ぬるいことは考えていない。いつか絶対、そういう場所に行くのだと決めてある。これから先『道具』として使われたとして、きっとそのあと『道具』は捨てるのだろうからそのときを狙っている。だから今はただひたすらそのときを待っている。
すると彼は私が握ったとき以上に、更に手に力を込めてきた。しかも私が痛がることがないようにと絶妙な力加減で。
「俺が必ず君の望みを叶える」
「え……?」
「俺はまだ子どもで非力だ、今ここで君を連れ出すことはできない。けれど大人になり力をつけたときは、必ず君を迎えに来る……どうだろうか」
嫌なら断ってくれても構わない、と言ったわりには顔は少し悲しげだ。ここで断ったら彼はそのまま落ち込んでしまうかもしれない。
でも彼はどうして、初対面の私にそこまで言えるのだろうか。可哀想な子を放っておけない性格なのだろうか。それにしても、だからと言ってそんなこと簡単に言ってしまっていいのだろうか、貴族の息子が、そんなこと。
返事に困っていると彼の肩はドンドン落ちてきた。どうにかしなきゃ、とは思ったけど焦って適当なことを口にするわけにもいかない。ただ彼の手をギュッと握って、どうしようと必死に答えを出す。
だって人は簡単に忘れることができる。彼が大人になったとき、このやり取りも忘れているかもしれない。
私はそんな不確かなものに頼りたくはない。それならば自力でなんとかしたほうがいいに決まっている。幸いにも私には精霊がついている、この子たちの力を借りることだってできるのだから。
「……迎えに来てくれる?」
ごちゃごちゃ考えたあとに出てきた言葉が単純で、自分でも笑ってしまった。そんなこと言おうとは思っていなかったのに、まるで彼の言葉に期待しているようだ。彼の下がっていた眉がパッと上がり、それと同時に勢いよく立ち上がって今度は両手で私の手を握ってきた。
「もちろんだ。待っていてくれ、必ず迎えに来る。約束する」
「……わかった」
「俺は……俺は、『マルス』だ。君の名前を聞いてもいいか?」
「……私は『ユノ』」
ここで素直に名前を教えずミドルネームのほうを教えた。彼が約束を忘れてしまったときのために。それに、きっと彼のほうも本当の名前じゃない。
そんな子ども同士のたった一度の出会いで、小さな約束だった。私はその約束に期待はしていなかった。きっと彼は忘れる。私が子どもの頃に出会った人は彼だけだったけれど、彼は私と違って色んな人に出会っただろうから。もしかしたらあのあとオブシディアンの他の娘とも会っていたかもしれない。そんな色んな出会いの中で、数分も満たない出来事を覚えていられるだろうか。
だから本当に驚いたのよ。契約のためとは言え、覚えてもいないだろうに彼は本当に迎えに来てくれた。私が『自由』になるための手助けをしてくれた。
マルスは覚えていなくても、私にとってあのときの『約束』は十分に果たされたものだった。
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