ep1[6/7]

「―—……あー。腹減った」

 ジャック・アウト切断。薄らと瞼が開く。

 バイタルサインに連動して最適なリクライニングを作り出すジャック・イン没入用チェアがゆっくり背もたれを立てると、後頚部のポートに繋がれていた電極トロードバンドはビープ音と共に口を広げて僕を解放しチェアに格納されていった。

 と数時間ぶりのご対面だ。

 部屋は、窓の外から差し込んだ夜の明かりによって支配されている。机の上に置かれたスマートフォンに手を伸ばした。

【戻った? 飯行かない?】

 すぐに既読、返信が来る。

【とっく お前、奢れよ。多く貰ったんだろ?】

【さあね】

【準備が出来たらドアを叩くからさっさと来いよ】

【あい】

 窓を開けた。アパートの二階というありふれた一般庶民の雑踏。すえた匂いがするのは通りが古臭い商店街に面しているからだ。

 風が冷たい。外はだいぶ冷えているらしい——。

 身支度を済ませてデジタル時計に目をやると夜七時半を回ったところだった。ゴンゴンという安っぽいスチールドアのノック音が部屋に響き、あい、と応えて玄関に向かう。靴を履き、ドアノブに手を掛けて背後に振り返る。

「にゃあ」

 部屋には僕しかいない。だからテーブルの上に置かれた、白い招き猫のプッシュ・ア・ハンズ・アップ、

カイト、何ボサっとしてんだ。さっさと行くぞ」

 カギを開けた音。にも関わらず僕が出て来なかったのでリョウは痺れを切らしてドアを開けた。現実世界こっちでのこいつは、背が高くて無駄に顔が良い。スクールカーストの天辺ってやつだ。

「んだよプーさん、で素早く動けても金にならないよ?」

「やっぱ多くもらったんじゃねぇか。ゴウさんも見るとこ見てねぇな」

 ―—運び屋ミュール

 僕と綾は、複雑な過去と構造を、服の下に隠して生きている。

「気軽に女と寝れやしない」綾は一丁前にそんな事をうそぶく。「お前、顔は女みたいだからワンチャンありかもな」「やめとけ、気持ち悪い」

 イナリ通りを抜ける。見捨てられた街にしては風情のある路地で、街頭の下に垂れた提灯の連続が温かみのある一直線を作っている。店に着いた。商店街のアーケードにある中華料理屋・叶和圓イエヘユアンが行きつけだ。

「あ、財布忘れた」

「綾。それ通用しないよ」

 鼻腔をくすぐるのは香ばしい豚肉の香りと匂い立つ甜麺醤テンメンジャン。薄らとした飴色にコーティングされたキャベツとピーマン——回鍋肉だ。この店はとにかく料理が美味い。そして安い。けれど綾にとっては別の利点もあった。タバコを吸っても店の大将オヤジが咎めないのだ。

「けど、こんなもんはさ」

 綾は紫煙を吐きながら言った。

 カプセルとして飲み込んだ抗体ナノマシンは、約一年の間体内で活動する。ウィルスをはじめ身体に害を及ぼすと判断された物質を検知し分解するだ。実装当初はアルコールやニコチンを無害化してしまうという初期不良が確認されて——所謂アナログドラッグと呼ばれる違法薬物ドラッグにも同様に無害化が発生し、これが「電子麻薬資本主義デジタルドラッグキャピタリズム」の狼煙となった。

 無害化に至らなかったとしても、違法薬物ドラッグを使用するとナノマシンがそれを検知し、紐付けされたユビキタス・ネットワークIDを介して警察に通報されてしまう可能性があるのでアナログドラッグは誰もやらなくなった。勿論、今こうして対面で堂々と行なわれている未成年者の喫煙行為だって例外じゃない。けれどブーゲンビリヤは、そんな些細な事に構っているほど愚かなAIでは無かった。

「―—あっそう。じゃあ吸わないきゃいいじゃん」

 チッチッチと箸を振る。甲の上に顎を乗せて、

「でもな。自由や、現実に生きてるって事を実感する為には、こんなも必要なんだよ。泣けるだろ?」

「泣けるかよ」

 けれど確かに、この現状は、まるで逆転現象だ。そしてそれがお得意様富裕層達にとってのイルミナシオンデジタルドラッグだろう。僕も、叶和圓イエヘユアンの回鍋肉と白米を交互に口の中へ入れる度に思う。

「ほんと、電子デジタル回鍋肉があれば良いのに」

『―—今朝、新日本陸軍発足一周年を記念した大規模な観兵式が朝霞訓練場で執り行われました。——観兵式には、陸海空軍隊員約五◯◯◯名、車両数約三五◯両、航空機約七◯機が参加し、市川内閣総理大臣による観兵を受けました。——一際注目を浴びたのが、数ヶ月前に配備が始まったばかりの人型特殊車両ロボットマン・マシンによる行進で、』

 入口付近に設置された店内テレヴィジョンがニュースを続けていた。綾は、背後にある音源へと無言のまま振り返ると、背もたれに肘を掛けながら冷めた表情で見届けていた。

『——二年前に、ロシア軍による東部地域への戦術核攻撃によってウクライナ戦争は事実上の休戦状態に入りました。——我が日本国では、ロシア軍の比類なき蛮行を厳しく非難すると共に、世界戦争、つまり第三次大戦の蓋然性が深刻なレベルまで高まっているとした国連の発表を受け、——将来想定される最悪の事態に対応すべく憲法第九条の改正が行われ、自衛隊の軍隊への格上げが行われました』

「戦争、始まるのかな」誰に言うでもなく僕は呟いた。綾はテレビを見たまま「くだらねぇよ。それに、戦争ならもうとっくに始まってるぜ」

 そう言ってテレヴィジョンから背を向けた。

「電子麻薬戦争だ」


 金持ちは壊滅的にセンスが悪い。時代遅れのバウンスとサイトランスで脳ミソが腐りそうだった。その日の深夜に、ナイトプールは僕を「ダブルーム・レイヴ」へと連れ出した。「そこでイルミナシオンを使ってみよう。サマー・オブ・ラヴが嘘じゃないならきっと楽しい事になる筈だ」

 国内のコミューンが主催するダブルーム・レイヴはユビキタス内に設置された特設会場、アンダーグラウンドらしく郊外の巨大倉庫にあった。開場は夕方六時、最後のアクトは明後日の早朝まで続く。エントランスをパスして会場に入ると既にアクトが始まっていた。テクノだった。

 僕らは始めフロアの後方で踊っていた。そこからは多くのオーディエンスが見えた。複合現実ダブルームを活用したライブイベントは広く普及している。ユビキタス・ネットワークは次世代通信規格・CUEキューによって実現したクラウドサービスで、デジタルツインやミラーワールドを内包するメタバース空間を用いたポストインターネットだ。そして、ネットワーク内で発生する全てのトランザクションにブラクトチェーン技術を適用させる事でサイバーセキュリティを完璧なものにした。

 ニウロウェアは、ユビキタス・ネットワークという―—メタバースを基軸とした電子プラットフォームを視覚的・触覚的に認知し、実際に存在する物のように処理するための——「ニューロンの装飾品」だ。アバターという言葉も現代では二つの意味を持っている。一つは従来通りの自身の分身となるキャラクターを指す言葉で、もう一つはユビキタス・ネットワークを知覚するためのが生むメタバース処理用の内部モデルの事だ。

 内部モデルと座標系。これは自分の身体、そして外界に存在する全ての物体、あるいは事象と言った概念的な存在を、三次元的な座標系として処理する事で知覚するという皮質コラムに起因する仕組みだ。

 脳は、グリッド状のオブジェクトとして物体を認識し、処理している。物体に座標系を与え、その座標系がどんな質感か、どんな動きをするかを予めシミュレーションして学習し、内部モデルを作り上げる。この構造は「電子世界に没入ジャック・インする」という長年のロマンと、そして「電子ネットワークを可視化して実際に知覚する」というを実現する上で優位に働いた。

 電脳野。つまりニウロウェア。

 脳の可塑性を最大限まで活かした発想。ナノマシンを用いる事で生み出される大脳新皮質内の新しいモジュール。

 ——サイバースペースを感じとるための感覚中枢だ。

 僕らの脳は物質世界を知覚する上で「意識」を生む。なら、電子世界を知覚するために生まれた「もう一つの意識オルタナティブ」はアバター分身と呼ぶに相応しいだろう。

 僕らはユビキタスの中で、現実でもそうであるように、アバター通じて五感を感じ取る事が出来る。光景も、質感も、この空間に充満している音楽も——ナノマシンと結合したニューロンを介して直にアバターへとサウンドが流し込まれてくる感覚は、現実のそれとはまた少し違った快感を齎らしてくれる。まるでサウンドが空間をぶっ叩き、バリバリと地鳴りを起こし、そのスピーカーに全身を預けてゼロ距離からの砲撃で粉々になったような、この高揚感だ。

 どんなハイエンドヘッドフォンでも再現出来ない。今の僕は、サウンドで全身が波を打っているあの感じだ。

「音は空気の振動なんだな」

 僕がそう言うとナイトプールは隣でニヤリと笑った。そんな感じで生身も質量ゼロも、ダイバーシティ多様性ここに極まれりと言った具合にみんな思い思いの姿でレイヴを楽しんでいた。時刻が午前零時を回った頃、ナイトプールは「ちょっとチルしたい」と言ってフロアを出た。僕らは倉庫裏の休憩スペースに行き、ゆったりと談笑しながらコンビナートの幽玄なシルエットを眺めていた。その後ろには東京メガストラクチャーのネオンが、不夜城が浮かび上がっている。

「プーさん、お前はYの事嫌い?」

「ああ、嫌い」

「だよね。オレもそう。けど、パトロン金づるとしてはいい奴じゃん」

「だな」マンドレイクを、僕らはそのグラフィックスを手のひらに広げて、「お前、は初めてだろ?」

「ショボいマウント。お前もでしょ? このドーテイが」

「お互い様。じゃ、さっさとキメちまおうぜ。おらワクワクすっぞ」

 そして飲み込んだ。

 即効性だった。ニウロウェア内のイルミナシオンレセプターが高速で刺激される。瞬間に七色の閃光が走り、そのエコーがゆったりとしたモーションブラーの尾を引いていく。幻覚と高揚感。自分たちの商品に手を付けたという背徳感。それらが最適に混ざり合い、僕らは僕らの商売の素晴らしさを身を持って理解した。

「「ダァアアアブDUB」」

 

 ユビキタスへジャック・イン没入する時に見るこの幻覚のようなビジョンは、意識が電子世界に入り込む瞬間のトリップ幽体離脱で、意識をアバターにバトンタッチする際の擦り合わせによって見るものらしく、時間にして数秒の出来事の筈なのにコンディションによっては数時間のようにも感じられる事もある。もちろん、いつも夢を見るとは限らない。

 初めて夢を見た時、そこに現れたのは桐谷だった。

 桐谷は僕らと同じ施設で育った数少ない親友の一人だった。ストロベリーフィールドと名付けられた孤児施設だった。桐谷は僕よりも頭が良くて、運動神経も良くて、社交的で。どうして僕らがあんなに仲が良かったのか。今となってはよく分からない。

 クリスマスを過ごした次の朝には、桐谷は僕らの元からいなくなっていた。新しい親が見つかったんだと聞かされた。神様が桐谷を連れて行ったんだと思った。

 コール音で目が覚めると、ネオンが支配するビビットな部屋はエコー反響で充満していた。死ぬほど鬱陶しい。ベッドから起き上がり伸びをする。こうする事でリップシンクのようにゲーム内の感覚が馴染んでいく。

「あれ?」

 いつもならケイスケが飛びついてくる。——のに、部屋にはケイスケがいない。おかしい、彼はここにしか存在しないし、ここでしか存在出来ないのだから。死と言うディティールも持ち合わせてはいない、

「ケイスケ、どこ?」

 問いかけが、コール音に飲まれていく。

「ここだよ。櫂」

 人の声が走った。聞き覚えのあるものだった。

 摩天楼を映し出す壁一面の高透過ガラスの前で、背を向けて立ち尽くす人影があった。ゆっくりと振り返った。それは桐谷だった。

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