電子回鍋肉憂愁

ep1≫DUB ROOM

ep1[1/7]

 ぶるるるる、ぶるるるる。

 コール音で覚醒した。けれど鼓膜は静止している。音の波がシェイクしたのは脳味噌そのものだ。

 むくりと起き上がり、高透過ガラスから差し込むビビットピンクに僕は目を細めた。

 ―—電子東京ミラーワールド

 窓外には、点滅する一三本の超高層ビルディングが競い合うように聳えている。

「まぶしっ」

 ―—問題、

 は何色?

 答えは黒だ。つまりスノウ・クラッシュを起こす砂嵐ブリザードの灰色はアナログ放送と共に死滅した。

 ―—ピンポーン。

 虚無な自問自答に正解する。

「ふう」

 けれど、それが何色かなんて今更どうでもいい。何故なら巨大構造物メガストラクチャーの怪しげなネオンが染め上げた空も、本来真っ白だったはずのマットレスも——、毒々しい反射光で淫靡なを帯びているからだ。

「にゃあ」

 ネコの鳴き声だ。それはベッドに伸ばした足の先、捲れたシーツの上にいてごろりとお腹を出している。そしてよりも可愛げがある、

「よしよし、いい子いい子」

 抱き寄せて頭を撫でると、薄紫色の声を上げながらかくんと反対側に首を倒した。

 その上下反転した瞳の先にはコの字型のサイドスタンドがあって、円形の非接触充電器とスマートフォンがセットされている。

 ぶるるるる、

 未だ鳴り止まないコール音は悪質業者のそれだ。うっさいなと思いつつも抱きかかえたまま右手を伸ばした。

「あい」

『ブギー、仕事だ。隣の部屋で待ってるからさっさと来いよ』

 そして愛想一つなくぶつりと途切れる。腹いせにレトロスペクティヴをマットレスへ投げる。ぽす、と沈み、天体が重力で時空を捻るみたくシワを作る。見届けて、至福の時間に戻る。

 気分転換にと塗ったミントグリーンのネイルカラーはどうやら彼のお気に召したらしい。内部モデルと座標系によって再現されたアバターの指先。ペロペロと舐め回され、その度、ザラついた触覚が生暖かい体温を交換する。

「なんだよケイスケ、お腹空いたの?」

 けれど。と思う。望みの物はない。何故なら、この世界バレエゲームに食事は実装されていないからだ。

「待っててよ。いつか上海蟹を食わせてあげるから」

 ふらりと立ち上がりつつ彼をベッドに降ろした。でも離れると急に名残惜しくなってしまうもので、そう思ってもう一度頭を撫でた時、サイドスタンドの上に置かれた丸い卓上ミラーにアバターの顔がきらりと反射した。

 黒いミディアムのセンターパートに凛とした端正な顔立ち―—、メイキングにはあまり時間を掛けなかったけれど、その割に気に入っている。

 これがブギーという僕の顔イデアルだ。

「インベントリ」

 音声入力ボイス・インプットはプロンプト・エンジニアリングの延長線上にある。はじめに言葉ロゴスありき。アバターの内部モデルを介して電子世界メタバースの座標系に触れる。空中に召喚された3Dホログラフィックスを指でスワイプ。オブジェクトがリボルバーのように回転し、カチリと止まり、仕掛け絵本から衣装スキンが飛び出す。——黒いバイオスキンスーツ。名のある国内ドメスティックブランドとコラボレーションした限定仕様。

 オブジェクトを指で弾く。身体テクスチャ光線スキャンが上下して早着替えが終わる。生体素材バイオマテリアルのしなやかな感触、タクティカルグローブの右手。結んで開く。ジャストフィットだ。

「見てみてケイスケ。かっこいー」

 次いで、ベッドの小脇にこしらえられたハンガーラックを見た。収納用具という認識じゃ不充分だ。では、任意のアイテムをホログラム表示する事でプレイヤーのささやかな自己顕示欲を満たすための装置ガジェット——いいや、それは現実と大差ないかもしれない。

 フードパーカーの背中に描かれた「FLATLINEトップランカー」の文字は、融解した金属のアルファベットを冷やして、そのドロっと広がった表面積ごと再研磨したかのような光沢を放つサイバー調のタギングで表現されている。市場価値が日本円リアルマネーと等倍の新円ニュー・エンでも一七万はしたっけ。有名なグラフィックデザイナーが手掛けた一点物のトークンだ。

 僕はそれをわざと音を立てながら羽織った。そうすれば思わずニヤけてしまえる。つまりこの細部再現性度ディティールが最高、

「いいね」

 自分のテンションが上昇したことを素直に認め、そのままにステップを踏み、部屋の出口へと向かった。指紋認証のドアロックを解除して振り返ると、震えるようなネオン・トーキョーを背に彼はのびのびと毛づくろいをしていた。

「行ってくるねケイスケ。いい子にしてるんだぞー?」

 にゃーん。

 そうして僕は毒々しい部屋を後にした。

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