17 : アレク (Convened)



 あの悍ましい一夜が明けた後も、街は引き続き大混乱の様相を呈していた。


 命が助かったという事実に喜んでいる人たちも、やがて自分達が失ったモノの多さを自覚していく。

 そこで大きな暴動が起きないよう統率を執ることはとても困難を極めるだろう、とアレクも覚悟をしなければならなかった。


 殆ど睡眠なんてとれていない。

 いなくなってしまったカサンドラの事を思えばいてもたってもいられず、焦燥に身を焦がされる想いである。


 だが自分の知人、屋敷にいた者達が無事なのかという問題はすぐに確認しなければいけないことだ。


 学園内に避難してきた者達の中には、レンドールの館に務めていた使用人はいないようだった。

 馬車で三十分以上もかかる遠いこの学園に、屋敷の人間が首尾よく駆け込めたとは思えない。

 別の場所に逃げ込んだはずだ、と自分に何度も言い聞かせる。




 国王や王子、シリウス達が健在なのが救いだ。

 聖女という希望の存在も多くの市民にとって救いとなっているだろう。




 徐々に、被害の全容が明らかになってくる。

 


 兄であるアーサーの元には、多くの報告がひっきりなしに上がってくる。

 情報が正確であるかどうかの判断はつかないが……

 しばらく兄と一緒に行動していると、耳を疑いたくなるような話ばかりが飛び込んでくるのだ。


 報告の中にはジェイクが重傷という話もあったし、ダグラス将軍が意識不明だという話も。

 その他には見知った人間の死傷者の報告が上がっていないのが幸いか。


 だが当然レンドールの屋敷がどうなったのか、カサンドラが見つかったのか、なんて話は皆無だ。


 不安が一気に駆け巡り、アレクは一度屋敷の様子を見に行くことにした。

 そもそも、「アレク」が兄たちの傍にいたって出来る事は限りなく少ない。

 むしろ邪魔になるだけだ。





 大勢の人が命や健康を奪われたのだろうということがありありと伝わる、凄惨な瓦礫の街。

 その中を掻き分け、まずは自分の知る限りの者が無事なのか、と。

 疲労困憊の身体で駆けずり回り、皆の安否を探るために動き出す。


 アレクだけではない。

 自分の家族、恋人、友人――暗黒が払われた眩い朝陽の下、それぞれが大切な人達の無事を願って体を休めることもできなかったのである。





 ※






 見慣れた街並みが変わり果てた姿になっていることに動揺が抑えられない。

 だが確実にこれは現実なのだと思い知らされる……


 悪魔に蹂躙された街。


 今まで自分は数え切れないほど同じような経験をし、同じような景色を目の当たりにしてきたはずなのに。


 改めて、もはや世界が巻き戻る事無く「現状」がそのまま一日一日積み重なっていくだけなのだと思うと険しい表情になってしまう。


 逆行の記憶を誰よりも畏れ、そして諦めていたはずだ。

 だが自分の全く知らない現実に足を踏み込むことが、怖いと思ってしまった。

 もはや予定調和など存在しない、無かったことには出来ない、やり直すことも出来ない――現実が押し寄せてくる。

 

 世界は不都合な現実を無かったことにしてくれることは、もうないのだから。



「……アレク様、ご無事でしたか!」


 半壊したレンドールの別邸を何とか補修しようと動き回る人影の一人が、アレクの姿を驚愕の視線で凝視する。

 初老の家令、フェルナンドがよたよたとした足取りでアレクの前に飛び出してきたのだ。


「皆大丈夫だった?」


「はい。

 怪我をした者こそあれど、先日館にいた者全員の安否の確認はできております」


「そう、それは良かった」


 身近にいた人が、突然いなくなってしまうなんて……もう嫌だ。


「アレク様方のお姿が見えないので、動ける者が手分けをして探しておりました。

 屋敷へお戻り下さり、私も安堵いたしました。

 ……ところで……


 お嬢様はどちらへいらっしゃるのでしょう」


 アレクが姉を一緒に連れ戻って来たと信じ切って疑っていない。


 まさかカサンドラを置いて一人で帰ってくるなど、という家令の絶対的なアレクへの信頼を感じる。

 だが、だからこそフェルナンドの言葉がアレクの心に致命傷に近い威力をもって突き刺さるのだ。



「姉上は……こちらにお戻りではない、のですね」



 俯き、そう声を漏らすしかない。


 分かっていたことだ。

 あの時忽然と姿を消し、そして真っ白な世界を照らしてくれた彼女が……まさか皆の傍から離れた上、自分の足で自宅に戻って来たなんてありえない事だ、と。

 もしかしたらという一縷の希望があったのは間違いない。

 しかし今や「もしかしたら」という微かな希望さえ、呆気なく絶望に踏みつぶされてしまったのである。


 分かっていたこととはいえ、希望が潰えて悲しくないわけがない。

 掌で口元を覆い、顔を伏せてアレクは感情が周囲に流れでないよう必死で我慢する。


「……アレク様?

 と、仰いますと……まさか。お嬢様は」


 完全に消沈した様子のアレクを眼前にし、フェルナンドは瞠目してその場に硬直し立ち尽くす。

 家令――執事、使用人たちを監督する立場である彼はどんな時でも沈着冷静な男性だった。

 口数は少ないが、細身ながらも威厳がありレンドール別邸の管理を一手に引き受けていた聡明な人物だ。


 こちらの言わんとすることを即座に悟り、わなわなと全身を震わせる。


「畏まりました、アレク様。

 お嬢様の捜索を継続させます。

 あのようなとんでもない災禍が明けて間もないのです、お疲れでしょう。

 どの部屋も完全に無事とは申しあげづらいのですが、どうかしばらくお休みになって下さい。

 すぐに案内させましょう」


「……いや、大丈夫。悠長に休んでいる暇は無いからね。

 とりあえず必要な人たちに現状を報せないと……。

 レンドールにいらっしゃる侯爵方もご無事か心配だけど、馬は?」


「申し訳ございません」


 フェルナンドは首を横に振る。

 チラと厩舎があった辺りを目で追ったが、とても無事な馬が残っているとは思えない有様に言葉を失う。

 魔物達の標的は人間であったが、その人間の恐怖を煽るように建造物を逐一破壊して”遊んでいる”ように見えた。

 そのせいで標的ではない動物たちまで巻き添えになってしまったことに今更憤りが湧いてくる。


「騒ぎに気付き、馬の世話をしていた者が何頭か連れ出していたようです。

 ……全滅と言うわけではございませんが……」


 満足に遠出できる状態ではないと言う事だろう。


「分かった。

 侯爵がご無事なら必ずこちらに使いを向かわせるはず、話はその時かな。

 じゃあ、現状レンドール家の者で命を落とした者はいないという旨を陛下にも伝えないとね。

 皆が無事と分かってホッとしたよ。

 きっと陛下も、一人でも多くの人が健在ならお喜びになってくれると思うから……」


 レンドール邸の雇った私兵たちは思ったよりも優秀だったのだろう。


 ――カサンドラはアーサー王子の婚約者なのに自分の立場の自覚に乏しかった。

 危険が現実味を帯びていたこともあって、邸内外に護衛などを増やしたタイミングなのが幸いしたと思われる。

 魔物と渡り合える人間が多数いたことで、使用人達も何とか逃げ延びる事が出来たのだろうが……


 話を聞いてみると、少し離れた場所に建つ教会施設に皆で駆け込んだのだそうだ。

 聖アンナ教の名を冠する場所であれば少しは魔物を遠ざける効果があるのではないかとの事だったが、その判断は正しかったようだ。


 教会には魔法を使える魔道士もいたらしい。

 数名の魔道士で全ての魔物を斃す事は出来ないが、彼らは教会内に逃げ込んできた市民達を懸命に守ってくれたのだ、という。

 魔物があまり近づきたがらなかったのかどうかは混乱の最中では分からないが、お陰でこの辺りの人間の多くは無事だったのだとか。



「アレク様」



「――何?」


「お嬢様はご無事でございましょう。

 気を失っていた時、お嬢様の姿が身近に浮かび上がったのは私だけではなかったようですから」


 フェルナンドは自身の胸元に片手を添え、まるで自身に言い聞かせるようにそう言った。

 アレクや兄だけでなく、皆がカサンドラの姿を見ていたのだということがこの時になってハッキリ浮かび上がってくる。



 ……。



 カサンドラが命を落としたとは思えない。

 だが――この世界のどこにも、彼女がいないのではないかという想いは、強くなっていく一方だった。






 ※






 一夜明けた後、無事だった国王や兄たちはとんでもない多忙を極める時間を過ごす事になってしまった。


 国王は建物がほぼ損壊のなかった三家の館の内、当主が健在であるという理由で一旦ヴァイル公爵邸に移動しそこで今後の事を取り仕切ることになった。

 復興に必要な物資、資材が多くヴァイル邸宅から賄われたということもあり、動きやすいという判断もあったようだ。


 王城が建て直されれば、速やかにそちらに移動するだろうが……

 果たしてどれだけの日数がかかるか分からない。


 とにかく、四方八方から持ち込まれる『報告』『指示要求』『支援要請』の数が尋常ではない。

 王国未曽有の危機と言うこともあり、こんな時にどう行動するのが正しいかなど誰も正解を知らない状態だ。


 それでも極まった混乱に陥らなかったのは、聖女という”威光”もあるのだろうが、何より兄たちの手腕が素晴らしかったからだと思う。

 緊急時にこそ人望がモノを言うと思うのだが、陛下達を軸に指揮が乱れる事がなかったのは驚きだった。

 こんな状況、当然治安の悪化も懸念された。

 が、騎士達やロンバルドの私兵団の強い監視下において粛々と人々は明日に向かって行動を始めている。


 また、魔物の襲来は他の市街地でも同じようなものだったということが徐々に明るみになって来る。

 なすすべもなく魔物に蹂躙された多数の街の被害も、王都程ではないが決して少ないものではない。



 だがこんな事態が起こったからこそ、一つの王国として纏まり、目先の大きな問題に派閥だ地方だ貴族だと対立し喚くことがないのだろうか?


 こういう外的要因でもないと、人の心は中々一つにならないのだろうなという現実を浮き彫りにするものである。


 何せいくら貴族だなんだと高らかに叫んだところで、皆等しく多くのモノを失った中。

 特に王子や国王達の偉い人達が率先して前に出て特別扱いは要らない、と皆同じ、いやそれよりも少量の食事で済ませるなどの姿勢を崩さないので――


 偉そうに威張るだけの貴族に進んで協力したいなんて余力のある市民はいない。

 そういう家の修繕だけは遅々として進まないのだろうなぁ、という未来が完全に見えてしまうくらいだ。



 今までの日常生活から全く外れた状況を余儀なくされ、それでも町の皆の表情は昏いものではない。

 先の見えない苦労ではないから、皆で励まし合いながら少しずつあるべき街の姿を取り戻そうと手を、足を動かし続けている。




 魔道士達が通りを埋め尽くす瓦礫を風の魔法で持ち上げ、街壁の外へと積み上げていく様子に目を丸くしたのも、昨日の話だったか。

 




 アレクが兄たちの手伝い、主に各地から飛んでくる報告を記し、それぞれの受け持ちに渡す――という作業に明け暮れ、早四日。





 この時初めて、アーサーから事情を全て知る”自分達へ”招集がかけられた。




 招集場所は、学園生徒会室。

 行き慣れない場所であり、自分にとってはもはやトラウマにもなっている場所。

 しかし呼び出された以上、参加しないという選択はない。


 今後の方針についての話し合いが行われるのだろうが……

 自分がそこにいたところで、何にもならないのではないか。

 何も出来なかった人間を呼んでどうなるというのか。




 数日経って情勢は落ち着いて来たのはアレクも分かる。

 レンドールにいるクラウス夫妻も無事の確認がとれているなら、後は………もう、アレクに残された患いごとなど一つだけだ。



 きっと明日か明後日には、クラウスが自分の娘が行方不明と知らされ声を失うことになるのだろう。

 あんな手紙、渡したくなかった。


 カサンドラの姿が忽然と消え、未だに足取りがつかめないままなどと……!







「……失礼します」




 慎重に扉をノックし、アレクは重厚な生徒会室の扉を開く。

 学園内の施設は大方破損もなく、大勢の避難場所としてとても役に立ってくれた。

 この場所がなければ人的な被害がどれほどにのぼったのか? 考えたくもない仮定だ。



「やぁ、アレク。

 忙しい中来てくれてありがとう。

 ……これで皆、揃ったかな」


 一番奥の席で、やや疲労の色が濃く残る兄が片手を挙げて微笑みを浮かべている。

 こんな状況においても、彼は冷静で穏やかな雰囲気を崩さないまま。




 慌ただしく、皆がそれぞれの”やるべきこと”に奔走していた。

 時折顔を合わせることもあったが、個人的な話など出来る状況ではなかったのだ。

 忙しくしていれば、カサンドラの安否のことを考えなくても済む――という想いが兄にはあったのではないだろうか。

 アレクがそうだったように。


 少なくとも、彼女の名は『仲間内』では飛び交っていない。

 そこに拘り、悲しむだけでは何も変わらないから。

 現実問題、彼らを必要としている大勢の声を前に気を強くもたなければならない。


「遅くなって申し訳ありません」


 


「おー、クリス……

 じゃなくて、アレクか!

 大きくなったなぁ!」




 既に生徒会室には、自分以外のメンバーが揃っている。

 ラルフの姿は錯綜する情報に翻弄されている時に何度か見かけた事があったが、ジェイクの姿を見るのは本当に十年ぶりくらいだ。


 ……片腕を白い布で吊っていることから、骨を折ったという話は本当だったのかと悟る。

 


 三つ子の視線。兄の視線。

 三家の嫡男たちの視線。




 それらを受けて、アレクは何とも言えない気持ちになった。





 一つだけぽっかりと空いた椅子。



 本当は自分のための場所なんかじゃない……



 何故自分が、姉に成り代わるように、そこに座らなければいけないのだろう。

 どうしてそこにいるべき人の姿がいないのだ、と。




 

   感傷に襲われ、胸が痛んだ。







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