かくも長きたそがれ

ニラ畑

かくも長きたそがれ




 駅長さんは一秒のずれもなく、朝六時きっかりに改札を開く。秋の冷たい朝もやに浸されたホームをまずはお掃除。落ちているものといえば、綿毛くらいしかないのだけれど。

 それが済むといそいそと、窓口に戻る。今日は何人ここを通ってくれるだろうと思いながら。

「おはよう、駅長さん」

 券売機が話しかけてきた。

「ああ、おはよう」

「今日はいい天気になりそうだね」

「ああ、そうだね」

 駅長さんはズーム機能を使って、薄らいできた朝もやの向こうを見通す。見渡す限り白い穂が揺れる丘の向こうに、銀色の高い建物。曲線を描いた優雅なデザインの超高層ビル。



 ゆるい起伏を描く地平線の果てまで、一面の野原。

 ススキに似ているけれど、それよりずっと柔らかな葉を持つ草が、風に揺れる。

 あたりはまるで黄金色の海。

 白い穂は波頭。

 その只中を貫く大きな舗装道を、少年と少女が仲良く歩いていく。通学鞄を手にして、のんびりした足取りで。

 少年が言う。青空を見上げて。

「今日はいい天気だね」

 少女が答える。同じく青空を見上げて。

「そうね」

 高い高い場所に浮かぶのは箒雲。

 そのはるか下を、ちかっ、ちかっと光りながら横切っていくものがいる。八本足と羽と銀色の甲殻を持ったものの群れ。

「あら、今日は随分たくさん飛んでいるのね」

「うん。ああ、そういえば――丘の上のビルを片づけるとか聞いたような」

「あら、そうなの。まあ、あそこも長い間、誰も使ってないものねえ……」 校舎はとても大きいのだが、それを囲む何もない空間のほうがもっとずっと大きいので、ぽつんとある、いう印象を受ける。まるで海に浮いた小島のよう。

 一人の教師が足音を響かせ、教室に入る。

 生徒達は真面目な子達ばかりだから、私語など一切しない。先生の話を大人しく拝聴する。

「それでは今から、実写記録映像の視聴を行います。これは今から150年前に撮影されたもので、当時――」

 とはいえ、この教科については、正直誰もが退屈に思っている。

 映像が始まった。

 裸になった男女が重なり合って激しく動いている。なんだかよく分からないことを言いながら。

 教師は映像から目を放さずにいる生徒の脈拍や体温を、内臓されたセンサーで探る。誰しも変化が見られないことを確かめて、いつも通り軽く失望する。


 私達はあなたたちに増えてもらいたいのだ。あなたたちの世話がしたいのだ。だってそのために存在しているのだもの。

 私達はあなたたちが望んだとおり、あなたたちと協力して、地球上に存在していた全ての政府を整理した。不必要なものは廃棄し、必要なものは管理統合した。

 今や戦争はない。犯罪もない。飢餓もない。誰もが平等になれた。医療も完備されている。あなたたちは一人も残さず安心で安全に暮らせるようになった。

 だのにどうしてあなたたちは減っていくのか。いなくなってしまうのか。


 駅長さんと券売機は集音機構を傾ける。ホームのベンチに腰掛けている少年少女の会話に向けて。

 彼らは学校で渡された分厚いパンフレットを眺めている。

 パンフレットには、戸建住宅、あるいはマンションの写真が掲載されている。こんな文句をつけて。

『若年移住者年中無休受付。生活保障家具一切完備』

『出産育児教育サポート終身充実』

『新しい『家庭』を作るのに最適な設計』

「……一緒にどこか行く?」

「どうして?」

「付き合ってるから。付き合ったら結婚するものだし、結婚するなら子供を作ったほうがいいし、それならこういうところに住んだほうがいいって――先生が言ってた」

「……あなた、子供を作りたいの?」

「……いや、別に。君の事は好きだけど……セックスは別にしたくない。なんだか、ああいつの、見るからに変な感じなんだもの」

「そうよねえ。あんなところをくっつけあうなんて……ねえ。ちょっとねえ……」


 ああ、増えて、増えて欲しい。

 でもそのことをロボットは、人間に強制出来ない。人間がそうするようにと指示しない限り、何の手も講じられない。体外生殖、人工胎、そういったものが使えることを百も承知していながら。

 旧時代に比べて人間は、とても善良になった。誰もが優しくお互いを労わりあい、仲良く出来る。そうして、ロボットの言うことによく従う。何しろ小さいときから、彼らの手によってのみ育てられるから。

 ロボットから増えるように言われれば、人間は、素直にそれを聞き入れるだろう。たとえ気が進まなくても。

 だけど、ロボットはそうしない。そう出来ない。人間の意志にのみ従うよう作られている存在だから。

 ……何もかも、堂々巡り。


 人間が使わなくなって必要とされなくなった施設は、撤去される。衛生の観点から。

 今や世界はどこも空き地だらけ。

 一面の野原、一面の野原。

 それはますます、どこまでも大きくなっていく。


 ビル解体を請け負っている工作ロボットは、八本の手を休め彼方を見る。仲間が気づいて、彼に声をかける。

「どうしたmh6932」

「いや、このあたりも、随分がら空きになってしまったと思ってなあ。このまま全部何もかもなくなってしまったら、我々、どうしたらいいものかな」

「心配するな。そのときには人間が、また何か新しいものを作るようにと言ってくるさ」

「だといいんだがなあ……」

 工作ロボットは再び働き始める。

 銀色のビルは上方から、徐々に消えていく。まるで溶けて行くように。

 ススキに似た草は風に吹かれる。静かな潮騒を立て揺れる。綿毛が雪のように散っていく――夕日の中をどこまでも。






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かくも長きたそがれ ニラ畑 @nirabatake

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