【幕間】 ~スヴェイン・フォン・リーデンハイゼル~

 次男というのは、気楽なものだ。

 誰かがそう言っていた。家を継ぐ義務もなく、家名や親の威光の良いところ取りだけして好き放題に生きられるのだから、と。


 だが、別の人は言っていた。

 次男というのは居ても居なくてもいいような中途半端な存在だと。長男の「代わり」に過ぎず、家名によりかかって財産を食いつぶすだけの無用の長物なのだ、と。


 (それなら、ぼくは何のためにいるんだろう)

ぼんやりとした疑問を抱いたのは、いつの頃からだったか。

 一つ年上兄、シグルズは、幼い頃から次期国王としての期待を背負い、そのための教育もされていた。

 スヴェインも同じように教育は受けさせてもらってはいたけれど、「何のため」という疑問は消えなかった。たった一歳差で見た目もそっくりで、おまけにお互い、得意なものがほとんど重なっていた。剣術の腕も、座学の出来も、その他の様々な才能という意味でも――つまりは、「差」というものが見いだせなかったのだ。

 まるで双子のようだと、周囲の人々は言った。

 実際、服と呼び方を取り替えれば、もう家族以外には見分けがつかず、幼い頃はそれが面白くてしょっちゅう悪戯を仕掛けていた。


 何のために自分がいるのか。

 一体、何が出来るのか。


 ――漠然と抱いていた疑問に転機が訪れるのは、十歳になったばかりの頃だった。それは、久しぶりに家族揃って湖のほとりの別荘地で休暇を楽しむはずの日に起きた。


 別荘の爆発、賊の侵入。死傷者多数。

 偶然、館から抜け出していた二人の王子は、声もなく、身を寄せ合って呆然としたままで、湖の向こうで燃え盛る建物を見つめていた。

 その夜、全てが一変した。

 スヴェインは、父である国王が一部の貴族たちから強い反感を買っていることを知った。その中に、国王一家を殺害したいと思うほどの者がいること。自分たちもまた、その敵意の標的となっていることも。

 泰平と思われていたアストゥール王国には、見えないところで屋台骨を揺るがす危機が迫りつつあったのだった。




 事件の後、王宮に戻ってからも、スヴェインの気持ちは晴れなかった。

 父は怒り狂い、騎士たちに次々と指示を飛ばして犯人を探させているらしいが、一向に掴まったという話を聞かない。それどころか、事件についてはスヴェインたちにも固く口止めがされたまま、いつしか、立ち消えのようにして話題に登らなくなっていった。

 それが何故なのか尋ねても、父は曖昧な返事しかしない。

 犯人が分かっていて手出しが出来ないか、証拠が掴めないか、何かよほど不味いことが起きているのだと、スヴェインにも理解出来た。そして、事件はまだ終わっていないと分かっていた。

 あれ以来、スヴェインやシグルズには、普段以上に警護が多くつけられていた。以前はお忍びで町に出ることくらいは出来たのに、今は王宮の奥から出ることも許されず、ただ鬱々とした日々を過ごすばかりだ。


 そんな日々でも活気を与えてくれたのは、六歳年下の弟、アルヴィスだった。

 まだ五つになるか、ならないかという歳ながら、既に読み書きを覚え、もっと年上の子供たちが読むような本ですら、一人で読み解ける。ここ最近は、本が読めるようになったことが嬉しいらしく、頻繁に王宮の書庫に出入りして本を物色していると評判だった。

 とても頭のいい子供だった。

 学者にする、という話もあったが、それよりはクローナ公の養子に出したいと、父、アレクシスは言っていた。

 現クローナ公であるメネリクも、学者気質で植物学の大家だ。学者になるにしても、それだけでは勿体ないというのが、父の意見だった。

 自分にも、シグルズにもない、秀でた才能を持つ三男。長男でなくとも、何か秀でたところさえあれば、役に立つ場所を見つけてもらえる。それなのに、自分は――。


 「スヴェイン兄さん!」

廊下の向こうから、幼い少年が勢いよく駆けてくる。後ろには、付き添いのティアーナも一緒だ。

 「おっ、アル。今日も元気だな。はは、そーら」

小さな体を高く持ち上げると、少年は声を立ててはしゃいだ。自然と顔がほころんでしまう。

 「んんー、お前は相変わらず可愛いなあ!」

思わず抱きしめたくなるような笑顔だ。たとえ自分には無い才能を持ち、自分と違って将来を期待されているのだと知ってはいても、妬みなどちっとも湧いてこない。

 「スヴェイン様。いつまでやってるんですか、それ」

追いついてきたティアーナが、頬ずりをやめないスヴェインに呆れている。

 「あーっと、つい。…おっ? アル、何だ、その本」

少年は、手に分厚い本を抱えている。

 「んーとね。『アストゥール王国建国史』だよ!」 

 「お、おう…? なんだか…難しそうな本だな、それ…」

どう見ても五歳の子供が読む本ではない。まさかもう、そんなものまで読めるようになっていたとは。

 「家庭教師の先生は、もう上級生の授業でもついていけるだろうと仰ってるんですよ。スヴェイン様、うかうかしていると追いつかれるんじゃありませんか」

 「うっ…。それは、…頑張らないとな。はは、は」

 「大丈夫だよ、兄さんはお話が得意だから」

アルヴィスは、首を傾げて微笑む。

 「人とお話するの得意でしょ? 僕、あんまり得意じゃないから…」

 「……。」

スヴェインは、ぽかんとした顔になった後、思わず弟をぎゅうっと抱きしめた。

 「アル~! お前はほんっと可愛いなあああ!」

 「く、苦し…兄さん…」

 「スヴェイン様! アルが潰れてしまいますっ」

ティアーナが慌てて止めに入る。

 「もう。…こんなことをしに来たんじゃないんですよ。お話があるんです」

 「話?」

 「あっ、そうだった。…えっとね。僕、来月、クローナに行くことになったんだ。」

 「えっ?」

スヴェインは思わず手を止めて、まじまじと弟の顔を見た。

 「来月…?」

クローナに養子に出るにしても、もっと先の話だと思っていた。成人するまでは待たないにしても、せめて、もっと大きくなるのまで待つのだと。

 「はい。その、例の事件があったので、クローナのほうが安全だろうというのが国王陛下のご判断です。クローナ家の養子に入れば王位継承権も消滅しますし、メネリク様も、そのほうが良いだろうと」

 「……。」

確かに、あの暗殺未遂事件は、国王一家の全員を節操なく狙ったものだった。もしあの時、アルヴィスが熱を出して王宮に留まっていなかったら、別荘の爆発に巻き込まれていたかもしれないのだ。

 身の安全のためにも、一刻も早く王宮から出したほうがいい、というのは判る。

 理性では判っていたが、可愛がっていた弟が居なくなってしまうなど、スヴェインにとっては、耐え難い痛みだった。

 「…そう、か」

だが彼は、年長者としての威厳を保つように涙をこらえ、笑顔で弟の頭を撫でた。

 「クローナ家は歴史ある重要な家だからな。頑張るんだぞ」

 「うん。――お手紙、たくさん書くね」

 「ああ」

 「それじゃ、これからシグルズ様のところにもお話に行ってきます。失礼しますね」

ティアーナとアルヴィスが廊下の向こうに去ってゆく。

 (あの事件のせいだ。)

 振り返って、スヴェインは二人の後ろ姿をじっと見つめていた。

 (あれのせいで、ぼくらは…。) 

この先も命を狙われ続け、怯えて生きていくことになるのか。

 いや、それよりも、いつか家族の誰かを本当に失ってしまうかもしれないことが恐ろしかった。

 (どうすればいい)

自分に一体、何が出来る? ――




 翌月、アルヴィスは予定された通り、クローナへと旅立っていった。

 幼くして家族と別れるのに泣きもせず、ぐすりもせず、堂々とした旅立ちだった。むしろシグルズやスヴェイン、年上の兄たちのほうが涙でぐしゃぐしゃになっていた。実の弟のようにアルヴィスを可愛がっていたティアーナも、口には出さなかったが酷く落ち込んで、それ以来、何となく話しかけづらい時期が続いた。

 家の中の空気も、以前とは変わってしまったような気がしていた。


 そんなある日のこと、近辺の貴族の家から年頃の令嬢たちを集めた、懇親会が開かれた。

 いわば社交界のお披露目のようなその場は、王子たちに将来の伴侶を探させるためでもあった。当然、将来の王妃の座を狙う名家の娘たちは、ひときわ熱の入った出で立ちで、最初から第一王子のシグルズひとりに狙いを定めていた。

 着飾ったご令嬢たちに取り囲まれ、右往左往している兄と引き換えに、スヴェインのほうに向けられるのは社交辞令と愛想笑いばかり。

 もともとあまり気乗りがしていなかったこともあり、会話も長くは続かず、彼はいつしかやる気を失くして、隅の方に引っ込んでいた。ソファに腰を下ろし、ため息をつきながらシグルズのほうを眺めやっていた時だ。

 「殿下、もうお疲れなんですか?」

キツい香水の香り。顔を上げると、目の前に令嬢の一人が立っていた。目尻の少し上がった、四、五歳は年上の少女だ。恋人候補としてはやや歳を取りすぎている気もするが、この会場には、明らかに年齢が離れすぎた令嬢も多い。ドレスの質からして、おそらく、かなりの資産家の家の娘だろう。

 (えーと、誰だっけ?)

思うより早く、少女がドレスの裾をつまんだ。

 「お隣、よろしいかしら?」

 「ああ、どうぞ――えっと、君は?」 

 「サレナ・ヴェニエルですわ。どうぞお見知りおきを」

 「ああ。ヴェニエル家の――」

旧貴族の中でも最上位の家柄を誇る、侯爵家の縁者なのだ。どおりで、自信たっぷりで、豪華な衣装を周囲にひけらかすかのような態度なわけだ。

 (彼女もシグルズ狙いのはずだ。ぼくなんかに興味があるはずもない)

心の中では醒めた計算をしながらも、スヴェインは、表面上は笑顔を取り繕ってグラスを交わす。

 「先程からシグルズ様ばかりご覧になっていらっしゃいますね。何かお気になることでも?」

 「あーいや、あいつと違って、ぼくはもてないですからね。いや、しかし兄上ときたら、羨ましい限りですよ」

話を合わせるように、するすると言葉が出てくる。話をすること自体は苦ではない。ただ、「出来る」のと「楽しい」のとは別なのだ。

 「そうですか。でも、スヴェイン様だって立派なお立場でしょう? それとも、この会場には気になる方はいらっしゃらないのかしら。」

 「ははは、どうでしょうね。ま、お美しい方なら沢山いらっしゃいますよ。今、ぼくのお隣にもね」

 「まぁ、お上手ですこと。」

サレナは、当然だというように笑う。

 (大した自信だ。もう少し恥じらいの演技をしたほうがいいぞ)

心の中で呆れながらも、スヴェインは、さらに続ける。

 「ぼくは次男ですからね、何とでもなりますよ。余り物でも結構。どうせ家は長兄のシグルズが継ぎます。いちばんお美しい方は、間違いなくシグルズが射止めるでしょう。」

 「まだ決まったことでは無いでしょう? スヴェイン様にも十分、機会はありますよ。もっと高みを目指されてもよろしいのでは?」

 「まさか。兄上の身に何か起きでもしない限りは無理ですよ。」

言ってしまってから、はっとした。

 サレナが意味深な視線を向けているのに気づいたからだ。

 「ああ、――こほん。もちろん、兄上に何か起きることを期待しているわけでもないのですがね。ま、…次男は次男らしく、大人しくしておきますよ。」

 「ふふ。そうですわね。近頃は、物騒なことを企む者もいるとか、噂ですけれど。」

スカートをつまんで、少女は立ち上がる。 

 「またいつかお話出来たら良いですわね。それでは、失礼しますわ」

 「……。」

サレナが去っていったあと数秒して、スヴェインは、はっとする。

 (物騒な企み?…そうだ。確かあの、別荘地の事件の首謀者の候補には、ヴェニエル侯爵の名前もあった)

まさか、彼女は知っていた?

 あの事件は箝口令が敷かれていて、貴族たちにも知られていないはず。

 もし知っているのだとしたら、――それは、首謀者か、それに近しい者以外にはありえない。


 『兄さんはお話が得意だから』


 その時、アルヴィスの言葉が蘇って来た。

 (もしかして、それとなく匂わせて聞き出していけば、犯人にたどり着ける…?)

はっとして、彼は思わず立ち上がり、会場を見回した。

 疑わしいとされた家から来ている娘たちは、すぐに何人も見つかった。 

 (さすがに幼すぎる子は何も知らされていないだろう。でも、十代の後半くらいなら…さっきのサレナと同じくらいの)

この会場でなら、彼女たちにいくら話しかけても不自然ではない。少し突っ込んで家の話を聞いたところで、婚活が目的なのだから不思議がられない。

 退屈だったパーティーが、突然、意味を持ち始めた。


 それからスヴェインは、令嬢たちの間を周り、それとなく探りを入れて周った。

 話しているうちに段々、自分がどう振る舞うべきなのかも見えてきた。

 「父やシグルズのことは良く思っていない。あわよくば、自分が跡継ぎになりたい。」

 そう振る舞うことで、野心家の家の令嬢たちは食いついてくる。わざわざ話を合わせて、シグルズのそつのない態度が嫌いだ、などと言ってくる令嬢もいた。国王は旧貴族を馬鹿にしすぎだ、などと、堂々と言ってくる令嬢もいた。

 話しているうちに段々と、見えている世界は変わってきた。

 幾つかの家は明らかに、現国王アレクシスに対して敵意を抱いているのだ。理由は、古い貴族の家柄が享受している特権を弱めようとしているから。それから、貴族たちの権力や財力を削ぐことに熱心だからだ。その動機は、暗殺という暴力的な手段を使ってでも国王を排除したいと思うに十分なように思われた。

 (ぼくらが狙われた理由はは、そういうことなのか…)

驚きつつも、スヴェインは恐ろしくなっていた。

 ほんの少し前までは、そんな本心など誰もおくびにも出さなかったのだ。それなのに、少し立ち位置を変えてみただけで、怒涛のように隠されていた悪意が押し寄せてくる。


 令嬢たちとのパーティーだけではない。有力貴族を集めた晩餐会、お茶会、夜会――

 宴会には片っ端から参加した。そして手当り次第に声をかけ、話を聞いて周った。

 そして、気づいたのだ。

 国王に何らかの反感を抱く家は、貴族たちのおよそ三分の一にも達しているのだということに。




 「おい、スヴェイン。」

ある日の夜会の後、部屋に戻ろうとしていたスヴェインを、兄のシグルズが呼び止めた。渋い顔だ。

 「何だ?」

 「お前、ここのところ少し羽目を外しすぎじゃないのか。」

 「どういう意味?」

 「その気もないくせに、貴族のご令嬢に片っ端から声かけて、いろいろ聴き込んでるそうじゃないか。おまけに、おれや父さんの悪口まで言いふらしてたって聞いたぞ」

 「それが? ぼくだって悪口くらい言いたくなる時はあるよ」

 「…はあ」

シグルズは、額に手をやると、大きくため息をついたあと、弟の頬を指で思い切りつねった。

 「あたただっ! な、何するんだよ!」

 「どーしてお前は、そう素直じゃないんだ。お前が何か探ってることくらいお見通しだぞ。で? 何をしてるんだ」

 「うう…」

真顔で見つめられて、スヴェインは仕方なく白状した。

 「…あの、暗殺未遂事件の首謀者を探ってたんだよ。関わってそうな家の人たちと話していれば、色々判るから」

 「なるほど。それでマイレ家の奥方にヴェニエル家のご令嬢ね。どうせそんなところだと思ってたよ」

シグルズは、やれやれというように頭を振った。

 「それで、わざわざ『次の国王はぼくだ』とか吹聴してたのか? 父さんの悪口言いふらして、自分ならもっと上手くやれる、とか。それ、父さんの耳に入ったらどうなると思う? あの性格だから絶対、面と向かって聞いたり叱ったりせずに、裏でめちゃくちゃ落ち込むだろうな。」

 「う、…それは、確かに…。」

 「ま、お前のへっぽこ演技なんて、おれでも気づいたくらいなんだ。父さんも流石に、本気にはしないと思うけどさ」

肩をすくめ、彼は、弟をじっと見つめた。

 「――で? 探りを入れた成果は。」

 「……。」

 「どうした。まさか、一人で全部抱え込む気じゃないだろうな」

 「言ってもいいけど、父さんには内緒だぞ」

 「ああ。約束する」

スヴェインは、迷いながら口を開いた。 

 「…ヴェニエルとマイレは間違いなく関わってる。それ以外にも旧貴族を中心に、貴族たちの三分の一くらい何かの形で関わってる。」

 「!」

シグルズの顔色が変わった。

 「箝口令の意味なんて無いよ。連中は最初から知ってる。宴の最中も、父さんや僕らのことを『死にぞこない』『悪運で生き残った』『見逃されて生き残っているだけ』って嘲笑してるんだ。連中に都合の悪い法案を無理やり通そうとするのなら、もう一度、同じことが起きるぞ、って暗に思ってる。有利なのは奴らのほうさ。ぼくらは、死にたくなければ黙って現状を維持し続けるしかない。」

 「そう…なのか。そこまで…だから、父さんは…。」

 「どうすればいいんだよ。このままじゃ、犯人が分かってても動けない。決定的な証拠を掴んで、一気に捕まえるとかしないと」

 「そうだな…」

シグルズも、必死で頭を働かせようとしているようだった。

 「父さんは立場上、派手に動けないだろうし…おれたちで何とか出来ることがあれば…」

 「”たち”って。」 

 「まさか、お前一人に無茶させられないだろ? というか、演技するにしても、共犯者がいたほうがやりやすいんじゃないか?」

 「……。」

スヴェインは唇を噛んだ。

 「だけと、兄さんは跡取りだ。いずれ、この国を継ぐ立場なんだ。ぼくみたいな真似はしちゃいけない。汚れ役は、ぼくだけでいい」

 「スヴェイン、お前…」

 「協力はしてもいいよ。だけど、兄さんは何も知らないふりをしてて。嘘でも、父さんの悪口なんて言わないで。絶対」

いつになく険しい顔の弟に、シグルズも、頷かざるを得なかった。


 役割分担が決まったのは、その時だった。

 シグルズは、父に忠実で、清廉潔白な理想的な後継者として。

 スヴェインは、父に反感を抱く、野心的で少し愚かな次男として。

 それぞれの立場を演じながら、その実、裏ではそれぞれが引き寄せた人々の情報を交換しあっていた。正反対の視点から見れば、その人の隠している本心は見えやすい。おのずと、事件に関わっている貴族と、無関係な貴族とが振り分けられていった。

 ただ、あの事件で使われた武器も、実行犯の手かがりも、一切掴めないままだった。




 そうして何年もの歳月が流れた時、――建国祭の事件は起きた。

 それは、十年ぶりに末の弟アルヴィスが王都に戻って来ていた中での、出来事だった。




 慌てた様子のシグルズに呼び出されたのは、スヴェイン自身、久しぶりに王宮に戻った時のことだった。

 その頃、彼は貴族たちの宴会を渡り歩く生活をしていたのだ。弟の帰郷を知って戻ってきたところを誰もいない物陰に引きずり込まれ、前置きもなく、いきなり告げられた。

 「父さんが、アルに例の事件の調査を命じたって」

 「…へ?」

いきなりのことで、スヴェインはしばし、きょとんとしていた。

 「だから。十年前の、あの事件。」

 「え、――何で?!」

思わず声が裏返ってしまう。アルヴィスは、王位継承権を放棄してクローナ家の養子に入った。だからこそ、反国王派に命を狙われることもなく安心できると、そう思っていたのに。なぜ、わざわざ危険に関わらせるような真似を――。

 「あいつは頭がいいから。それに王族の一人として、大抵の場所は調査できるし、騎士団に協力要請を出す権限を持ってる。おれたちと違って公務にも関わってないから確かに調査にはうってつけさ。でも…」

 「危険すぎる! もし、アルが核心に近づいたら――ていうか、絶対近づくんだけどさ――、そしたら、アルまで狙われる…」

 「そうだ。」

 「何で止めないんだよ!」

スヴェインは、思わず兄に食ってかかっていた。

 「父さんには、言ったのか?!」

 「言ったさ! だけどもう、決めたことだって。アル自身、やる気なんだ。止められないよ」

 「そんな…。」

頭の中で、ぐるぐる思考が周っている。

 最後に、直接会ったのは十年前。それ以来、手紙のやり取りしかしていないが、年を追うごとに冴え渡る弟の頭脳には、目をみはるものがあった。

 「…まずいことは、もう一つある。アルは頭が良いから、おれたちの拙い仲違いの演技なんて、すぐに見破るに決まってる」

 「あー…しまった。そうだ…」

シグルズは、ため息をついた。

 「どうする。いっそ、正直に話すか?」

 「いや、それは駄目だ。そんなことしたら、余計に引き下がらなくなるぞ」

 「だったらどうする。このまま、アルがいる間だけ取り繕うのか?」

 「…それしか、…無いだろ」

 「……はあ。」

お互いにため息をついていたところに、足音が近づいてくる。

 はっとして、シグルズは顔を上げた。

 「まずい。ティアだ」

慌てて、二人はそっけなく顔をそらし、別々の方向へ歩き去ろうとしているかのように装った。

 ティアーナの怪訝そうな、そして心配そうな視線。

 彼女も幼い頃から身近にいる一人だ。疑われているのは分かっている。それでも、正直に言うわけにはいかなかった。シグルズも、スヴェンも、既に散々、危ない綱渡りをしているのだ。これ以上、誰かを巻き込みたくはなかった。


 (せめて、何か決定的な証拠さえ掴めれば…)

 (有力貴族たちが実力行使に出る前に、何とか牽制出来れば…)


背を向けあったまま、二人の考えていることは同じだった。

 ”家族の住む家を、この国を何とかして守りたい。”

 けれど、そんな彼らの思いも虚しく、再び「国王の暗殺未遂事件」は起きる。しかも大衆の目前で――。

 既に、事態を穏便に収めるための猶予は無くなりつつあるのだと、スヴェインは悟った。そして、シグルズも。


 限られた時間と手札の中で、彼らは選択することになる。

 決して最善とは言えないまでも、現時点で最良と思えた答えを。すなわち、何を守り、何を見捨てるのかということを。

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