暮らす日々に笑顔が戻ってくるのならそこからはきっといい人生に違いない
英 金瓶
玉子さんのおへそ
二週間くらい前、娘の
「あ、おとうさん?元気?」
電話に出るなりいつもの調子の明るい娘。
俺は『元気?』って、先月会ったばかりだろ。と思いながらも、現場だったもんだから「おう。」としか返さなかった。
すると娘が「今年はさあ、大晦日一緒に過ごしたいと思っているのだが、どうだろうか?」と聞いてきた。
横浜に越してからも
俺は、なんだ?珍しいな。と思っていたら、「その時にさ、いまお付き合いしてる方も一緒に連れていきたいと思っているのだが……いいかな……。」と娘は聞いてきた。
そういうことか。
俺はその時仕事中で、周りには若いのもいたもんだから無愛想に応える事しかできなかったが、本当はとても嬉しかった。
あの小っちゃかった小麦が、旦那になる男を俺に会わせてくれるなんてな……。
嬉しすぎて涙が出て来る。
だからスペシャルな日になる
なんせ俺は、小麦の父親だからな!
「肉ヨシ!酒ヨシ!コーラヨシ!玉子さんヨシッ‼」
昼前にはすべての用意が整って、あとは小麦が旦那になる
そうして俺は仏壇の前に腰を下ろし、
「なあ、
そう話しかけた
けれど俺はいなくなったとは思っていない。
だから毎日、俺はここで
「どんな男なんだろうなあ、小麦の選んだ男って……。なあ、いいよな?どんな男でも。それが小麦の選んだ男なんだからさ……。」
いまだってそうだ。
こうして女房に話しながら、俺は自分にもそう言い聞かせている。
あのこが自分で選んだ
そう、信じて……。
そうして女房と話していると、俺は小麦と初めて会った日のことを思い出していた。
小麦に初めて会ったのは、あの子が小学校にあがった年のクリスマスだった。
誰もが奇跡を信じるその日、キラキラ輝く街並みよりも、小麦は
初対面だったからなのか、小麦はその時女房の背中に隠れてしまい、なかなか顔を見せてくれなかった。
俺はそんな小っちゃな小麦を見ていて誓ったんだ。
この子は護ろう。生涯かけて護り抜こう。と……。
それから日を追うごとに、小麦は俺に
温かった。楽しかった。
前の妻と別れてから、ずっと独りで生きてきた俺には、思いもかけない
だが、楽しい時間は、そう長くは続かなかった……。
一緒に暮らすようになってから八回目の夏の終わり、女房は末期の癌と診断された。
それから半年後の翌年の冬、明日里は小麦の中学の卒業式も見届けられないまま、神様に奪われた。
それが、十五年前のことだ。
俺と小麦の当たり前が、当たり前ではなくなったんだ。
通夜が終わった夜のことだ。
俺と小麦は弔問客や親族を見送ると、明日里に「おやすみ。また明日ね。」と告げ、その日は葬祭場を離れた。
その帰りの車の中で、俺は小麦の様子が少しおかしいことに気がついた。
「小麦ちゃん、どうした?」
俺がそう聞くと、思い詰めた表情の小麦はハッ!として我に返り、取り繕った笑顔を向けて首を横に振った。
大好きな
だがこれは、それとはなんか違うと思った俺は、思春期の娘相手にデリカシーの欠片も無く聞いてしまった。
「どうした?……なんか心配事とかか?」
ちゃんとした大人なら、もっと聞き方ってもんがあるんだろうにな……。
すると小麦は少し考え「おなかすいたな……と思って。」と返してきた。
俺は小麦に気を遣わせてしまったんだ。
なのに俺は、そんなことにも気づかず言葉を鵜吞みにして「よし!じゃあラーメン行こう!旨いラーメン屋見つけたんだ。そこ行こう。」そう言って車のハンドルをラーメン屋に向けた。
「え?あ、違う……。」
「え?……。」
小麦のその言葉に、すぐさま車を路肩に寄せた俺。
すると小麦は「あ……いや。いまはラーメンの気分じゃないかなぁって……。」と、聞き返した俺に苦笑いを返した。
そりゃあそうだろう。こんな時にラーメンってなんだよ……。
すると俺は「そっかぁ……そうだね。じゃ、どうしようか?……ファミレスとかのがいいかな?」と、これまたひねりのないことを小麦に返した。
「……。」
その問いに、俯き黙ったままの小麦。
「あれ?小麦ちゃん?……。」
俺はそっと、小麦の顔を覗き込んだ。
え⁈……。
小麦は、大粒の涙をポロポロこぼしながら、じっと耐えていた。
「え⁈あれ?え⁈どうした⁈……え⁈どっか痛い?。」
慌てた俺は、そうやって訳の分からないことを思わず訊ねてしまった。
すると小麦は、堰を切ったように泣き出したんだ。
何度も何度も、俺に「ごめん……
俺はその時なにも言えず、ただ黙っていることしかできなかった。
しばらく泣いて落ち着きを取り戻すと、小麦はゆっくりと涙の訳を話し始めた。
涙の原因は女房のお姉さん。三島に住む
富貴恵さんは帰り際、これからのことを俺にではなく小麦に直接話したのだった。
「小麦ちゃんさ、これからどうするの?」
「え?……。」
小麦は最初、富貴恵さんがなにを言いたいのか理解できなかったと言っていた。
「こんな時にこう言うのもなんだけどさ、あの
「……。」
小麦はショックで、何も言い返せなかったそうだ。
「だからさ、小麦ちゃんおばさんちに来ない?小麦ちゃんとおばさんはさ、血の繋がりがあるんだから。ね!そうなさいよ。」
富貴恵さんはそう言って小麦を傷つけといて、あとは知らん顔で宿に帰ったそうだ。
俺は腹が立った。頭にきた。
今すぐ宿に怒鳴り込みに行ってやろうとも思った。
でもその反面、富貴恵さんの言う事も
すると小麦は、再び涙を流しながら俺に言った。
「ごめんね。英介さん……。わたしその時、おばちゃんに言えなかったの。『英介さんは、赤の他人なんかじゃないよ!』って。『わたしのおとうさんなんだよ!』って……。なんでかなー……。なんで言い返せなかったのかなー……。わたし、そのことがすごく悔しい。ごめんね……。英介さん……。ごめんね……。おとうさん……。」
小麦はそう言い終えると泣き崩れてしまった。
小麦は富貴恵さんに言われたことに傷ついていたんじゃなく、言い返せなかったことに後悔していた。
不器用な俺は、そんな小麦をそっと抱き寄せてあげることしかできなかった。
それから俺は、泣き疲れて眠ってしまった小麦を連れて家に帰った。
眠ったままの小麦をベッドに寝かしたあと、俺は誰もいない居間で独り、茶を啜りながらこれからのことを考えていた。
富貴恵さんが言うように、小麦はこの先、三島で暮らした方がいいのか……。
それともこのまま、ここで暮らした方がいいのか……。
どっちが小麦にとって、一番幸せなのか……。
その時の俺には、なにもわからなかった。
すると、夜半過ぎくらいになって、小麦が二階から目をこすりながら降りたきた。
「ごめんね……英介さん。重かったでしょ?わたし……。」
「いや。全然。」
俺はそう、笑顔で答えた。
「少しは眠れた?」
俺は続けてそう聞くと、小麦はあくびをしながら頷いて「なんか、おなかすいた。」と言ってきた。
「そうだね。今日はちゃんとした食事できてないもんね。」
そう言って俺は立ち上がると、台所へと向かった。
小麦になにか旨いもん作ってあげようと思って。
すると小麦もあとから着いてきて、食品棚やら冷蔵庫やらを一緒に
「あ!これがいい!」
そう言って俺に見せたのは緑のたぬき。
「おとうさんもこれにする?」
「ああ、そうだな。玉子さん入れよう。」
「うん!おへそ作って‼」
そうして俺は小麦にせがまれ、黄身の真ん中に熱湯を注いで、玉子さんにおへそのついた緑のたぬきを支度した。
「いただきまーす!わー!今日はまた上手くいってるー‼」
そう言って上手にできたおへそを眺めて喜ぶ小麦。
俺はそんな小麦を湯気のこちら側で眺め、いつまでもこの笑顔を見守っていたい。と、そう思って幸せを感じていた。
そして小麦はいつの間にかこの頃ぐらいから、俺を“おとうさん”と呼ぶようになっていた。
あれから15年。
もう15年というか、まだ15年というか……。
そんな小麦が今日、旦那になる男を連れてくる。
「ただいまー!」
女房と話しながら思い出に浸っていると、ガラガラガラッと引き戸の
「お!帰ってきた!」
俺は思い出から我に返り、弾むように腰を上げて玄関まで出迎えに行った。
「おかえりっ‼」
俺の幸福。
俺と明日里の大きな幸せを……。
暮らす日々に笑顔が戻ってくるのならそこからはきっといい人生に違いない 英 金瓶 @hanabusakinpei
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