第12話 もはや最弱ではない

 寮の木窓が微かな音を立てて開く。暗闇の室内には、青白い月光が差し込んだ。しかし、侵入しようとする男は、神々しいまでの星空に反して邪悪であった。



「クケケ。すっかり寝入ってやがる」



 室内には、ほぼ灯りがない。中央辺りにランプが1つ煌めくだけで、とても隅々まで見渡せる視界ではなかった。それでも彼には十分である。暖色の灯りの傍で横たわる、少女の姿を見つけたからだ。


 栗毛色のショートボブに丸顔、ファンナだ。目ざとく注目していた相手が、無防備にも眠りこけているのだから、俄然鼻息は荒くなる。



「フヘッヘッヘ。いきなり見つけたぁ。さて、どんな血の色をしてっかなぁ。どんな声で泣くのかなぁ〜〜ぁァア?」



 腰からナイフを引き抜き、逆手に持つ。そして足音を殺しつつ、一歩、また一歩と近づいた。まるで灯りにたかる羽虫のようだ。湧き上がる嗜虐心と暗い願望。それらは状況判断を誤る程に膨らんだために、周囲から伝わる微かな物音を聞き逃してしまう。



「今だ!」



 暗闇で鋭い声が響くと、男はつまづき、その場に倒れた。彼の足を脅かしたのは、泥で黒く染め上げたカーテンだ。ベッドの物陰に隠れていた女性陣によって転倒させられたのだ。


 もちろん、そこでは終わらない。刃物が抜かれているのだ。イタズラで済ませる段階には程遠い。



「喰らえ、この野郎!」


「Fクラスをナメんなよ!」



 ベッド上段から男子数名が、侵入者の背中に飛び降り、踏みつけた。薄手の革鎧は圧力を吸収しきれず、宿主の体に大きなダメージを通してしまう。金属鎧のやかましい音を忌避した事が、災いした結果だった。


 そしてその判断はFクラスの面々には幸運だ。侵入者を捕縛し、武器まで奪えたのだから、戦果として上々だと言える。


 締めくくりにはジョーイ。彼の弁舌が役立つ場面であった。



「このまま退け。そうすれば、これ以上の危害は加えない」


「クソッ。Fランクの雑魚どもが! Cクラスのオレに楯突くとは!」


「クラスの上下は決して、支配と非支配を表すものじゃない」



 彼の手には羊皮紙がある。学園の規律を記載したものであり、図書室から内緒で拝借したものだ。その束の中には、生徒達の身分を決定付ける文面など見当たらない。


 Fクラスが虐げられるのは、単なる悪習でしかないのだ。



「だがお前らはFだ。最低の最下級、オレたちに弄ばれるだけのゴミカスなんだ!」


「たとえそうであっても、僕達は専守防衛権を行使する。それすらも許されないのなら、全員が一丸となって、可能な限りの復讐を果たすだろう」


「やれるもんか、ろくな取り柄もない連中に何が出来る!」


「出来るか出来ないか、それを君に説明する義理はない。武器と腕章は貰っておく。場合によっては今夜の件を告発するから、下手な事は考えないように」


「クソーーッ! こんな事、いつまでも上手くいくと思うなよ!」



 ゲイル達が退いた事により、侵入者は窓から外へと逃げ去っていった。脇腹を押さえて歩く様からは、負傷が軽くない事を想像させた。



「なぁジョーイ。あいつを逃しちまっても良いのか? 捕まえて、学園に突き出してやるべきだろうが」


「難しいラインだね。僕達は3日間をやり過ごせれば良いだけだから、遺恨が強く残らないよう気を配りたい」


「アイツ、悔しそうにした割にはアッサリ引き揚げたよな。足も引きずってたし」


「ゲイル君達の攻撃で負傷した事は分かってたから、その場で放免することに決めたんだ。武器も奪ったし、しばらくは悪だくみ出来ないと思う」


「そうだと願いたいね」



 方針について様々な意見が飛び交う中、見張りが声をあげた。彼は室内に空いた穴から外の様子を窺っており、別館通路を歩く人影を目撃したのだ。



「そっちからって事は正面から来るのか。皆、パターンBだよ、急いで!」



 ジョーイの号令により、よどみない動きで態勢を整えた。訓練の時間などほぼ皆無であったのにも関わらずだ。誰もが必死なのである。



「さてと、Fランクどもは汚ない格好してるが、意外と美人揃いだよな。2、3匹連れて帰ろうぜ」


「もっと必要だろ。何人相手するか計算してんのか? 5人は居ねぇとすぐに壊れちまうだろ」


「オレ達だけで掻っ攫えば、他の連中がうるさくなる。ここは慎ましくいかねぇと」



 現れたのは3名。腕章は赤地に青縁のCクラスだ。こちらは堂々としたもので、忘れ物を取りに来たような気軽さがある。とても人攫いと思えない振る舞いには、侮りと油断しか感じ取れなかった。腰に差した剣を抜いたのも1人だけである。



「オウ聞けやFランども。痛い目みたくなきゃ逆らうんじゃねぇぞ」



 そう豪語しては、薄暗い室内へ足を踏み入れた。そして微かな灯りを頼りに、手頃な女を漁ろうとベッドに歩み寄る。布団にくるまって膨らむ影。それを目当てに歩み寄れば、背後がにわかに騒がしくなる。突然、床に敷かれた布が跳ね上がり、隠れていた男達が襲いかかったのだ。


 これもジョーイの策である。一部の床を破壊し、潜伏するだけの隙間を確保。そして背後から急襲する手筈を整えていたのだ。迎撃の度に手段を変えるのは、手の内をバラされても良いようにする為だった。



「食らえ、この人でなしどもめ!」


「おっと動くなよ。下手な事したら、ナイフで背中をブスリだ」



 無防備な首に拳を叩き込む。あるいは、先ほど奪ったナイフで脅す。


 侵入者も覚悟のない連中である。みすみす武器と腕章を取り上げられ、転げるように逃げていく。


 またもや勝利、しかも危なげないときている。立て続けの戦果は彼らに一層の自信を与え、生きる希望までも授けるようであった。



「へへっ。次はどいつの番だろうな」


「シューメル君。そろそろ夜が明ける、交代で眠る事にしよう」


「えっ? オレはまだ眠たくねえけど?」


「興奮してるからじゃないかな。でも少しくらいは寝たほうが良い。今夜も、明日も堪えなきゃならないんだ」


「そうか、じゃあ寝かせてもらうわ」



 身体を休めようにも、その手段は限られていた。食事は無い。干し肉は口に出来る状態には程遠く、せいぜい椀に貯めた雨水を飲むくらいだ。あとはベッドに寝転び、浅い眠りを堪能するのみ。


 そのようにして数名ずつ、交代で休息を取ることにした。授業もボイコットする事で実現した態勢だった。


 彼らの胸には今、勝ち取った自尊心がある。空腹は気になっても、不平を口にするものは居なかった。ただし迎えた夜。ごく一部から不満染みた要望が寄せられた。



「ジョーイ。風呂に行ってきても良いかい? 2日目にもなると痒くってね」


「ごめんよコリンさん。それは許可できない」


「どうしてさ。皆でまとまって行けば、大丈夫なんじゃねぇの?」


「じゃあ聞くけど、どうして僕達は生き残る事ができてる? あれから、多勢が大挙して押し寄せて来ない理由は?」



 問いかけにコリンは首を捻るが、答えは出てこない。隣のファンナも同様だ。



「それはね、僕達が不気味だからさ。格上のCクラスを相手に犠牲も出さず撃退し、しかも部屋に籠もったきり。極めつけに、中の様子も分からないときている」


「つうことは、ここでジッとしてる事が既に牽制になってるって事?」


「そうだよ。だから1人でも犠牲者が出たら困るし、連中に一切の戦果を与えてはならない。鉄壁の構えを崩さない事は絶対条件なんだ」


「それが鉄則なんだね?」


「うん。外出を許可するとしたら、水が尽きた時だね。夜中にこっそり井戸に行く。他は全て却下だと考えて」


「はぁ……分かったよ、大人しくする。トイレがすぐ傍って環境に感謝しとくよ」



 一部屋しかないこの寮にはトイレも完備されており、隣接しているので、部屋から出ること無く行ける構造だ。


 ただし男女兼用のものが1つだけ。朽ちかけの年代物で、しかも扉が壊れており、歪みから小さくない隙間があった。それで臭いがどうのと、覗けてしまうぞと、女子生徒を中心に大不評であった。仕方なくコリンなどが主体となり、入り口で陣取り睨みをきかせてくれるので、一応の安全が守られてはいる。そんな手洗い所も、今ばかりは有り難い配置だと言える。


 やがて迎えた2日目、昼。そろそろ空腹に悩まされる頃合いで、窓傍にぶら下げた肉に期待が寄せられた。そして、期待は裏切らなかった。



「おい皆、干し肉が食えそうだぞ!」


「やったぜ! 寒い中、窓を開けてた甲斐があったな!」



 1日ぶりの食事だった。たとえ干した薄肉だけであっても、顔面を綻ばせる。塩気と、ニンニクの風味が強い食欲を誘った。



「美味ぇな。達成感もあるから最高だ!」


「やっぱ人間、食ってないとダメだな。気持ちだけじゃ生きていけねぇよ」



 何気なく放たれた言葉に、手を止めた生徒が1人。視線は床に落ち、右側に結った桃色の毛束が揺れる。そこで虚空を見つめたかと思うと、沈みきった口ぶりで問いかけた。



「ねぇ、懲罰房の中って、ご飯とか食べさせてくれるのかな?」


「さぁね。アタシはよく知らねぇけど、厳しいんじゃねぇの? 罰の為にブチこまれてる訳だし」


「うん。そうだよね……」



 有るか無きかの声は誰にも届かなかった。被せるようにして警告の叫びが響いたからだ。



「武器を持ったやつが来る! 4人、腕章は不明、男子側の窓に接近中!」


「分かった。Dパターンで行こう。外はまだ明るい、気取られないよう気をつけて!」



 こうして皆は配置につき、息を殺してその時を待つ。さすがに相手も警戒していた。剣に戦斧を構え、互いの死角を守りながら侵入を試みる姿が見えた。



「クソッ。どこに隠れやがった。全然居ねぇじゃねぇか」


「気をつけろよ。もう何人もしくじってんだから」


「分かってるよ。めんどくせぇ。それにしてもアイツらがしくじらなきゃ、今頃ヤリまくりだったのによ」



 ジョーイはベッドの下に潜み、ゲイルは床下に隠れてその時を待った。獲物が罠にかかるその瞬間を。



「おい、何か落ちてるぞ」



 これ見よがしに、床の目立つ所に腕章が落ちていた。まだ明るい時間帯だ。その色味は遠目からでも分かる。



「あれって、うちのクラスのヤツじゃねぇか!」



 4人とも駆け寄り、腕章を手にすると変貌ぶりに戦慄した。布の半分は赤黒く染まり、更には渇いた肉片までもこびり付いている。一体何が、どうして。不思議と自分が傷つけられた錯覚を覚えて、恐慌。中には足を震えさせる者まで見えた。


 まさに頃合いだった。


「今だ! かかれぇ!」



 床下から、物陰から武装した生徒達が襲いかかった。地力と装備で劣るFクラスだが、戦意だけは遥かに上回る。しかも勝ちに乗じている集団だ。斬りかかる勢いは勇猛果敢そのものだった。


 これには格上のCクラスと言えど怯み、後ずさった。そして手堅い攻撃を食らい、降参する事になる。後は没収と追放が待っているだけだ。



「ハァハァ、今回も上首尾だな」


「あと1日半くらい、耐え忍べば良いんだ。あともう少しだけ……」



 潜伏と迎撃を繰り返すうちにも時間は過ぎていく。やがて夜の鳥が鳴き、室内にも夜の帳(とばり)がおりる。


 試練の時も折り返し。それまでこのまま籠もれば良い。そんなムードの漂う中、悲痛に叫ぶ声が事態を一変させてしまう。



「マナが! マナがどこにも居ねぇぞ!」



 目減りした肉、椀も足りない。彼女は誰にも告げる事なく、独り夜の闇へと消えてしまった。

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