第11話 ランスレイトを欠いて
学園から徒歩で1日、馬で半日ほどの場所に王都はある。あらゆる人、そして物が揃うと言われている。実際に往来は人で埋まり、あらゆる商店で品が高く積み上げられ、取引の声も活発だ。王国の繁栄に疑いようはないのだ。
そんな都の片隅に佇む診療所の個室、大振りなベッドに横たわる男が1人。隠す気のない苛立ちは爪を噛む事で晴らしつつ、通りを歩く幸せそうな人々を睨みつける。Bクラスの教官ウラームスである。彼はまだ壮年と呼べる年齢なのだが、やつれた頬と白髪まみれの頭から、酷く老け込んで見えた。
「おのれ、忌々しき小僧め。貧民で最下層のゴミクズFランク風情が……!」
彼は手傷1つない健康体だが、心理的ダメージが深刻である。非現実的な超魔法、そして尋常でない殺気の傷跡は恐怖と憤怒に覆われていた。思い出すだけでも震え上がり、しかし悔しさも骨身に染みており、頻繁に脳裏を駆け巡るのだ。そのせいで心の平衡は失われ、治療の効果も見られていない。
「どうにかして、どうにかして連中にひと泡吹かせてやれんものか……」
爪を噛み続ける内、鋭い痛みが走った。そうなれば逆の手を口元にやるだけである。
「ワシが手を下したとバレんように。それでいて決定打を与える手段とは」
思い出すのは他の教官、そしてAクラス以上の生徒達。彼らもかなりの手練なのだが、武力で制裁するのは不安である。返り討ちに遭う可能性も否定できないのだ。
ならばどうする。考えあぐねるうち、1つ閃くものがあった。手に取ったのは、校則について記載された羊皮紙の束だ。文字を指先でなぞり、何枚もめくるうち、やがてお目当ての1文を見つけた。
「ふ、ふふ。これだ! Fランクどもを失意の底に突き落としてやる!」
すかさずウラームスは書状を書き殴った。治安部各位、重大な違反者を処罰していただきたい。極めて凶悪な生徒であるため、最大限の注意を要する。
羊皮紙を巻いてロウに印。すかさず転移魔法を発動させ、煌めく光球の中へ投じた。それからは高笑いだ。牢獄で野垂れ死ぬランスレイトを、そして蹂躙と陵辱の果てに死に絶えるFクラスを思えば、笑いが止まらなくなったのである。
その一方で、学園の空き地に陣取るランスレイト達は、陰謀の事など露知らず。今日も今日とて、結界外で狩った魔獣を料理中だ。Fクラスの面々も慣れたもので、食材を眺めただけでも味を想像できた。
「へぇ、今日はヨリミチイノシシ。やっぱり鍋にするのかい?」
「その予定だ。あとは保存食だな。冬はやっぱり獲物が見つかりにくいし、学園が寄越す食い物はどれもこれも食えたもんじゃねぇし」
「確かにね。君に魔獣食を勧められなければ、アレを食い続けてた訳だ。そう考えるとゾッとするよ」
「しかも悪意たっぷりのヤツな。暇人どもめ」
「あの一件を見てたのかい?」
「まぁな。連中は薄笑い浮かべながら、鍋をそこらでひっくり返してたよ。他人をイジメて何が楽しいんだか、あのバカどもは」
喋る間も指先に狂いは無かった。ランスレイトは大きな木の椀をいくつも並べ、薄切りにした余り肉を敷いた。そこへ水を注ぎ、塩を足す。
「やっぱり手際が良いね。慣れてるのがよく分かるよ」
「ジョーイにも教えてやろうか? やってみると結構楽しいんだぞ。どんな獣肉か、塩加減はどうかで、味が変わったりすんだ」
「そのうち教えてもらうさ。今入れたのは何?」
「ウソニンニクを潰したやつ。臭み消しだ」
ランスレイトの作業が一段落したころ、ファンナが声をかけた。鍋が出来たと言う。実際、焚き火にくべられた大鍋からは、胃袋をくすぐるような薫りが漂っている。
「完成だってよ。じゃあそろそろ飯にすっか」
「えへへ、美味しく出来たんですよぉランスレイト親分。ほんと足向けて眠れませんってばウェへへ」
「いちいち媚びんなよ」
ランスレイトはジョーイと、揉み手になるファンナを伴い、焚き火の方へと寄った。すでに盛り付けは終わっており、後は食事を楽しむだけだ。
粗削りの椀、スプーンは全てシューメイル作。道具の限られた中では、上々な出来栄えであった。
「さてと、いただきま……」
「そこを動くな貴様ら!」
唐突に鳴り響いた怒号に、一同は椀をひっくり返しそうになる。むせて喉を焼いてしまう生徒もいたが、声の主は何も憚らず、彼らの平穏を踏みにじった。
鋼鉄の軍靴。きらびやかな全身鎧。現れたのは生徒で無い事は明らかである。
「大人しく両手を挙げろ。不審な動きをすれば厳しく罰する!」
「こいつら、騎士団だぞ……何だってこんな所に」
不安と疑問の入り交じる視線で満ちる。そんな最中、5名ほどの騎士団の中から初老の男が現れた。主任教官のトラバウトだ。
「魔獣の残骸が転がっているな。これは最早弁明を聞くまでもない。首謀者は誰か!」
「魔獣を捕まえたのはオレだぞ」
「やはり貴様かランスレイト。許可なく結界の外に出るのは学園の法に触れる。知らぬとは言わせんぞ」
「知らねぇよ初耳だ」
「知らなくとも法は法! 連れて行け!」
騎士団の2名が椀を蹴散らしながらランスレイトに取り付いた。しかし、捕縛しようと腕を掴んだ瞬間に宙を舞う。彼らは現実が受け入れられず、天を仰いだまま呆けるばかりだ。
「貴様、歯向かうか!」
騎士たちは剣を抜き放って陣形を組んだ。倒れた2人も併せて包囲する構え。そんな窮地にあってもランスレイトは取り合おうとはせず、蹴倒された椀を拾い上げた。
コイツは何をやってるんだ。誰もが、特に騎士団がそう困惑する中で、唯一トラバウトだけは平静さを保っていた。主導権を手放さない為にも。
「相変わらず無鉄砲な奴だ。聞け、今のうちに大人しく囚われた方が賢い選択だぞ」
「どういうこったよ?」
「懲罰対象を貴様だけに留めてやると言っているのだ。逆らうようなら連帯責任だ。クラス全員に罰を与える事も考えねばならん」
「どさくさに紛れてかよ。クソ野郎が」
「貴様は懲罰に堪えられるやもしれんが、他の連中もそうなるかな? 血反吐と汚物に塗れて死ぬ未来が見えるようだ」
トラバウトの陰湿な視線が巡らされると、いくつかの悲鳴があがった。それからは大きな溜め息が響き渡り、事態が進展を迎える。
「分かったよ、捕まってやる。その代わりコイツらには手出しすんなよ」
「良かろう。私は何もせんよ」
「チッ。いちいち気に障るジジイだ」
それからは速かった。1人の騎士がランスレイトの腕を取り、後ろ手に縛り上げた。あちこちから彼の名を叫ぶ声が響くが、捕縛は手早く完了する。あとは連行を待つだけだ。
そんな事態において、ランスレイトはゆっくりと辺りを見渡した。勝ち誇るトラバウト、鋭く睨む騎士達に、泣き顔を浮かべるFクラスの一同。
その中からジョーイを見つけると、強い口調で告げた。
「良いかジョーイ。この肉は一晩塩水に浸けておけ。その後は水気を切って日陰に干すんだ。外干しするなよ、鳥に食われちまう」
「貴様、何を言い出すんだ。さっさと来い!」
「良いか、上手くやれよジョーイ。皆と団結してな」
「早く、来い。はやく……こい……ッ!」
騎士が全身全霊で縄を引くのだが、ランスレイトは巨岩のごとく動かない。そして気が済むなり、予備動作も無しに歩きだした。その拍子で騎士は転んでしまうのだが、ともかく身柄の送還が可能となり、やがて校舎の一角へと消えた。絶望にすすり泣くクラスメイト達を残して。
それから、ランスレイトが不在のままで迎えた夕刻。辺りは既に夜闇に包まれており、それと同時に悪意の蠢きが聞こえるかのようだ。
「どうすんだよ、これ……」
ランスレイト、3日間の懲罰房行きに処す。そう告知が為された瞬間から、学園内の空気は一変したのだ。恐るべき番犬が居ないのだと、口々に囁きあい、手元の武器を不穏に鳴らす。
「私達、どうなっちゃうの……」
「せっかく、皆で生き残れると思ったのに、チクショウ!」
「クソッタレが。ランスレイトが魔獣なんか食わせなきゃ、こんな事にならなかったのに! そしたら今頃も安心して眠れたんだ!」
喚き声は放つ者も、そして耳にする者からも冷静さを奪う。普段ならいざ知らず、非常時であれば尚更である。団結すべき彼らは、不安を糧として口論を始めてしまった。
「ちょっとシューメル君。それは酷いんじゃないかな。魔獣食のおかげで私達は、イジメみたいなご飯を食べずに済んだんだよ」
「マナの言う通りだよ。アンタさぁ、都合の良い事ばっか叫んでんじゃねぇよ。食えないなら食えないで文句言う癖にさ」
「うるせぇよ……うっせぇんだよコリン! 偉そうな口ききやがって。今がどれほどヤベェ状態か分かってんのかよ!」
「分かってるさ。他のクラスの下衆野郎ども。ランスレイトが居なくなった途端、態度がでかくなりやがった。盛りのついた野犬みてぇ眼をしやがるしよ」
「お終いなんだよ、オレ達……。」
「やだよぉ、連中の好き勝手にされるだなんて、死んだって嫌ァ!」
ようやく年相応の笑顔を見せるようになった彼らは、その全てが悲嘆によって塗り替えられた。俯き、嘆き、涙を溢す。
初日よりも色濃い絶望がそこにはあった。外で降りしきる冷たい雨と、室内に滴り落ちる雫が、彼らから体力だけでなく気力さえも奪うようである。
「学園内は全員が敵、と考えた方が良さそうだ。ここだって安全か分からん」
「ゲイル君。シンリック教官にお願いして、助けてもらえないかな」
「ジョーイ、期待するだけ無駄だろう。あの事なかれ主義者が、わざわざ骨を折るとも思えん」
「それにしてもランスレイトのヤツ。こんな状況で肉の事なんか気にかけるとは。呑気にも程があるぞ」
守護者(ランスレイト)が残したのは大量の保存肉と、その扱い方だ。しかも念入りな口ぶりで。せめて生存の為のアドバイスでも貰えたらと、一同は更に嘆くのだ。
沈鬱と悲壮。希望の欠片も見せない中、1人だけが何かに目覚めたように立ち上がった。虚空を見つめる瞳は、神の見えざる手を見ていた。
「もしかして、ランスレイト君は……そういう事か!」
「どうしたんだジョーイ。何かあったのか?」
「皆、聞いてくれ。外に漏れ伝わるとマズイから、もっと近くに!」
説明するジョーイの口調は滑らかだった。確信に満ちた態度、そして顔つきは、藁にも縋りたい人々の心を掴んだ。ただし、言葉の全てを認めた訳ではなかった。皆の気持ちを代弁するかのように、ゲイルは呟いた。
「籠城だと……?」
「そうだよ。僕達は身を守る術を持たない。だからこの寮に籠もって、現状を耐え忍ぶんだ。ランスレイト君が言外に教えてくれたようにね」
「あいつがって……この肉の事か! 全然気づかなかったぞ」
「説明を婉曲させたのは、人目を気にしての事だよ。僕らが籠城すると知られたら、他の生徒たちも警戒するだろ。彼は機転を利かせてくれたんだ。そのお陰で僕達は敵の油断を誘うことが出来る」
「信じられん。あの短い時間にそこまで考えたのか」
「ランスレイト君……自分の身よりも私達の心配を……」
彼らは再び口をつむぎ、瞳を滲ませた。しかし今度は、ただ単に不運を呪うのではない。眉間に、視線に、拳に確固たる意思が宿る。
それは彼らの意地、反逆の狼煙である。
「やろうぜ、みんな……。このまま弄ばれて死ぬだなんて真っ平だ。これまで散々バカにしてきた連中の鼻を空かしてやるぞ!」
「ゲイルの言う通りだ、やっちまおう!」
「そうだよ、ランスレイト君だって今も頑張ってるんだもん。私達も負けちゃいられないよ!」
「じゃあ皆、手分けして準備を進めよう。食料はあるから飲料水が欲しい。幸いにも雨が降ってるから、まずはその水を貯めて……」
ジョーイの的確な指示に彼らは希望を見い出した。そして、迎え撃つ作戦も申し分なく、現実的かつ効果的なものばかりであった。
「なぁゲイル。これは上手くいくんじゃねぇか?」
「上手くやるんだ。しくじれば、そのまま死に直結する。ぬかるなよ」
「良いかいアンタ達。アタシらも立派な戦力なんだからね。腹くくっときなよ」
「私、頑張るよ。ランスレイト君も、今頃は独りで堪えてるんだもん!」
「はぁ〜〜ぁ。こんな時でもノロケですか。彼氏がいるお嬢ちゃんは違いますなぁ」
「いや、別に! そんなんじゃないよ!」
彼らが準備を終えた頃のこと。夜半の雨は止み、雲間からは月が覗くようになる。
最初の夜。早くも夜陰に紛れて侵入を試みる影があった。幸か不幸か、彼らは自らの力を、作戦を試す場を与えられるのだった。
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