第9話 いにしえの本に紐解く
早朝。本校舎の1階を行く少女の姿がある。鼠色のシャツとスカート、その上からコートを着込む。不安な気持ちを隠さない足取り。マナは独り、祈るような気持ちで歩いていた。
(誰にも会いませんように、誰にも……)
窓からは朝日が差し込んでいるのだが、生徒達は寝静まっている。ひと気の無いタイミングを見計らったのだから、そうでなくては困るのだ。
周囲を警戒しつつやって来たのは食堂の隣、校舎端の教室。図書室である。
「お、おはようございまぁす」
消え入りそうな声をカウンターに向けた。そちらには、頭の禿げ上がった老夫がおり、かすかにマナへ視線を向けた。しかし興味薄で、すかさず手元の本へと視線を落とした。
「さてと。今日も魔法の勉強がんばろう……!」
所狭しと並ぶ本棚、そこには数え切れない程の本が所蔵されていた。その全てが希少かつ高額である。Fクラスには貸出が許可されていない。本を盗んで脱走するケースが後を絶たず、そのため、熟読するには足繁く通う必要があった。
「ええと、回復魔法入門は……っと」
所蔵の位置ならおおよそ見当がついている。後は背表紙をなぞり、お目当ての本を探すのだが、その時肩が誰かに触れた。本棚に注視するあまり、周囲に気を配れなかったのだ。
「す、すみません。ぶつかってしまって!」
上位クラスなら即トラブルだ。因縁をふっかけられる前に、先手を打って謝罪をした。だが、相手の身なりは制服ではなく、自身と似たようなものだった。
見えたのは、くたびれたチュニックとズボン。そこから顔を持ち上げれば、焦げ茶の前髪が、顔の右半分を覆い隠す男と眼が合った。
「君はたしか、シューメル君だよね?」
「や、やぁマナちゃん。奇遇だなぁ」
「そうだね、こんな朝早くから。調べ物でもしてるの?」
「お、オレってさ、ゲイルみてぇに身体でかくないじゃん? だから攻撃魔法でも覚えたら、楽かなって」
「そうだったんだ。私は回復魔法を勉強中なの。お互い頑張ろうね!」
「お、おう。頑張ろーー」
マナはお目当ての本を見つけるなり、その場を駆け去った。背中越しにかけられる「可愛いぜ」という言葉を認識しないままに。
「ふぅ……良い雰囲気だなぁ」
木製の大テーブルに先客はおらず、独占状態だ。そこに冬の日差しが優しく差し込む。椅子に座り、深く息を吸い込めば、古ぼけた紙とインクの薫りを楽しめる。
気分は上々。椅子を引いていざ参る、と意気込んだのだが、足元に何かを感じて止めた。机の下を覗き込めば、誰かが寝入る姿が見えた。
「ランスレイト君!? 何やってんの!」
「ふわぁ……もう朝かぁ? その割にはカーテンの向こうは真っ暗だけど……」
「ちょっと、それカーテンじゃなくてスカート! めくらないで!」
足を閉じて必死に抵抗していると、やがてランスレイトが這い出て、起き上がった。脇には小難しい本が数冊。読み込む為ではないとは本人談。
「王国史に、上級貴族のマナー本。しかも机の下で。いったい何してたの?」
「ジョーイの奴がしつこいから、昨日はここで寝たんだ。その本は枕代わりだ」
「枕代わりって、ヨダレの跡が! 本ってすっごく貴重で高いんだよ!?」
「別に良いだろ、学園のもんなんだから。どうせ誰も読まねぇし」
「そんな話じゃないの! 中は平気かなぁ……」
確認してみると、状態は悪くない。表紙が多少濡れただけで済んだのは幸いだ。
それからマナは小言を並べた。驚くでしょとか、もっとちゃんとしなさいなどという当たり障りのない物を。それに対して、ランスレイトが小馬鹿にして返すいつもの流れ。すぐに真っ向からの口喧嘩に花を咲かせる。時折、誰かに話しかけらたが見向きもせず。
やがて朝食を報せる鐘が1つ。ランスレイト達は寮へと戻り、昨晩の残り物であるスープを温め、口にした。それからボロ校舎へと向かえば、本日の授業が開始される。
「おはようございます。いまだに1人の脱落者も出していないことに、驚きを禁じえません。それでは始めます」
教壇に立つシンリックは、称賛と嫌味の中間で告げた。それからは黒板を呼び出し、座学を開始しようとしたのだが。
「シンリック教官、僕に時間を貰えませんか!」
声高に叫んだのはジョーイ。このかつてない提案、更に目立たない生徒が申し出たとあってはシンリックも怯んだ。青縁メガネの位置をただし、例の口癖を呟いた後で壇上から退いた。
終わったら声をかけるように。最後にそう告げると、シンリックは優雅な仕草で本を手に取った。窓辺の椅子に腰掛け、寒さを和らげる恵みの日差しを一身に浴びながら、手元の世界へと没頭し始める。
そこには、教鞭を奪われたような苦悩など微塵もない。降って湧いた休憩を甘受するばかりだ。
「ええと、僕はようやく掴みました。ランスレイトの強さの秘訣を!」
「本当かよジョーイ!?」
「マジかよ、おい……」
朗報に湧く一同の中で、話題の的とも言えるランスレイトはウンザリした様子。長々とした質問攻めは苦痛そのもので、思い出すだけでも不機嫌にさせられる。
しかし、そんな諍(いさか)いの甲斐あって、有力情報を掴むことが出来たのだ。
「僕は図書館に籠もって色々と読み漁ったよ。夜中に忍び込んで、月明かりを頼りに延々とね」
「随分と大胆だな……」
「所蔵本は膨大だったから、1つの事実に着目したよ。魔獣を毎日のように食べた事についてね。何冊も何冊も空振りだったけども、やっと、民間伝承にヒントらしきものが見つかったんだ!」
嬉々として語られる言葉を、やはりランスレイトは苦々しい思いで聞き流した。やたら根掘り葉掘りと聞かれ、フェチズムまで問いただされた身としては納得がいかない。ほとんどの回答が無駄だったと感じてしまうのだ。
「皆、集まってくれ。ここに絵付きで書かれているんだ」
ジョーイが指し示したのは、古ぼけたページだった。有史以前の光景を描いたイラストと、解説文がびっしりと書き込まれている。
「絵を見ても分かるだろうけど、僕らの祖先は狩猟と農耕で暮らしていた。太陽の恵みの下で、肉と麦を分かち合ったとある」
「待てよ。それって……」
「結界技術が登場し、活用されたのは2百年前がせいぜい。つまりご先祖様は、魔獣のうろつく中、結界も無しに生きていたんだ」
「嘘だろ! そんな事が可能なのかよ!?」
「洞窟に隠れ住んでいた、という表記は無かったよ。それは王国史にも、河川沿いの平地に発展とあるから、正史ともズレがない」
「つまり、どういうこった?」
「昔の人族は強かった。あるいは、魔獣が弱かったかの2択になるよね」
「お前は、ご先祖様が強かったと言いたいんだな?」
「その生き証人が、たぶんランスレイトだよ」
一斉に視線を浴びせられた彼は、分かったような、分からないような顔色になった。
「知らねぇし。歴史だの何だのと言われても。オレは爺に言われた通り、散々食って鍛えて、たまに反抗してブチのめされた。そんだけの人生だったんだからよ」
「確かな証拠は無いよ。でも調べてみると、そうとしか考えられないんだ。君が異常に強いことも、僕達が歩んだだろう歴史も」
「あっそ。割と興味ねぇわ」
「魔獣食という文化は確かに存在した。でもいつしか忘れ……いや、禁忌として扱われるようになる。僕は、魔獣には近づくなと教えられたよ」
「オレは食ったら破裂して死ぬって聞いたけど」
「アタシは、触れるだけで病気にかかるって……」
一同が黙る。そして、ジワリと押し寄せてきた社会通念により、にわかに大騒ぎとなった。
「そんなもんを食っちまったぞオイ!」
「でも他に食べるものも無かったし、仕方ないじゃんよ!」
「どうなんだランスレイト! オレ達は大丈夫なのか!?」
「うっせぇな、落ち着けよ。キノコだって食える食えないあんだろ。それと変わんねぇよ」
「じゃあ、これからも食べて平気なんだな?」
「オレだって食ってんだろうが」
「平気なら、良いんだけどよ……」
一同は、慌てるあまり浮かした腰を落ち着けようとする。しかし、シューメルだけは再び立ち上がり、力強く叫んだ。
「つうことはだ。オレら全員、知らない内に強くなってるって事だろ!」
「そうだったのか。自分では気づかないものだな」
「早速、力試しに行ってみようぜ!」
「おう!」
男性陣が期待を胸に、教室から飛び出した。釣られて女子生徒たちも後を追う。
「待ってよ皆、話には続きがあって!」
ジョーイは教壇から転げ落ちそうになりながら、皆の後を追いかけた。
「しゃあねぇな、まったく。世話の焼ける奴らだ」
アクビ半分に、気怠げな足取りでランスレイトが歩き出した。最後に残されたマナも、教室の内と外を忙しく見比べた後、深々とお辞儀をしてから追随していく。
結果として教室に残されたのは、シンリックただ1人である。
「検閲を免れた伝承本。早くもそれに辿り着き、真相に迫ろうとは」
独り言。そして顔を持ち上げ、窓の外を見る。冬空の下、活気に満ちた教え子たちの姿が見えた。
「現実は小説よりも奇なり。しかし、創作の方が好みだな」
独り言を重ねたシンリックは、再び書物に視線を落とした。窓越しに伝わる、一喜一憂の声に耳を傾けながら。
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