其の六
地平線 出る日こそ 高なれど 眠れぬ夜の 疲れ取れずや
結局一睡もしないでトラックの荷台で警備し続けていた。そして敵襲は0。途中でタイヤがパンクした時は流石に焦ったが、もうあと三キロ程で着くという。流石に欠伸ぐらい何発もかましていた少年だが、隣のスワンソン大尉は欠伸ひとつしない。(俺よりもレベルの高い軍人なのかなあ。)漠然とそんなことを考えていた。
するとまた突然トラックが止まった。何事かと思うと、運転席から運ちゃんが急いで出てきてズボンを脱ぎ始めた。じゃあー。雨が滅多に降らぬこの地域での突然の降雨。雨に打たれているサボテンが幸せそうに見えた。そして運ちゃんは「ふう」と溜息を吐き、悠々と運転席に戻っていった。そして隣に立っているスワンソン大尉が笑いを堪えるのに必死な面を下げていた。(そういう面じゃあこっちの勝ちだな。)そして少年も運ちゃんみたいにしたいと思い、(要はションベンしたくなったのだ。)ズボンを下ろした。スワンソン大尉が「運ちゃんみたいにしたいのか?」と聞いて来た。少年は頷いた。そしてまたスワンソン大尉は先ほどと同様な顔をした。
じゃあー。今まで気付かなかったが、これは…意外に気持ち良い。本日二度目の降雨。走っているトラックの上から一筋の液体が流れ落ちてゆく。其の快感を感じ取っていた。ふと嫌な気配を感じ、横に目を向けると、只でさえ大きく丸い目をしたアンさんがこれでもかという程にまで目を大きくし、顔を紅くして、此方を睨んでいた。「変ッ態!」そう叫ぶのと同時にスワンソン大尉が我慢しきれなかったのか、腹を抱えて大爆笑していた。
此処は国連難民キャンプである。今、一台の難民を乗せたトラックがゲートをくぐった。そして停車場に停車した。国連の職員が後ろの荷台を開けようとして手を止めた。普通国を追われた悲壮な雰囲気が人々を支配しているものだか、このトラックだけ異様に明るい雰囲気に包まれていた。思わずよく観察すると、国連軍の帽子を被った少年兵は頬に真っ赤な手の跡。そしてむぅと顔を顰めた少女が一人。腹を抱えて大爆笑し続けている米軍の将校が一人。他の人もクスクス笑っている。この少年が何かしでかしたらしい。
取り敢えず難民キャンプに到着したが、なにぶん恥ずかしい。スワンソン大尉もずっと笑っている。なんだかオヤジさんの机の中から偶々エロ本を見つけたのをドンさんに見られたような気分だ。他の人たちがゾロゾロ降りてゆく。最後の方にアンさんが荷台を降りようとした時に「ごめん。」と謝った。単純に申し訳なかった。が、すると又パチンと平手打ちが来た。これには流石に少年もキレた。「なんなんだよ!人が謝っているというのに!それに対して普通平手打ちか⁉︎」「何よ、クニオ!アンタだって私の見たく無いものなんか見せつけちゃって!」そして二人は暫く睨み合い、そしてプイッと互いにそっぽを向いた。そしてマリーさんが二人の間を右往左往していた。
飯をくった後でも相変わらずそっぽを向いている。マリーは苦心していた。なんたって寂しがり屋である上に、頼りになる大人(?)であるアンお姉ちゃんとクニオお兄ちゃんの仲が悪いので、なんか嫌なのだ。このまま喧嘩の余波でマリーの面倒を見てもらえなくなりそうだ。そうなると困る。そして策を練った。夜、取り敢えず大部屋で雑魚寝するとき、二人を隣の寝床で寝かせる事を考え付き、その様に誘導する為の誘導尋問をシュミレートする。その時間、五分に足らず。
少年は只々何も考えずに飯を食っていた。オヤジさん無事かな。戦況が一切伝わってこないから余計に不安だ。よし、今晩はそこまでひとっ走りして戦況を見てくるか。(往復四十キロ)
横でマリーさんがそう頭をフル回転しているのを知らずしてその様な事を考えている少年よ、謝れ。
そしてマリーの計画は実行された。
第一段階、始動。
少年はあと少しで飯を食い終わろうとした時にマリーさんは泣き出した。然しこれは嘘泣きである。マリーさんは嘘泣きなんて知らないが、さっきの五分間で考えついた物であるので驚きだ。流石に少年もアンさんもビックリして、「どうした⁉︎」とハモってしまった。そして少年の頭の中に在ったさっき迄の計画はおじゃんになった。「あのね、マリーはね、怖くなったの。」二人は肩をくっつけて「うんうん」と頷いている。想像以上の効果だ。第一段階は成功。
続いて第二段階、始動。
「あのね、マリーはね、怖いから、今夜一緒に寝てくれない?」たどたどしく、半ベソで言うのがコツ。これで恐らくアンお姉ちゃんのシスコン本能は暴走するはず。「わかったわかった。お姉ちゃんとと寝ようね。」予想通り食らいついた。後は何とかしてクニオお兄ちゃんを巻き込めれば。
さあ、第三段階、始動。
「ねえ、クニオお兄ちゃんも一緒に寝ない?」クニオお兄ちゃんが丁度飲んでいた水を噴き出した。アンお姉ちゃんが真っ青な顔をして「流石にそれはダメよ。」と焦って言う。「あんな変ッ態となんか、駄目じゃないの!」しかしここまで織り込み済みというのが九歳にしては凄い。そしてアンお姉ちゃんのシスコン本能を更にくすぐる為に「ええー、マリー嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!」と駄々をこねた。そして予想通りアンお姉ちゃんのシスコン本能を暴発させた。「ちょっとお、クニオ!ウチの可愛い妹がこうも一生懸命あんたに頼んでいるのに、それでも言う事を聞けないの⁈」傍から見れば修羅だ。少年はアンさんのシスコン本能を何とかする為に渋々要求を呑んだ体となった。そして少年は「ちょっと用意してくる。」と言って食堂を後にした。
マリーは「お姉ちゃん、ついていこうよ。」と言い、アンお姉ちゃんの腕を引っ張った。後ろからコソコソついて行くのは、実際の性格はどうかを知るためだ。先ず、事務所に入った。コッソリ覗いてみると、何か係員と言い合っている。耳を澄ますと「はあ⁈まだテントの設営がまだ三割も済んでないのか⁈」クニオお兄ちゃんの金切り声が聞こえる。「はあ、米軍の設営部隊の協力はありますが。」そう国連の職員が口ごもる。「ったく、もうすぐ正午だぜ。」「然し、」「わかったわかった。ありがとさん。」そう言って事務所棟を後にした。その足で少年はテントを設営している場所に向かった。
「あの、手伝ってもいいですか?」と米軍の幹部らしき人に尋ねた。「ったくガキは引っ込んでろ。こっちは忙しいんだ。向こうの待機棟で待ってろ。」乱暴な返答だ。そして少年は苛立ったのか片手で其の米軍将校を軽々と椅子ごと持ち上げた。「そこらへんのガキとは違うけど。」と凄まじい剣幕で其の米軍将校を睨み付けた。周辺を静寂が支配した。「別にいいじゃないか、リーヒ中尉。」ここでスワンソン大尉のお出まし。少年はリーヒ中尉を下ろしすぐさま敬礼した。「実際設営計画が遅れているのは事実だ。そして人手が足りない。じゃあたのめるか、クニオ君。」クニオお兄ちゃんは頭を下げて「ハッ、スワンソン大尉のご高配を賜り感謝申し上げます。そして此の任務を全身全霊で遂行させていただきます。」
思わずアンお姉ちゃんが「カッコイイ。」と口から言葉をこぼした。そして自分の一言にひどく驚いていた。
然し最初のうちは「フン、ガキに何ができるというのか。」という軽蔑した視線を米軍の兵士達は送っていたが、少年の働きぶりは彼らの軽蔑を尊敬に変えるのに十分だった。少年は普通設営するのに一棟当たり二三十分かかるテントを少年は十分十五分という短時間で設営を完了させる離れ業を披露して見せた。それに触発されたのか米軍の兵士達の設営ペースも上がっていった。そして予定より一時間早くテントの設営が完了した。そして隊長訓示が始まった。「…私からの連絡事項はこれにて終了だが、最後に俺たちを手伝ってくれた此の優秀で勇敢な少年に拍手を。」少年は米軍兵士達からの優しく温かい拍手に包まれた。少年は此の時ヤンキースピリッツに大いなる感銘を受けた。
陰でこの様子を見ていたアンさんとマリーさんは少年がカッコよく見えたのでずっとそこにいたのだった。そして少年がこっちにやって来たが急に米軍のテントに走って戻っていった。そして暫くしてまたこっちに向かって来た。そして角の所でぶつかりそうになり「わぁ!」と互いにびっくりした声をあげた。少年は「すまん。」と一言謝り、さっとコーラの缶をアンさんに差し出した。「何?」「いや、今朝のと今のお詫び。」そう言うとアンさんは少し笑って「ありがと。」と言ってコーラを受け取った。「久々。」とまた笑った。「ほれ、マリーさんも。」と少年はマリーさんにもコーラを渡した。マリーさんは目を輝かせて、直ぐに栓を開けた。すると泡が溢れて「アワワ!」とはしゃいだ。其れを見た少年の頬が思わず緩んだ。
待機棟に移り暫く休んでいるとスワンソン大尉が少年に「ちょっと来い。」と言われた。ついて行くと、ある部屋の前で止まった。「失礼します。」そう言ってスワンソン大尉は中へ入っていった。少年は暫くドアの前で待っていた。そしてドアが開き「入れ。」と言われた。中へ入るとスワンソン大尉と一人の東洋人がいた。そして後ろには白を地として紅の丸が描かれた旗が掲げてあった。「この人は?」スワンソン大尉に訊ねると、「この人は、PKOとして此の地域に派遣された日本の陸上自衛隊の勝呂雅文三佐だ。」スワンソン大尉が紹介すると、「I’m grad to see you,Mr.Shirasawa.」(訳:お目に掛かれて光栄です、白沢君。)と流暢な英語で話しかけて来た。「Me too,Maj.Suguro.」(訳:私もです、勝呂少佐。)慌ててこっちも英語で返した。「What purpose do you want for me?」(訳:私に何の御用かな。)ネイティブと変わらない発音は見事だ。少年は「日本語で結構です。」と言った。こう喋った時、勝呂三佐は少し驚いた。そして勝呂三佐以上に驚いたのは少年自身だった。少年は此の時自分の中にあった謎の言語の正体が判った。「スワンソン大尉から粗方話は聞いた、白沢君。で、例のパスポートを見せてくれるか?」少年はオヤジさんから貰ったパスポートを勝呂三佐に見せた。「ほう、まだ有効期間はやはり切れているか。」そう言って机に座りPCを操作し出した。「君は七年前のこの地域の戦闘で行方不明者として戸籍に記録された。発見されたなら日本に送還される事となる。が、日本には親族はいない。即ち天涯孤独の身なんだな。」独り言とも少年への言葉とも取れるようなことをぶつぶつ呟いている。暫くキーボードを叩く音がこの部屋を満たした。
一時間経った。然し勝呂三佐は相変わらずPCと向き合っている。スワンソン大尉はずっとタブレットで衛星写真を見ている。先ず、暇だ。そう思っていると、ドアの前で「ドスン‼︎」という大きな物音がした。「ちょっと見てきます。」「嗚呼。」勝呂三佐は無愛想に言った。ドアを開けると「あ、お前ら、何しているんだ?。」アンさんがマリーさんの上にうつ伏せになって倒れている。そしてマリーさんは手足をジタバタさせている。なんとかアンさんが起きあがって言うには、「マリーが『クニオお兄ちゃん遅い!』と心配して探しに来たら、この部屋に人の気配がしたから覗こうとして倒れただけよ。」「まあ、気をつけろよ。」そう言って後ろを振り返ると、スワンソン大尉と勝呂三佐がニヤニヤしながらこっちを見ていた。(キモっ!)と思った。「なんすか。」と訊くと「いや〜、あたたかい目〜。」其れがあたたかい目なのか?そう思った矢先、「其の目、キモいんですけど。」とアンさんが言った。
さっきのアンさんのキモいんですけど宣言はメンタル的に強い筈の軍人二人の士気を下げるのには、効果的面だった。勝呂三佐のキーボードを打つスピードは約三十秒に一回というペースとなり、スワンソン大尉は宇宙との交信を開始した。其れから約二時間をかけて二人のメンタルは徐々に回復してきた。勝呂三佐のキーボードを打つスピードは速くなり、スワンソン大尉は宇宙との交信を弱めていった。この部屋に入って三時間。少年は何もしていない。やっと話らしい話をし始めたのは、少年が「いつまで待たせるんじゃ、コラ!」と言うヤクザモードに突入しかけた時だった。
「いや〜、待たせてすまん。先ず通常の業務を終わらせるのに時間がかかっちまった。」勝呂三佐はご機嫌に喋った。「先ず白沢君、良いかい?君は日本に行きたいのか?」そうだ。此処に来たのはオヤジさんとの約束である日本への移住についての話の為だった。少年は唾を呑んで腹を括った。
「はい。」
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