病という隠れ蓑
病という隠れ蓑-1
最近、のえるが頻繁に家にやって来るようになった。
ku-onを始めてからも、のえるとのやり取りはほとんどがオンラインだった。文字であれば、言葉のやり取りはできる。だから、直接会うよりもコミュニケーションはうまくいく。そうのえるに伝えていたはずなのに。
そして、のえるはあろうことが風変わりな兄嫁と意気投合してしまった。
兄嫁の千紗には小学校五年生の桃香という娘がいる。桃香は極度のアレルギー体質で、食べ物どころか化学物質や電磁波でも体調を悪くしてしまう。そのせいかなんとなくひねくれていて扱いにくい。
陽汰の家は古い農家の家らしく部屋数が多い。だからなのか兄夫婦の同居は何の議論も無く始まった。今は両親と兄夫婦、自分の六人家族だ。だが、桃香が家族と接点を持つことは殆ど無い。学校から帰ると正人が至る所に電磁波フィルターを張り付けた部屋にこもってしまうからだ。
千紗は不倫の末桃香を妊娠し、当別に帰ってきた。生まれた子供が極度のアレルギー体質だと判明してからは、山にこもって自給自足の生活を送っていた。
女一人で、赤子を育てながら野菜を育て、鶏を飼い、魚を釣り、薪を割って暮らす。
そんなことができる風変わりな女だ。元気で人当たりが良い体裁を装っているが、時々あえて傷つくような言葉を浴びせて相手からの反応を見るという嫌な性質がある。昔男に捨てられて、人間不信に陥ってから、自分が傷つく前に相手の人間性を見抜く方法として身についたものらしい。
自分はそもそもどんな人間でも苦手なのに、そんな嫌な性質を持つ人間とは関わりあいたくないと思っている。
千紗は山籠もりの間ネットショップで手作りのアクセサリーを売って収入を得ていた。それは今も続けていて、家業である農業を手伝うことは無い。のえるは千紗にアクセサリーを発注したり、撮影のために山籠もりの家を使わせてもらったりして交流を深めたのだ。
のえると千紗は似たような人間なのかもしれない。
のえるはもちろん相手をわざと怒らせたりしない。でもマイペースで強引に行動を起こす。陽汰は気が付くとのえるに巻き込まれているのだった。
ドアがノックされ、返事をする間もなくのえるが入ってくる。手に盆を乗せ、そこに麦茶が入ったグラスが二つ乗っている。
何故客が自らお茶を持ってくるのだ?
のえるがクスリと笑う。
「先に千紗さんに会ったから、お茶もらってきちゃった。」
心の声を聴いたように、のえるが答える。
陽汰は向かっていた机からのえるに体の向きを変える。机上にはパソコンと、いつの間にか増えていった機材が並んでいる。
手渡された麦茶を飲む。ひんやりとした水分が、のえるを前にして生じた体の熱を少しだけ冷ます。
のえるは絨毯の上に膝を抱えて座る。ショートパンツから伸びた太ももに目のやり場が困るのだが。
「早速さ、この前送ってくれた曲に歌詞作ったよ。聞いてよ。」
のえるは肩から下げたスマホポシェットから真っ赤なカバーを着けたスマートフォンを取り出すと細く長い指を動かしていく。伏せた睫毛は長く、上向きにカールし、先端がピンク色に染まっている。
よくこんな目立つ格好をして世の中を歩いていられるな。
陽汰は感心しながら眺めている。そのうちに、自分が作ったゆったりとしたメロディーが流れだす。
のえるはすっと体を起こした。
ベージュ系のルージュに染まった唇が動き出す。
のえるの声は、ハスキーなのに透明で、のびやかで儚い。
紡ぎだす言葉は英語と日本語が織り交ぜられていて、その境目はあいまいだ。鼻歌のように歌っているのに、声が耳に心地よく滑り込んできてそのまま心を染めていく。
自分の作った曲なのに、すごくいいものに聞こえる。この曲にのえるは動画を合わせていくのだ。どんな世界に変化していくのか、想像しただけでドキドキしてくる。
いつの間にか曲が終わっていて、のえるの視線が自分に向けられていた。陽汰は慌てて頷いた。何度も何度も。
そして、スマートフォンを取り出し、LINEを開く。
「すごくよかった。後で歌詞を送って。言葉に会わないフレーズを修正する。」
メッセージが届いたことをのえるのスマートフォンが伝える。のえるはそれをのぞき込む。
「分かった。」
のえるは頷いた。
こうやって対面していても、言葉のやり取りはLINEを使う事。それは、最初のころに交わした約束だった。
それなのに、のえるは最近不満げな顔をする。
「一言ぐらい、声に出して感想を行ってよね。」
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