彼が姿を消した理由-4

 錬と、佳音のマンションまでの道を歩いて行く。


 居づらくなった定食屋を出て、しばらく公園で話をした。錬はやっと気持ちをほぐして、昔の錬に戻ってくれた。佳音は仲間の近況を話し、錬は感慨深そうに聞いていた。


 意外なことに、錬は陽汰の事だけは把握していた。陽汰の発信する音楽を余すこと無くチェックしていたのだという。SNSを使えば、有機野菜の情報を頻繁にあげている健太や家具工房樹々じゅじゅの様子も知ることが出来ただろうが、敢えて避けていたのだそうだ。


 角を曲がれば、マンションだというところで錬が足を止めた。その事に、一歩先を行ってから気付く。


 どうしたの、と問う前に錬の身体が動いた。


 「ちょっとごめん。」

 そう言って、後ろから抱きしめてきた。


 驚いたのは、抱きしめられたことよりも肩に押しつけられた錬の額が小さく震えていたことだった。


 錬は、泣いていた。


 「……これ、本当に本物の佳音……?」

 小さな涙声が問う。


 「そうだよ。」

 首の前に組まれた手に、自分の手を重ねた。錬の手は仕事をする、男の人の手だった。


 「夢じゃ無い……?」

 「違うよ。本物だよ。」

 その手を、ポンポンと叩いた。


 「……怖かった……。」


 うなじの辺りで、錬が呟いた。


 「孤独って、怖いんだな。一人になって、思い知った。」

 その声は、頼りなく震えている。


 そうか、と腑に落ちた。


 あんなに冷たく鋭い目をしていたのは、怖かったからだ。


 故郷という根を失い、人との繋がりを断ち切り孤独に生きることを選んでしまった。そこに身を置く恐怖と戦っていたのだ。


 佳音は、錬の手を強く握った。


 「もう、大丈夫。一人じゃ無いからね。」


 錬の頭が、うんうんと動く。

 愛おしさと、恥ずかしさが一気にこみ上げてきた。


 錬の手を、更に強く握る。


 「錬、これって『ちょっとごめん』で済む行為じゃないんだからね。」


恥ずかしさから、ちょっとだけ悪態をついた。


 「……いいじゃん、ケチ。」


拗ねたように、錬が言う。


 「三分だけ、許す。」

 「たった三分かよ。ケチ。」


 うなじに、ふっと笑みを感じた。


 錬が、元気になってくれたら良い。


 佳音は、くすぐったさを感じながらそう思った。


 元気になったら、きっと錬は自分から皆の所に帰ってくる。自分は、それまで錬を見守ろう。


 空を見上げると、三日月が頼りなく空に浮かんでいた。星は遠く小さく、その光は弱い。


無性に当別の夜空を見たくなった。遮るもののない広い夜空に満天の星が瞬くあの空を、もう一度皆で見上げたい。


 錬が、腕をほどいて顔を挙げた。佳音は錬の方を振り返り、まだ涙の残る顔を見た。


 「錬が、自分から皆の前に現れるって信じてる。それまで、待つよ。私、また錬がどこかに行かないように見張っているからね。」


 驚きが浮ぶ錬の顔に向かって佳音は大きく頷いた。錬は、腕で涙を拭い、頷き返した。


 ほっと安堵の息をつき、角を曲がる。

 そして、思わず足を止めた。


 マンションの自分の部屋に、明かりが灯っていたからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る