彼が姿を消した理由-2

 佳音は錬に問いかけた。その声は、自分でも驚くほど震えていた。


 箸を置いて出て行ってしまうのでは無いかと思ったが、予想に反して錬は怒りはしなかった。


 錬はぎゅっと眉を寄せて、唇を噛んだ。


 それは、痛みをこらえ、苦しんでいるような表情だった。


 佳音は、はっと息を飲んだ。


 そうだ、錬が両親の気持ちを考えないわけがない。どんなに冷たい男を演じても、錬が錬であることに違いはないのだから。


 誰よりも人の気持ちを推し量り、たとえ自分が傷ついたとしても、全力で仲間を守ろうとする人だ。


その錬が、皆が心配することを承知の上で何故姿を消したのか。


改めて疑問に思う。そして、恐れが胸にわいてくる。


 佳音には、ずっと不安に思っていることがあった。


 錬に最後に会ったのは、自分だ。


 錬がいなくなり、錬の両親と仲間達で錬を探した。友人関係を探り、普段の錬の様子を聞き取り、いなくなるような兆候が無かったか調べた。錬がいなくなる少し前、佳音と美葉と錬の三人で集まった。その時の様子も美葉と一緒に思い返した。


 錬は大学の前期までは休まず学校に通い、沢山友人もいて、キャンパスライフを楽しんでいるようだった。しかし、後期に入ってからは全く学校に通っていなかった。心配して何人かの友人が様子をうかがったようだが、錬は「その内行くわ。」と暢気に答えていたそうだ。


 美葉と三人で会ったときも、大学は楽しいと話していたし、変わった様子は無かった。


唯一、異変があったのは錬が姿を消す前日、自分に会いに来た時だった。何かを決意したような、張り詰めた顔で最後の告白をしにきた、あの日の錬は確かにいつもと違っていた。

 

 翌日に錬は、「心配掛けてごめんなさい。」という置き手紙と、水没させて使えなくしたスマートフォンを置いて姿を消した。


 錬がいなくなったのは、自分のせいかもしれない。錬の両親にその事を責められるのが怖くて、最後に会った日の出来事を誰にも伝えられないでいた。


 その不安を口に出すことはとても怖かった。しかし、もう胸にしまっておくことは出来なかった。


 「錬がいなくなったのは、私の、せいなの……?」


 自分が、錬の気持ちに応えられなかったから?


 「そうだ」という答えが返ってくる事を覚悟したが、錬の顔を見ることができず、スプーンでチキンライスを弄ぶ。錬がはっと息をついたのが分かった。


 「違う。それは違う。佳音のせいじゃない。」


 強い声で、錬は言った。思わず、顔を挙げて錬を見る。錬は驚きの目で自分を凝視していた。小さな目を大きく見開いた顔が、涙で揺らいだ。両手を口に当て、嗚咽が漏れそうになるのをこらえる。


 「ずっと、自分のせいじゃないかと思ってた……。」


 あの夜、自分が錬の気持ちを受け止めていたら、錬はいなくならなかった。様子がおかしかったことに気付いていたのに何も聞き出そうとしなかった。その事をずっと後悔し、自分を責めて来た。


 「ごめんな……。俺のせいで、佳音に苦しい思いをさせて……。」

 錬の指が、頬に伝う涙を拭った。ゴツゴツとして、冷たい。


 「あの日、佳音にフラれに行ったんだ。佳音にフラれたら、踏ん切りが付くと思って。」


 涙を拭った手をぎゅっと握り、自分の方に戻しながら、錬が言った。


 「……俺さ。」

 錬の声はかさかさと乾いていた。


 「俺、自分は皆よりも大人だと、思ってた。」

 そう言って、うつむいた。

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