ハッピーエンド

文月いつか

第1話

 「ゆきちゃん、赤と緑どっちが好き?」

 「あか!」

 「やっぱり! 雪ちゃんならそう言うと思ってた」

 「六花りっか姉ちゃんはみどりが好きなの?」

 「ううん、どうだろ。私も赤が好きかな」


 息が白い。空気が乾燥している。霜の降りた葉っぱを踏む音がやけに大きい。待ち合わせ場所まであと5分。うるさい鼓動を押さえつけ、ハンドルを握りなおす。ペダルを漕ぐ足が少しだけ重い。

 ひいらぎ六花りっか。彼女から連絡がきたのは三日前。月が白く残る朝だった。

 「突然ごめんね。実は、雪ちゃんに話したいことがあって」

 そう話しだした六花の声は、消えかかった飛行機雲のようだった。僕の脳裏に「引っ越し」の文字が浮かぶ。昔の記憶がフラッシュバックして離れない。

 僕と六花は幼いころ、家が隣同士で年齢も近かったからかすぐに仲良くなった。三歳年上の六花は面倒見がよく、いつも僕を可愛がってくれた。

 「雪ちゃん、今日は六花の家でゲームしてあそぼ」

 「雪ちゃん、みてみて。ありの行列だよ」

 「雪ちゃん、たい焼きだよ。はんぶんこして食べようね」

 僕は僕で六花のことを六花姉ちゃんと呼んで、どこに行くときも六花の後ろをついて回った。一番よく覚えているのは、近所の夏祭り。人混みにのまれて、迷子になった僕の手を引っ張ってくれたのも六花だった。不安と安心で泣きじゃくっていた僕。六花はそんな僕を一生懸命なだめてくれた。今思えば、六花自身も不安だっただろうに。

 でも、そんな日常も長続きはしなかった。六花が引っ越した。電車で1時間のここよりもちょっとだけ都会の街で、六花は暮らすことになった。


 You never miss the water till the well runs dry.

 (井戸が干上がるまで誰も水のありがたさを感じない)


 六花が僕にとってどれだけ大切な存在だったのかを子どもながらに知った。そして、六花への感情が特別であることも分かった。

 だからこそ、六花に会うのが怖い。六花の口から「結婚」の二文字を聞くのが怖くてたまらない。だって、もし本当にそうだったなら、僕の気持ちにも終止符を打たないといけない。ちゃんとさよならしないといけない。

 もしかしたら僕は、まだ期待しているのかもしれない。六花が昔のように隣にいてくれることに。「雪ちゃん」と声をかけてくれることに。

 いいや違うな。自分の気持ちに終止符を打てないんだ。期待という言葉に願いを込めて、現実から逃げようとしている。情けない奴だ。嘘でもいいから、格好つけて六花を笑顔にできればいいのに。

 不安定な情緒を抱えて、ペダルを強く踏む。遠くからback numberのオールドファッションが聞こえてくる。

 



 ああ、そっか。単純なことなんだ。僕が気持ちを伝えればいいんだ。

 その時、六花の横顔が見えた。十年ぶりの再会だった。六花はあの時と変わっていなくて、その瞳はやっぱり僕を魅了する。

 「雪ちゃん。久しぶり。いつぶりだっけ」

 その笑顔が愛おしくて、今すぐにも抱きしめたい。六花姉ちゃん、僕も大人になったんだよ。

 「雪ちゃん、私ね、雪ちゃんに黙っていたことがあるの。だからね、今日はそれを伝えたくて」

 六花、待って。僕に言わせて。僕に終止符を打たせて。これで最後にするから。

 「雪ちゃん、あのね」

 「六花」

 馬鹿だな、僕は。最後の最後まで期待するんだから。

 「六花。僕は、ずっと六花のことが好きでした。でも、やっぱり僕じゃダメかな」

 六花の顔が一瞬ほころんだ。初めて見る大人の六花だった。

 その時、子どものときに二人で食べた「赤いきつね」を思い出した。六花のお母さんが二人を連れて行った近所のスーパー。カップ麺コーナーで、あかが好きだといった僕。赤が好きかなといった六花。二人の気持ちが重なったのはいつぶりだろう。

 「先に言われちゃった。私が言おうと思ってたのに」

 遠くでオールドファッションがまだ流れている。単純なことだったんだ。僕には六花だったんだ。

 僕の終止符は、始まりの歌に過ぎなかった。

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ハッピーエンド 文月いつか @july-ocean

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